「駅長対抗ご当地丼総選挙」で優勝した福岡・福津市の“めん鯛丼”とは?

JR九州が開催した『2024駅長対抗ご当地丼総選挙』の結果が11月24日に発表され、JR福間駅(福岡県福津市)の駅長が考案した「福津・めん鯛丼」が優勝しました。玄界灘の幸が詰まった贅沢な一杯を、RKBラジオのキャスタードライバー・スナッピーが11月27日の『#さえのわっふる』内でリポートしました。(報告・スナッピー神谷留菜)

駅長自ら考案した贅沢な一杯

今年、初めて開催された駅長対抗ご当地丼総選挙。JR九州の駅長がおすすめする駅周辺にある飲食店の自慢のメニューの中から優勝を決定するグルメイベントです。九州各地から62種類のご当地丼がエントリーし、Web投票による予選を経て、11月24日に開かれた決勝イベントで初代王者になったのは、福間駅構内にある飲食店「漁師めし来進」の福津・めん鯛丼です。

特製だれに漬けられた新鮮な鯛に卵黄、そして明太子がまるまる1本添えられた贅沢な一杯。なんと福間駅の紺屋良治駅長自ら考案し、来進の田畑直子店長と二人三脚勝ち取った栄冠でした。

紺屋駅長:決選投票に進んだ13種類は、どこも美味しい丼ばかりで不安になりましたが、優勝できて感無量です。

12月3日から期間限定で販売

実は田畑店長の夫は漁師。玄界灘で獲ってきた新鮮な鯛で作る「鯛茶漬け」が自慢です。

紺屋駅長も店に通い、何度も試食を重ねて「福津めん鯛丼」が完成しました。鯛の漬けダレや漬け時間も全てこの丼に合うよう試行錯誤したそうです。
 

田畑店長:本番の日は、8割はうちが優勝するかな? という気持ちでした。でも残り2割は強豪ばかりで不安もありましたね。優勝して、いろんな人から「おめでとう!」と言ってもらえて、本当に嬉しい限りです。

SNSでのPRなど、福間駅を利用する人たちの応援も支えになったそうです。福津愛の詰まった「福津・めん鯛丼」は、12月3日から12月30日までの期間限定でメニューに加えられます。

漁師めし来進
JR福間駅みやじ口
営業時間:11時~15時・17時~21時
電話:080-6413-5637

#さえのわっふる
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 13時00分~17時00分
出演者:武田早絵、安岡信一
番組ホームページ

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※放送情報は変更となる場合があります。

みかんに魅せられた大学生、異郷の地で大挑戦「多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

暦の上では春になっても、まだまだ「こたつ」が恋しい時期です。こたつに入ると食べたくなるのが、やっぱり「みかん」。

ただ、どんな方がみかんを作っているのか、あまり知らない方も多いと思います。今回は、果物好きが高じてみかん農家になった、北国出身の若い男性のお話です。

赤山大吾さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

昔、東京と沼津の間を結ぶ電車を「湘南電車」と呼んでいた時代がありました。車両のオレンジと緑のカラーは「湘南色」、俗にみかん色とも云われてきました。今はだいぶ本数も減りましたが、東京駅のホームに、「沼津」と行先が表示されると、何となく、潮の香りと柑橘系の爽やかな香りが漂ってくるような気分になります。

その静岡県沼津市・西浦地区は、駿河湾の最も奥まった所にあって、海越しの富士山を望むことが出来る、風光明媚なみかんの産地として知られています。看板品種は、寿という字に太郎と書いて、「寿太郎」。この「寿太郎」を、今シーズン初めて作り上げて、出荷した男性がいます。

赤山大吾さんは、2000年生まれの24歳。赤山さんは、北海道・札幌のご出身で、小さい頃から果物が大好きでした。土地柄、みかんはあまり出回らないため、りんごを2個、まるかじりするのが日課。残すのは、わずかに芯の部分だけでした。

赤山さんは新潟の大学に進学しましたが、コロナ禍のために授業はリモートが中心。学ぶ内容も想像していたものと違って、あまり納得がいきませんでした。悶々とした日々を送る中で、赤山さんはたまたま近所のスーパーで「沼津・西浦みかん 寿太郎」と、ラベルが貼られた袋を手に取ります。

『寿太郎? 沼津ってドコ?』

赤山さんは、そう不思議に思いながら、家に帰って、さっそく皮をむいて、みかんの小さな袋を一つ、口のなかに入れると、いままでにない食感に感激しました。

『甘い! でも、甘いだけじゃない、甘みと酸味のバランスが絶妙だ!』

赤山さんは、「寿太郎」を食べて、食べて、食べまくりました。そのおいしさに満たされるうちに、自分でもみかんを作りたい気持ちが芽生えます。

沼津市西浦地区のみかん山(画像提供:JAふじ伊豆)

赤山さんは、居ても立ってもいられずに、寿太郎を出荷している沼津のJAに、直接電話をかけました。

「あの……、みかん作りに興味があるんです。教えてもらうことは出来ますか?」

2022年2月、赤山さんは大学を休学して、沼津にみかん作りの研修にやって来ました。地元の農家の皆さんも、北海道出身の赤山さんの挑戦に驚いたといいます。

その初顔合わせ、農家の皆さんは赤山さんの手を見るなり、思わず目を見張りました。

『おお、彼は本物だ! これだけみかんが好きなら、きっとやってくれる!』

そう、赤山さんの手は、みかんをいっぱい食べた、あの黄色い手になっていたんです。赤山さんは、西浦地区でもとくにおいしいみかんを作ると定評のある、御年80歳の大ベテランの農家の方に付いて、みかん作りを学び始めました。

「いいか、農家というものは、人に言われてじゃなくて、自分から動かないとやれないぞ」

「みかんは手間をかければかけるほど、ちゃんと応えてくれる。手間を惜しむな」

赤山さんは、師匠がかけてくれる言葉を一つ一つ噛みしめながら、その背中を追いかけていきます。厳しい言葉の後には、夕飯のおかずをおすそ分けしてくれたり、地元の皆さんの人柄の温かさも、故郷を離れた赤山さんには大きな励みになりました。

赤山大吾さん

籍を置いていた大学にも退学届を出して、退路を断った赤山さんは、2年間の修業を経て、2024年1月、晴れて独立を果たします。高齢でみかん作りが難しくなった方のみかん山・およそ1.5ヘクタールを借り受けて、自分の力が試される時がやって来ました。

いざ作り始めてみると、農家はみかんを作っていればいいわけではなく、事務手続きや生産計画作り、害虫や猛暑対策、アルバイトの雇用などを、全部1人でこなします。

それでも去年は概ね天候に恵まれ、周りの皆さんのサポートにも支えられながら、およそ1万キロの「寿太郎」が無事に実って、収穫することが出来ました。その出来栄えに、赤山さんも手ごたえは十分! 早速、地元の方に食べてもらうと、「おいしい!」と、味に太鼓判を押してくれました。

自分で収穫したみかんが出荷されていく様子を見て、赤山さんは胸が高鳴りました。

『自分で作ったみかんが誰かの手に渡っていく。ようやく自分で稼ぐことが出来たんだ!』

でも、赤山さんに収穫の喜びに浸っている暇はありません。まだ、みかんの管理に甘い点があったこと。そして、この冬は、越冬しているカメムシが多いため、今年は天敵への抜かりない対策が求められそうなことなど、しっかり気を引き締めています。

「もっとおいしいと言ってもらいたい! 多くの人においしいみかんを食べてほしい!」

その思いを胸に、赤山さんは2年目のみかん山に登ります。

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