WHO総会から見えてくる米中の国際戦略をウォッチャーが解説

スイスで開催中のWHO(世界保健機関)年次総会は、アメリカと中国の国際社会における現在の立ち位置を鮮明に映し出しています。国際情勢に詳しい、元RKB解説委員長で福岡女子大学副理事長の飯田和郎さんは、5月26日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、「トランプ政権のWHOからの脱退宣言と、中国が国際社会でリーダーシップを発揮しようとしているサインがポイント」と指摘しました。
トランプ政権の「ディール」外交
今年のWHO年次総会は、トランプ氏が大統領に再就任して以来、初めての開催となりました。トランプ大統領は就任翌日、「WHOから脱退する」と宣言し、大統領令に署名。これは、1年間の猶予期間を経て2026年以降に実行される可能性がありますが、アメリカ政府代表団は今年の総会を欠席しました。
トランプ大統領が脱退宣言の理由として挙げたのは、WHOへの拠出金の不公平感です。アメリカが年間5億ドル(約720億円)を支払っているのに対し、中国は3,900万ドル(約56億円)しか支払っていないと主張。「もしアメリカの拠出額が中国と同じ程度まで引き下げられるならば、加盟することを再び考えるかもしれない」と発言し、まさにトランプ流の「ディール(取引)」外交がWHOの場でも展開されています。
WHOへの拠出金には、GDPに応じて算出される「義務」の拠出金と、特定のプロジェクトに自発的に出す「任意」の拠出金があります。トランプ大統領の主張は、主に任意の拠出金に関するものと見られます。義務の分担金では、2024年のデータでアメリカが全体の20%を占め、中国の15%、日本の8.6%が続いています。
アメリカの脱退表明を受け、WHOは今後2年間の予算を当初の53億ドルから42億ドルへと11億ドル(約1,600億円)削減するコストカットを実施しました。
パンデミック条約と国際協力の課題
今年のWHO年次総会のもう一つの大きなポイントは、新たな感染症の世界的流行(パンデミック)に備える条約が採択されたことです。新型コロナウイルスによる700万人以上の死者という教訓から生まれたこの条約は、国際協力の重要性を強調しており、特に開発途上国が現地でワクチンを生産できるよう各国に求めています。
新型コロナウイルス流行時には、ワクチンの不足や供給の偏りが問題となり、特に途上国での接種が遅れました。パンデミック条約は、こうした課題を解決し、世界規模のサプライチェーンや物流ネットワークの確立を目指しています。また、「科学的根拠に基づく情報発信をさらに進める」ことも盛り込まれており、新型コロナ禍で飛び交った誤情報への対策も視野に入れています。
しかし、このパンデミック条約の採択には、先進国と途上国の間でワクチンの公平分配を巡る対立がありました。先進国は医薬品の技術流出を懸念し、当初昨年中に予定されていた採択が1年延期されました。さらに、ワクチン製造で世界をリードするアメリカは、今回の条約採択に参加しませんでした。アメリカを欠く条約がどこまで機能するかは、不透明な状況です。
中国の存在感と国際秩序の変化
アメリカがWHOからの脱退をちらつかせ、パンデミック条約への参加も見送る一方で、中国は国際社会における存在感を高めようとしています。中国は今後5年間で総額5億ドル(約700億円以上)を追加で拠出すると表明しており、アメリカに代わって最大の資金拠出国になる見込みです。
今年の年次総会で中国代表団の団長は、「中国は実際の行動によって、WHOと多国間主義を支えます」と演説し、アメリカの一国主義的な姿勢とは対照的な「多国間主義」と「国際協調」を強調しました。これは、アメリカが内向きになるのに反比例して、中国が国際社会でリーダーシップを発揮しようとしている明確なサインと言えます。
今後数十年で国際秩序が大きく変化し、中国が現在のアメリカのような立場になっているとすれば、この2025年前後がそのターニングポイントだったと振り返られるかもしれません。WHOの年次総会は、単なる保健衛生に関する会議にとどまらず、世界のパワーバランスの変化を映し出す鏡となっているのです。

◎飯田和郎(いいだ・かずお)
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。2025年4月から福岡女子大学副理事長を務める。
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