財津和夫、揺るがない信念と「日本一の音作り」の戦友・小田和正へ賛辞と尊敬を惜しまない

TULIP・財津和夫が、時には自分の出演したテレビ番組のエピソード等を語るRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』。2月2日の放送では、昨年末に20年以上の歴史に幕を閉じたTBSテレビ制作の「クリスマスの約束」への財津の過去の出演話をきっかけに、その番組の主・小田和正への称賛を惜しみません。

「人に嫌な感じを与えるくらい」の信念とは

昨年末は、20年以上TBS系列で放送された小田和正の「クリスマスの約束」が最後の放送となりました。2003年から3回出演した財津が、小田への想いを熱く語ります。
財津「小田さまの話なら、もう溢れるほどあるんです。最近改めて思うのは、彼がこの音楽業界に残した良い意味での業績。うん、すごいですね」
小田和正は1947年9月生まれ、財津は1948年2月生まれ。いわゆる同級生的な歳なのに、財津はいつも「小田さま」と称しています。
財津「僕たちの世代は昔の旧態依然としていた歌謡曲の世界。旧態依然とは言っても、それが悪いって意味じゃないですよ。昔の日本の歌、その世界から僕らが聞いて刺激を受け始めた洋楽。僕らはその洋楽がもう好きで、日本の音楽っていうかポップスの中にもやっぱりこういう洋楽スタイルの曲が欲しいねって、頑張ってきた世代なんです。その戦友みたいなもんですよ」

小田和正と財津が初めて競ったのは、1969年の「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」。二人とも、まだ学生アーティストでした。
財津「アマチュアが集まるヤマハのコンテストで初めて出会ってね、東京で、そのときは会話もなかったんですけどその翌々年ぐらいに東芝レコードというところで一緒になって」
東芝音楽工業のEXPRESSレーベルから、オフコースは1970年に一枚目のシングルを出し、そしてTULIPは1972年にメジャーデビューを果たしました。
財津「何となく接点ができ始めて話もするようになって、お互いどうやったら売れるか、みたいな話もしていたんです。僕らの方が先に売れちゃったんですけど、彼は一言で言うと、そうね…人に嫌な感じを与えるくらい信念持ってるね」
下田「与えるくらいの信念、ですか」
財津「僕だったら『人に嫌われたくない』っていうのが先に来るから、信念なんてすぐ捨てちゃうんです。けど彼はすごいね。学生のときに野球部だったようで、だから根性が叩き込まれていて、チームワークは大切にするし、自分がやってることは絶対に諦めない。昔一緒にゴルフ行った時に、僕がスコアが悪くなったりして『あーあ、どうしたらいいかね』と聞いたら『絶対諦めないことだよ』ってすごい芯のある声で言われたのが今でも耳に残ってます。この人は絶対に諦めないことを信条にしてるんだと思いました」
財津は、2年前にも「虹の向こう側」でこのゴルフの会話について触れています。その時には、仙人のような達人のような口調だったと言っていますが、よほど小田和正の言葉が印象的だったのでしょう。

小田和正が、その「諦めない」信念を貫いてきた話が続きます。
財津「この音楽業界をね、本当に変えていきましたよ。「クリスマスの約束」、このテレビ番組も、自分がこの番組を作るんだっていう勢いでね。いわゆるテレビ的な作り方っていうよりも、小田流の番組の作り方で作っていって、それはもうちゃんとした音楽番組になりましたから。それで、ものすごい長い間続いたでしょ。長く続けたっていうこともすごいですよね。彼をリスペクトするする若手のアーティストも集まったりして」
「クリスマスの約束」は2001年からTBSで毎年クリスマス前後に放送され、RKBテレビでも長年ネット放送していました。
財津「暇だったんで声をかけてくれたんでしょう、僕も時々出たんですけど、それはもう結構リハーサルに時間をかける。映画監督で言えば黒澤明みたいなタイプなんで、もう出たくなくなる」
下田「妥協しないからですか、断られるアーティストの方もいらっしゃるって、記事に書いてありました。ずいぶんと断られて、返事がほとんどなかったって」
財津「でもやっぱりいいものを作るためには、やっぱりそのくらいの信念が必要ですよね。そこはやっぱり尊敬するな。それと音楽的な側面もやっぱり(素晴らしい)。曲と歌詞とかはちょっと置いといて、音作りです。レコーディングして、エンジニアが手を施して、そして最終的に音っていうのは出来上がるでしょう。その過程っていうのもやっぱり日本一じゃないかな。素晴らしい音作りしますよ。
僕もそれに刺激を受けてやろうとしたんだけど、できない。なぜできないか、というのは自分でよくわかってるんです。時間に追われて、諦めちゃう。私ってそういう男なんです。八方美人、とにかく自分が生きていければいいじゃんって、目の前にある楽な道を歩くタイプです。それは一般的に言うと駄目男ですよね」
下田「でも98、99%ぐらいがそうじゃないでしょうか」
財津「そういう意味では、彼は稀な人ですよね」
財津「ただ頑なに自分のやりたいことを突き通していくっていうだけじゃなくて、音もちゃんと並行して立派に作ってるからやっぱり尊敬できますね」

次回2月9日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
冬と言えば鍋料理。その具材などについてお話しします。

