財津和夫、「音楽界は横の繋がりが少なくても、自分の世界で仕事ができる」って本当?
TULIP・財津和夫が、時には知人・友人についての交友のきっかけなどを語るRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』。11月3日の放送では、俳優の船越英一郎との繋がりについて、リスナーメッセージにお答えする形でお話します。なお、今回の放送は、先週に引き続き日本シリーズ中継のため、16時45分(午後4時15分)からとなりました。
アルバイト気分でやっていた役者の仕事
財津「最初にお目にかかりましたのが、船越さんがまだ無名、って言って良い頃でしょうか。自分の劇団で自分で本書いて、面白いアバンギャルド(前衛的)な事やってらっしゃいました」
20代半ばの1986年(昭和61年)、ロックミュージカル劇団「MAGAZINE」を主宰し、脚本と演出も担当していたそうである。元々、音楽に造詣の深い方なのでしょう。
財津「知人のツテで見に行って、初めてお会いして。『実はずっとTULIPのファンだったんですよ』とか言ってくれて、繋がりができたと思うんです。それ以来はしばらく音沙汰なしだったんですけど、またコンサートに来て下さるようになりまして」
その間に、あれよあれよと超有名人、今や国民的俳優になってビックリ、と話が続く。
下田「(その他に)音楽や演劇界でお知り合いだったり、お話を交わしたり、ご友人だったりする方っていらっしゃるんですか」
財津「いや本当にね、世間が狭い男で。本当にないんですよ」
「ホント」を繰り返すぐらいホントらしい。
財津「映画が好きで、その世界に入ってみようと思って、何本か演ってみたんですけど、なんだか疲れる疲れる。こんなこと言うと怒られるかも知れませんが…もっと前向きな新しい世界かなと思ったら、古い日本の体質が残ってる現場だったんです。もう30年も40年前の話ですから、今はどうかわかりませんけど」
今は様々な改革がされているかもしれないですね、と下田アナが合いの手を入れる。
財津「そういう時代じゃなかったので、楽しくなかったし、セリフが覚えられない。それと訛りがあるから、標準語でどういうふうに喋ったらいいのかもわかんなくて、だんだん面倒くさくなって。これが役者一本の仕事でしたら僕も、もうちょっと頑張ったと思うんですけど、『これってアルバイトだよな』と思い始めて、いつ辞めても良いかという気になってきて。別の世界を覗けたんで満足しちゃいました」
下田「やっぱり本職は音楽という事だったんですね」
財津「こんなにできない演技ができない奴が演技を本職にしてたら、そりゃ辛いですよ」
下田「本職の音楽界での交友関係っていうのはどうですか」
財津「いろんな知り合いもいますけど…有名アーティストと声を交わすことはあっても、プライベートで何かお付き合いするとか、そういうのあんまりないんです。特に僕らの世代、バンドとか、あるいはソロもそうでしょうけども、ステージのコンサートで生計立てるような人たちって、割と自分の世界で満足しちゃうっていうのかな。横の繋がりがなくても、仕事できるんです。ソロコンサートも、スタッフさえいればもうできるんです」
映画とか演劇とかは、横の繋がりがあって、初めて仲良くできる仕事でしょうけど…という事で、少し口の堅い(?) 財津の知人論というか、役者論となりました。
今日の一曲は、沢田知可子が歌ってヒットした「会いたい」。シングルカットされたのは1990年(平成2年)、ミリオンセラーとなり沢田は翌1991年の「紅白歌合戦」に出場している。今回は、リスナーからのリクエストに基づき、作曲者である財津和夫の歌唱バージョンをお聞きいただきます。
次回11月10日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
スピッツの草野マサムネによるTULIPの論評の話題から派生して、財津のサブスク利用状況についてもお話します。
- 財津和夫 虹の向こう側
- 放送局:RKBラジオ
- 放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
- 出演者:財津和夫、下田文代
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番組ホームページ
※該当回の聴取期間は終了しました。