財津和夫、70代でやりたいのは「虹の向こう側」を〇〇すること

TULIP・財津和夫が、時にはやってみたい事を思いつくままにあげてみるRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』。9月15日の放送では、この番組を〇〇してみたい、とのドッキリ発言が飛び出します。

「虹の向こう側」をすっぽかしてみたい

放送日の翌日、9月16日は「敬老の日」の祝日。9月15日から9月第3月曜日に変更されたのは、2003年(平成15年)という事ですから、もう20年以上経つんですね。
開口一番、「私の日だ!もうお仕事しないでケエロー」とオヤジギャグで先制攻撃モードの財津。
予想外に? 下田アナがウケる。そして、「TULIP50周年ライブツアーも区切りがつきましたが、70代のうちにやっておきたい事は何かありますか」というナゾかけではなく、問いかけの質問。
財津「プライベートな事が多いでしょうね、やりたい事は。仕事面については、大きなものはないです。仕事ばっかりやって来たんで、自分のわがままな時間をプライベートで持ちたいな」
下田「どんなわがままですか」
財津「やりたいことを思いついたら翌日にでも、と思うんですけど、周りがなかなか許してくれない場合がありますから…一人でずっと生きていれば良かったなぁ、子どももいる子ども以外にもいるし…」
意味深な発言に対して、下田アナから諭されるように「家族は大事ですよ」と言われるハメに。
財津「家族は大事ですよね、嫌だ嫌だと言っている人も、死ぬ間際には家族になるんでしょ? 南極大陸や高い山に行ったりしてほとんど家にいなかった冒険家は、死の危険に遭遇した時に家族が浮かんできたらしいですよ」
そう言ったあとに、「家族って怖いね」と感想とも日頃の心理状態の吐露(?) ともいえるような一言を呟く財津。70代でやりたい事に話を戻しましょう。
財津「明日は仕事あったな、と思う時はちょっと憂鬱になるんですよ。なので、『明日仕事なのにやめた』というワガママやってみたいな。『明日のRKBの収録やめた!』とか。こんなことができたら、僕は『神様本当にありがとうございました』って喜んで言って、気持ちよく死ねますね」
下田「あらまあ、それは困っちゃうわ。虹の向こう側以外でお願いします」
はい、スタッフ一同、何卒別件での実施の程をお願いさせて頂きます。

今日の一曲は、TULIP「セプテンバー」。1974年(昭和49年)1月に発売されたシングル「銀の指輪」のB面、そして同年4月発売されたアルバム「TAKE OFF」にも収録されています。それぞれバージョン(編集)が少し異なるようですが、どちらも前の年の9月から10月にかけて、ロサンゼルスのスタジオでレコーディングされた曲のひとつです。

財津に似ている父が好きな母

エンディングで、お便りの紹介です。「40数年前、テレビで財津さんを見るたびに、母親が『お父さんの若い頃にそっくり』と本人の前で言っていました。そして先日、50周年ライブで財津さんを見て、『あ、父に似ている』と思った私でした。ちなみに、母はずっと財津さんのファンです」と読んだ後、照れて当惑したような財津。
下田「『ちなみに』ですから、お母様は財津さんがすごく好きで、財津さんの面影があるお父さんを好きになったんじゃない?」
財津「そういう事か…その『ちなみに』か。そういう隠し技があったんですね。なんか嬉しいね。お父さんと私がそっくりということは、お父さんも、けっこう眉毛が垂れてて、右目は二重で左目が一重で、スケベなのかな」
下田「(笑)そうかもしれないですけど、きっと背が高くてお優しい感じじゃないですか。お母さんも幸せね。財津さんが大好きで、お父様もピアノを弾いて財津さんにそっくり、よ。財津さんとは結婚できなかったけど、財津さんとそっくりな『彼』と結婚できたんだから」
またもや捲し立てモードになってしまう下田アナ。ひょっとして、先ほどの「明日の番組収録やめた」の復讐でしょうか。
財津「(笑)いやいや、『2番手でいいや』みたいな話はやめて下さい。そういう事じゃないでしょう」
下田「お母様の好みに一貫性があったという事で」
財津「だから(順序が)逆なんですよ。お父さんが好きで結婚したら、財津に似ていて、『じゃあファンになろうかな』っていう事なんですよ。ありがとうございます」
結婚されたのがいつ頃のなのかはわからないお便りですが、確かに順序的にはそう考えた方が自然です。
下田「どっちかな。どちらでもハッピーですね」

次回9月22日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
「落とし物・忘れ物」についてお話しします。

財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、下田文代
番組ホームページ

出演番組をラジコで聴く

※該当回の聴取期間は終了しました。

東国原英夫「“お笑い芸人としては無理かな”と思って」2007年の宮崎県知事選挙に出馬した経緯を明かす

TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。今回のお客様は、東国原英夫さんとガダルカナル・タカさん。ここでは、東国原さんが2007年に宮崎県知事選挙に出馬した理由を語りました。

▶▶この日の放送内容を「AuDee(オーディー)」でチェック!


(左から)東国原英夫さん、ガダルカナル・タカさん



◆東国原が政治家を目指した理由

タカ:ずっと思っていたのが、いつぐらいから政治家を目指す気になったのかということと、なんでそこにいきついたのかっていう。

東国原:1998年の風俗事件の不祥事、あれがきっかけよ。

タカ:あー! でも、それがきっかけでなぜ政治家になろうと思ったわけ? 「風俗に関して日本の法律は間違っている部分がある。俺はそこを訂正するんだ」みたいなこと?

東国原:まったく違うね。

タカ:あれ(笑)?

東国原:あの事件で自主謹慎になったときに“淫行”っていうレッテルを貼られたので「これはもうお笑い芸人としては無理かな」と、それで方向転換した。

タカ:だとしたら、転換する方向がおおいに間違っているのよ。自分がしたことを考えたら、「こんな奴が政治家になろうとするか?」って。根本的に間違っているんだけれけども、そこが面白いのよ。

東国原:異次元だね。

タカ:これが異次元で済めば我々もちょっと笑えたけど、まさか当選してしまうという(笑)。しかも、宮崎県知事としてそれなりに仕事をこなしてきたしね。こういうことも含めて、「なんでそっちにいっちゃった? しかも、大変だったろうな」って。

東国原:俺にとっては知事っていうのが、大きなボケだったのかもしれないね。

タカ:本当にそんな気がするわ。


▶▶東国原英夫「ビートたけしのスポーツ大将」のロケがつらくて逃走!? 続きは「AuDee(オーディー)」で!

<番組概要>
番組名:TOKYO SPEAKEASY
放送日時:毎週月-木曜 25:00~26:00
番組Webサイト: https://www.tfm.co.jp/speakeasy/

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