財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、下田文代
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※該当回の聴取期間は終了しました。

自動車修理工場の女性社長が「自動販売機のハンバーガー」を開発

トラックなどのドライバーさんのなかには、昭和の頃は、よく幹線道路沿いにあった自動販売機のハンバーガーで、お腹を満たした経験がある方もいらっしゃることでしょう。じつは最近、令和版の「自動販売機のハンバーガー」がじわりじわりと増えているんです。今回は、この自動販売機のハンバーガーを手掛けている自動車修理工場の方のお話です。

ハンバーガー自販機と小林さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京・新宿から中央道の高速バス、または新幹線と飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで、およそ4時間の長野県飯田市に「ガレージいじりや」という自動車修理工場があります。敷地内には、トヨタ・パプリカ、マツダ・シャンテをはじめ、昭和の車がズラリ。しかも、工場の前にある懐かしい自動販売機コーナーが目を引きます。

お店の代表・小林由季さんは、埼玉県出身の41歳。小さい頃、ちょうどミニ四駆が大人気だったこともあって、クルマに興味を持ちました。19歳でオートマチック車限定の運転免許を取ると、街を颯爽と駆け抜けていった、白い「マツダ・RX7」に心躍ります。

『カッコいい!あのクルマに乗りたい!!』

そう思った小林さんは、知り合いの自動車関係者に相談すると、軽くあしらわれました。「RX7? アンタ、あのクルマ、マニュアルだし、ロータリーエンジンって知ってるの? 乗りたいなら、自分で自動車が整備出来ないと、まず無理だよ」

愛車のマツダ・シャンテと小林さん

マニュアルもロータリーエンジンも、全くチンプンカンプンだった小林さんですが、乗りたい思いが高まって、マニュアルで免許を取り直し、自動車整備士を目指します。男社会の自動車修理工場で、厳しい試練を乗り越えて、見事、整備士資格を取得。縁あって信州に移り住むと、趣味で借りたガレージで、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤへの履き替えを請け負ったことをきっかけに、2010年、自ら自動車修理工場を立ち上げました。

やがて、工場のスタッフが昭和43年製・スバル360の修復を成し遂げたことから、小林さんも古い車に興味を持ち、旧車が続々持ち込まれて、車雑誌にも注目されます。あれよあれよと、旧車好きならまず知らない人はいない工場に成長。小林さんは雑誌連載企画で、旧車でレトロな自動販売機巡りをすることになりました。

ところが、ここで小林さんは大変なことが起きていたことに気付くんです。

『大きな道路沿いにたくさんあったハンバーガーやうどん・そばの自動販売機コーナーがどんどん無くなっている……』

24時間営業のコンビニエンスストアが増えた一方で、自動販売機は経年劣化、オーナーさんの高齢化も進んで、自動販売機コーナーは次々と姿を消していたんです。そんな折、小林さんはお祖父さまを亡くしたことで、小さい頃、自動販売機のハンバーガーをなかなか買ってもらえなかった記憶がよみがえりました。

『あの思い出の、自動販売機のハンバーガーを残したい。ならば、ハンバーガーを作っている食品メーカーを助けよう!』

自動販売機コーナー

そうひらめいた小林さんは、さっそく自動販売機用のハンバーガーを仕入れます。自動車工場の前に冷蔵機能付きの自動販売機と電子レンジを設置して販売を始めると、ちょうどコロナ禍と重なったことで、テイクアウトのニーズをつかんで大繁盛。各地のレトロ自動販売機で売れたハンバーガーのおよそ4倍を1台で売り上げました。

小林さんはもうイケイケドンドン、自動販売機を増やして各地で大人気となりますが、あまりの売れ行きにハンバーガーメーカーのほうが悲鳴を上げてしまいます。安定した納品が出来ないので、もう勘弁してくれませんか、と言われてしまったのです。代わる製造業者も無く、困り果てた小林さん、思い切りました。

『ハンバーガーを作ってくれる会社が無いなら、自分の会社で作ってしまおう!』

もちろん、小林さんは自動車整備士ではありますが、食品の知識は全くゼロ。体当たりで、様々な食品製造に関する許可や食品衛生を、片っ端から学んでいきます。食品部門の「いじりやフードサービス」も立ち上げ、ハンバーガーを作ってみましたが、パンはパサつき、肉の脂は溶け出し、レタスなどの生野菜は安全性の面で使えません。しかも、自動車修理工場と食品工場の二刀流で、睡眠時間3時間の日々が続きました。

ふんわりバンズのチーズバーガー

それでも試行錯誤を繰り返し、味やソースにもこだわったチーズバーガーに辿り着いて、安定した製造、出荷も出来るようになりました。今は、全国で39台の自動販売機が元気に稼働中。自動車修理工場生まれの自動販売機とハンバーガーは、各地域で話題になっています。

「気合と根性でやってきました」と笑う小林さんですが、やりたいことはいっぱいです。

「レストランもやってみたいですし、クルマのテーマパークがあっても面白いですよね。ハンバーガー片手にみんなに巡ってもらって。夢は大きく持てば、きっと叶います!」

「RX7に乗りたい」から始まった小林さんの夢、今はまだ、その途中です。

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