2025年はドキュメンタリー作家・佐藤真の作品を福岡市総合図書館で一挙に堪能!

2025年1月8日から福岡市総合図書館 映像ホール・シネラで開催される企画上映「暮らしの思想 佐藤真RETROSPECTIVE」。2007年に49歳という若さで亡くなった稀代のドキュメンタリー作家・佐藤真の傑作の数々を一挙に鑑賞できる貴重な機会となっている。RKBラジオ「田畑竜介GrooooowUp」に出演したクリエイティブプロデューサーの三好剛平さん自身も映画鑑賞の指針とするほど影響を受けているという、佐藤真とその作品について魅力を語った。
佐藤真とは?
まずは佐藤真さんのご紹介から。
佐藤真は1957年生まれ、2007年に49歳の若さで亡くなられたドキュメンタリー作家です。大学時代から水俣病患者への支援活動などに関わり、80年代には助監督やTVディレクターなどとして活動。1992年に発表した長編デビュー作『阿賀に⽣きる』は、スイスのニヨン国際ドキュメンタリー映画祭で銀賞と国際批評家連盟賞など複数賞を同時受賞するほか、同年のキネマ旬報日本映画部門にもランクインするなど、国内外で⾼い評価を獲得。それまでのドキュメンタリー映画の作法を更新し、2024年の現在に至るまで日本そして世界のドキュメンタリー映画界の金字塔的作品となりました。
以降も映画監督として様々な傑作を発表し続けるかたわら、執筆においても映画論など数多くのテキストを残してきました。また、京都造形芸術⼤学教授や映画美学校では教壇に立ち、後進の指導にも尽⼒しました。
今回1/8(水)〜19(日)まで福岡市総合図書館映像ホール・シネラで開催される特集上映では、92年の長編デビュー作『阿賀に生きる』をはじめ、彼が映画作家として発表した6本の代表的な傑作長編の一式がデジタル修復されたレストア版で上映されるだけでなく、彼が構成・編集で参加した幻の作品『おてんとうさまがほしい』(94年)も上映。こちらの作品はさすが今では日本で数えるくらいしかないフィルム上映環境を持つ我らがシネラ。なんと貴重な16mmフィルム版での上映が予定されています。没後ますます佐藤真さんの残した映画やテキストへの注目度やは高まる一方ですが、現状ではその作品群も配信されてはおらず、鑑賞するにDVDを購入するしか手段がないため、このデジタル修復版でまとめて代表作すべてを劇場で鑑賞できる機会は本当に貴重、見逃し厳禁です。
ドキュメンタリー映画とは?
さてここからはもう少しだけ踏み込んで佐藤真さんの作品世界をご紹介したいのですが、とはいえ今回作品が7つもあるので、個別の作品ではなく、彼の表現全般に通底する一番基本的な思想にフォーカスしたいと思います。
まずはいつものようにお二人そしてリスナーの皆さんにご質問です。
・皆さんは普段、ドキュメンタリーってご覧になりますか?
・皆さんは、ドキュメンタリーってどんなものだというイメージがありますか?
佐藤真は「ドキュメンタリー」というものについて、明確な姿勢を持っていました。以下、少し長くなりますが彼の執筆したテキストから引用します。
ドキュメンタリーとは、現実についての何らかの批判である。その現実批判は、映画作家の主義主張に込められるものと従来考えられてきた。しかし、私はドキュメンタリーにまとわりつく、こうした政治主義や啓蒙主義と訣別するところから出発したい。なぜなら、ドキュメンタリーとは、映像でとらえられた事実の断片を集積し、その事実がもともともっていた意味を再構成することによって別の意味が派生し、その結果生み出される一つの〈虚構=フィクション〉であるからだ。いま、ここにしかない現実は、映像で映し撮られ、記録映像になることによって、操作可能な虚構となる。
——「ドキュメンタリー映画の地平 上: 世界を批判的に受けとめるために(上)」より
このように彼はまず「ドキュメンタリーとは映像と録音テープに記録された事実の断片を批評的に再構成された虚構(フィクション)」でしかない、と喝破してしまうわけですが、しかし同時に「その虚構によって、何らかの現実や世界のあり方を批判的に(=前提となる事実が本当に正しいのかを明らかにして、さまざまな角度から論理的に)捉え・考えるための映像表現」こそがドキュメンタリーである、という主張を足場とします。
さらにもう1点。そうしたドキュメンタリーを、テキストでも音声でもなく、他ならぬ「映像」で捉えることの意味についても言及しています。曰く、「映像には常に、撮影者の意図を超えた、得体の知れぬ何かが映り込んでくる」というのです。その何ものかとは、たとえば被写体がカメラに向けた思いもかけない視線。何気ない平凡な風景がもたらす異様に長い間。誰かが誇らしげに取材に答えるその言葉とは裏腹にふと映り込んでしまった心許ない表情や違和感などといったものを挙げつつ、映像にはそうやっていつでも、撮影の意図も、言葉による表現をも超えていく何ものかが思いもよらないかたちで充満している、というわけです。そのことを踏まえ、佐藤は「この、言葉では到底表しきれない、まさに映像でしかとらえきれない何ものかを何とかとらえようとする表現行為のことを、私はここでドキュメンタリーと呼ぶ」と続けます。
私たちはついドキュメンタリーと聞くとそれだけで、そこに写っているものは「事実」でありまた「真実」であると思い込んでしまいがちです。しかしマスメディアやソーシャルメディアでの報道さえもときに信用ならないフェイクニュースの時代であり、また誰かにとって都合の良い事実が「エビデンス」としていとも簡単に流通してしまう現在において、この佐藤による一つ目の指摘「ドキュメンタリーは虚構(フィクション)に過ぎない」とする冷徹さ・厳格さは非常に重要な姿勢といえるでしょう。しかし、だからと言ってドキュメンタリーには虚構しか写っていないのかといえばそうでもない、とするのも彼の重要な主張であり、それこそが2つ目の指摘、つまり、「映像はなお、思いもよらないかたちで世界の実相を写し込んでしまう」という点です。
そんなことを踏まえて、今回上映される作品群を想起してみると、佐藤真というこのドキュメンタリー映像作家は、新潟水俣病の被害者家族を、夭折した写真家を、アートに熱中する障害者アーティストたちとその家族を、あるいはパレスチナ問題を前にしたユダヤ・アラブ双方の人々たちを、それぞれどのように映し取って見せるのか?ぜひ劇場へ確かめに行ってほしいと思います。
「暮らしの思想 佐藤真 RETROSPECTIVE」は1月8日から映像ホールシネラで開催されます。会期中は充実したトークプログラムなども併催されますので、詳しくはインターネットで「シネラ」と検索し、その概要ページをご参照ください。
※放送情報は変更となる場合があります。