新鋭!空音央監督の最新映画「HAPPYEND」に注目を!
10/4(金)より福岡ではKBCシネマ等で公開されている日本映画『HAPPYEND』。先月にはベネチア国際映画祭でワールドプレミア(世界初公開)され、満場の客席から喝采に包まれた本作は、新鋭監督・空音央(そら・ねお)が近未来の日本を舞台に、思春期の友情と青春を描く物語と、いまの日本を包むリアルな問題を描いた注目作だ。その魅力をRKBラジオ「田畑竜介GrooooowUp」に出演したクリエイティブプロデューサーの三好剛平さんが語った。
映画のあらすじと空音央監督について
まずは映画のあらすじから。
舞台は近未来、日本のとある都市。高校生のユウタとコウは幼馴染で大親友。いつもの仲間たちと音楽や悪ふざけに興じる日々を過ごしています。卒業を間近に控えたある晩、いつものように仲間と共にこっそり学校に忍び込んでいると、ユウタはあるいたずらを思いつきます。戸惑うコウを誘って、面白がりながらそのいたずらを決行するユウタ。
翌日、いたずらを発見した校長は大激怒し、学校に生徒たちを監視する AI システムを導入する騒ぎにまで発展してしまいます。そしてこの出来事が、コウの内面にそれまで降り積もっていた、自分自身のアイデンティティと社会に対する違和感を深く考えるきっかけとなります。その一方で、今までと変わらず仲間と楽しいことだけをしていたいユウタ。2人の関係は次第にぎくしゃくし始め——。
本作で満を持して長編劇映画デビューを飾ったのが、新鋭・空音央監督です。ニューヨークと東京をベースに映像作家、アーティスト、そして翻訳家として活動している彼は、これまで短編映画やドキュメンタリー、アート作品などを監督してきました。2020年には志賀直哉の短編小説をベースにした短編『The Chicken』を発表。ロカルノやニューヨークなど各国の国際映画祭で上映され、Filmmaker Magazineでは新進気鋭の映画人が選ばれる「25 New Faces of Independent Film(インディペンデント映画の新たな顔25人)」の一人に選出されます。そして今年2024年5月に劇場公開された坂本龍一さんの最期のコンサートドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』でも監督を務め、ヴェネツィア国際映画祭をはじめ世界各国の映画祭で絶賛を集めました。そんな彼が7年前から準備を進めていた初の長編劇映画が今回ご紹介する『HAPPYEND』ということになります。
青春映画×「政治」についての映画
この映画は大きく2つの側面を持つ映画としてご紹介できると思います。ひとつは青春映画、そしてもうひとつは広い意味での「政治」に関わる映画という2点です。
まずは青春映画としての側面。この映画の主人公であるコウとユウタをはじめ、メインキャストを務める高校生役の大半は演技未経験者たちで占められており、それらは何百人ものオーディションを通じて発見されたものです。それに加え、監督自身が慎重に現場の安心した空気を作りあげたことや、彼らとの映画制作を通じて互いに芽生えてきた絆や結束が見事に作品の画面に息づいたことで、非常に生き生きとした魅力に満ちた若者たちの姿が映画に息づいています。他愛のないやりとりも、互いのうちに生まれていく青年期ならではの葛藤も、観客である私たちのなかにある「身に覚えのある」あの当時の感覚として思い起こさせてくれる。監督は本作を通じて「しばらく会っていない友だちに無性に電話したくなるような作品にしたかった」と語っています。
そしてもうひとつは広い意味での「政治」に関わる映画という側面。この映画では高校生が学校で仕掛けたひとつのいたずらに、校長という権力者が「監視システムの導入」というかたちで応答することがまずひとつの軸となりますが、そこには彼らの学校や住んでいるエリアが移民など多様なルーツを持った人々が集まる地区であることや、舞台となる近未来の日本社会全体においても、繰り返し小さな地震が続き「いつかまた大地震がやってくるのではないか」という不安が内圧となって高まっていたり、ときの政権が治安維持を目的とした「緊急事態条項」を憲法に折り込もうとしていたり、それに対するデモへの警察の締め付けが加速している状況が明らかになっていきます(どれも聞き覚えのあるものですね…)。
監督が本作の構想をはじめたのは2017年、7年前であったにも関わらず、残念ながら当時以上にこの映画に満ちる閉塞感は、現実の日本をよりビビッドに映し取ったものになっています。実際、学校に導入された監視システムとそれがもたらす一方的な新ルールの設定によって、学生たちの日常は大いに制限され、萎縮させられ、活動や言葉さえも奪われていきます。先ほどこの映画を青春映画と紹介しましたが、だからといってこの映画は学生のことだけを描いた映画ではありません。むしろ学校という権力と、その権力が敷いたルールにただ“良い子”として従うことを求められ徐々に無力化させられる人々を、学校と学生という設定を借りてひとつの寓話のように切り立てた作品といえます。劇中でやんちゃだった仲間の一人が、監視システムの点数制によって徐々に萎縮していくようすなどはかなりリアルな恐ろしさがあります。
そしてこの映画の達成は、この「青春映画」と「政治についての映画」という2つの結びつきに改めて鋭い光を当てたことにあるのではないか、と僕は思いました。徐々に自らの政治性に気づいていくコウと、現実社会への期待を放棄して刹那的な生き方を選んでいくユウタ。幼少期からずっと親友として歩んできた二人の関係に、ついに埋められないほどの隔たりが生まれていく、その葛藤のドラマ。
ここで、「青春映画」とは「未成熟な者たちの葛藤と変化」を見つめるものと言い換えることが出来ると思いますが、本作を見ていると、それは「政治」というテーマにおいても共通するものではないか、と思えてきます。それは例えば、私たちが「政治的である」というときその一つの姿として「特定のイデオロギーに固執せず、絶えず対話や葛藤を引き受け、いつでもより良い選択が出来るよう変化し続けられる」姿勢があると思います。もし“変わらずにいること”を成熟と言うならば、あえてその成熟を放棄した「未成熟」な状態、いわば“積極的不確定”ともいうべき状態に自らを宙吊りにして、絶えず「葛藤と変化」を重ねながら、より良い道を選び取っていくこと。それは先ほど青春映画のなかに見出した「未成熟な者たちの葛藤と変化」という視点とも共通しているわけで、さらにそこで本作のタイトルが「HAPPY」と「END」という相反する2つの感情を一語につづめた『HAPPYEND』であることなども携えながら、この映画がいかなる顛末を迎えていくのか、ぜひ劇場で目撃してほしいと思います。
先行する様々な名作映画の記憶も引き連れてきながらなお瑞々しく、またこれまでになかったバランスで新たなジャンルを確立するような映画が誕生しました。今日は時間が限られていて触れられませんでしたが、撮影や音楽や音響設計も凝っていて劇場鑑賞がおすすめです。『HAPPYEND』は明日10/4(金)よりKBCシネマ、シネプレックス小倉、ユナイテッド・シネマなかま16やユナイテッド・シネマトリアス久山などで公開されます。お見逃しなく。
※放送情報は変更となる場合があります。