昭和と令和の世代間ギャップトーク炸裂!~『立川生志 金サイト』スピンオフ~

ラジオを聴き始めたきっかけは?ニュースをどうやって取り入れる?

日曜深夜に毎週実験的な企画をお送りしている『日曜 mo R。』。10月20日は、RKBラジオで毎週金曜あさ6時半から放送している『立川生志 金サイト』のスピンオフを放送する。

立川生志は福岡出身の落語家で、これまでに数々の賞を受賞。番組としては、今年第61回ギャラクシー賞奨励賞を受賞した。このタイミングで敢えて普段番組を聴いているリスナーは勿論、聴いたことがない層への交流を企てるべく、この度ラジオ愛溢れるメンバーによる“世代間交流”が実現した。

ラジオを聴き始めたきっかけは?ニュースをどうやって取り入れる?

今回番組に参加してくれたのは、金サイトに欠かせない大喜利のベテランリスナー2人・そしてラジオが大好きな学生2人だ。ラジオを聴き始めたきっかけも年代、人によって多様なことに加え、『立川生志 金サイト』がニュースを扱う番組ということもあり、ニュースをどのように取り入れるかという質問に大学生から意外な回答が。

昭和世代の立川生志・田中みずきアナウンサー・そして昭和世代のリスナーが驚きを隠せない一方、今後ラジオを若い層に聴いてもらえるヒントになるという前向きな意見も。
 

本当に大切なものは、時代を超えても変わらない。

今回世代間交流というテーマで集まってもらった4人だが、自分の中で大切にしたいもの・守りたい価値観を訊くと、これまた意外。4人から同じ答えが返ってきた。


昭和世代にとっては、昭和・平成・令和と3つの年代が変わってきたが、やはり時代を超えても変わらない大切なものがしっかりあることを再認識できた。

『立川生志 金サイト』の人気コーナー、大喜利に挑戦!

『立川生志 金サイト』では毎週お題を発表し、リスナーの皆さんからの大喜利を募っている。最近はradikoは勿論、ポッドキャストから番組を知り、福岡のみならず全国各地から150通を超えるメッセージが届く。そんな番組のメインコーナーともいえる大喜利に、今回リスナー、そして学生の4人が挑戦。最初は遠慮していた学生も徐々に前のめりに参加するようになった。

“世代間交流”をテーマにお届けする今回の『日曜moR。』。時代と共に変わっていくこと、そして時代を超えて受け継がれていくこと、この放送を通じて感じられるのではないだろうか。

日曜 mo R。〜明るいラ族計画〜
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 24時00分~24時30分
出演者:立川生志、田中みずき
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※該当回の聴取期間は終了しました。

亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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