パンチ効いてる!映画「サブスタンス」の魅力に迫る!

現在公開中、かなりパンチがある2025年上半期最注目作品の一つとなる映画『サブスタンス』。昨年5月のカンヌ映画祭での初お披露目から足掛け一年ずっと、映画業界で「とんでもない映画が生まれてしまった」とばかりに、かなりの熱量で話題を席巻し続けてきたこの映画が、いよいよ日本に上陸した。そのとんでもない魅力を、RKBラジオ『田畑竜介GrooooowUp』に出演したクリエイティブプロデューサーの三好剛平さんが熱く語った。
新しい時代の一本
本作『サブスタンス』が話題を集めた理由は無数にあるのですが、まずはこの作品を手がけたのは、長編映画は2017年のウーマン・バイオレンス映画『REVENGEリベンジ』に次いでまだ2本目のコラリー・ファルジャという新鋭の女性監督であったうえに、このあとまた改めて触れますが本作はかなり強烈な“ジャンル映画”であるにもかかわらず、昨年のカンヌでの初上映で脚本賞を受賞して以来、各国映画祭やSNSでも熱狂的な注目を集め続けており、去る3月初旬時点までに全世界の映画賞で 277 ノミネーション133 受賞。去る3月のアカデミー賞でも、受賞こそ1部門に留めましたが注目度で言えばトップクラスの一本でした。
その注目の要因のひとつとなったのが、主演のデミ・ムーアです。81年のスクリーンデビュー以来「ゴースト ニューヨークの幻」(90)や「ア・フュー・グッドメン」(92)などハリウッドの第一線で活躍してきた大女優ですが、本作では彼女が自身のかつての美と若さ、そしてこれまでのキャリアに執着する元人気女優役を演じています。それは実年齢で60歳も超えたデミ・ムーア本人の年齢や、90年代までのトップキャリアから2000年代以降低迷していった女優人生を重ねずにはいられない体当たりの役でした。そしてまた彼女はあれだけ人気を博したスター女優であったにも関わらず、実は俳優としての主要な映画賞はひとつも獲得しきれずにここまできたキャリアでもあったわけですが、いよいよ本作における熱演によってゴールデングローブ賞の主演女優賞を獲得するほか、数々の映画賞で女優としての最高賞を席巻しました。
さぁそれではここからそのあらすじをご紹介したいと思います。
元トップ人気女優のエリザベスは、50歳を超え、容姿の衰えと、それによる仕事の減少を気に病んで、ある新しい再生医療〈サブスタンス〉に手を出した。その謎の違法薬品を接種するや、バスルームで気絶したエリザベスの背中を破って、脱皮するかの如くひとりの若く美しい新しい女性「スー」が誕生する。抜群のルックスと、エリザベスの経験値を持ち合わせた、いわばエリザベスの若き上位互換ともいうべきスー。その登場に、新たなスター誕生と色めき立つテレビ業界。彼女はたちまちスターダムを駆け上がっていきます。
ところが一つの精神をシェアする「同一の存在」でもあるエリザベスとスーは、それぞれの生命とコンディションを維持するために、一週間ごとに入れ替わらなければならないという厳格なルールがあるのですが、徐々にスーはそのルールを破りはじめ—というお話です。
そんな本作は、先ほどからも何度か予告しているように、かなり強烈な映像表現を伴ったジャンル映画で、具体的には「ボディホラー」と呼ばれるジャンルの映画になります。「ボディホラー」とは簡単に言えば、「肉体の変容や破壊の恐怖を描いたホラー映画」ということになりますが、この映画においてもある人間の肉体の変容がやがて凄惨で阿鼻叫喚な顛末を迎えていく、ストレートに言えばかなり生々しくグロテスクな映画になっています。ですので、そういう表現が苦手な人には明確に警告を出しておく必要がある映画ではあるのですが、同時にその極端な過剰さも含めて笑ってしまうしかないブラックコメディ的な映画でもあります。しかしこの映画がそれほどまでにグロテスクで悲惨な作品として生み出されなければならなかったこと、そしてそんな作品であるにもかかわらずいちジャンル映画の扱いにとどまらず世界中で高い評価を集めたことには、やはりこの映画の過剰なグロテスクさこそが、現代社会に蔓延る外見至上主義(ルッキズム)や年齢による偏見や差別(エイジズム)といった醜悪な現実の暴力性をそのまま鏡写しにしてしまったからに他なりません。
ここで、本来の映画紹介的には反則なのですが、コラリー・ファルジャ監督自身が本作に寄せて発したとされる言葉を全文引用したいと思います。おそらく2分程度、短くはない引用を三好の拙い朗読でお届けすることになりますが、正直これ以上に的確にこの映画の魅力と“見るべき理由”を述べたものは無いと思ったもので、どうかお付き合いください。
「女性のからだは、永らく公の場で好奇の目、幻想、批判に晒されてきました。セクシーで、笑みをたたえ、スリムで、若く、美しくなければ、世間の人々に認められないと思わされてきました。広告、映画、雑誌、ショーウィンドウなど、私たちの周囲に存在する「あるべき姿」は、常に美しく、スリムで、若く、セクシーな姿です。そのような「理想の女性」であれば、愛がもたらされると思わされるのです。成功も、幸福も。
そして、年齢、体重、からだの輪郭などが、その理想の型から外れていく時、世間は、「お前は女としてもう終わりだ」と私たちに宣言します。この仕打ちは、ソーシャルメディアを利用する若者の間で、さらに極端になってきています。どんなに高い教育を受け、強い意志を持ち、自立していようとも、この現実を避けることはできません。
私は、これこそが女性の監獄だと考えます。私たちの周囲に築き上げられてきたこの監獄は、支配と抑制の道具として私たちを押さえつけます。しかしこれは、私たち自身が求めた監獄でもあります。
私は 40 代に突入しようとしていた頃、もう人を喜ばせることも、価値のある人間だと思われることも、愛されることも、人の目に留まることも、人の関心の対象になることもないと思い込み、自分の人生が終わってしまったと絶望感に苛まれました。ある年齢に達したら価値がなくなるなんて、くだらない考えが私の頭の中にも芽生え、頭を占領していったのです。
全くナンセンスだと思いませんか?
そこで、本作の脚本を書こうと思い立ちました。この現実に立ち向かいたかったのです。
本作は、「これを吹っ飛ばす時が来た」と宣言しています。2024 年になってまで、こんなにくだらないことが続いていること自体が、ちゃんちゃらおかしいからです。この作品を描くにあたり、過剰さを追求することで、私の内に存在する「モンスター」を解き放ちたいと思いました。その「モンスター」とは、隠しなさいと教え込まれてきた自分の一部のことです。それは、不完全で、老いつつあり、変化を遂げている自分の一部であり、その姿、行動、考え方は、女性である自分にとって不適切だと思い込んできたものです。それは、女性たちをあまりにも長い間抑制してきた束縛から解放するために、女性の肉体を破壊して戯れます。
長い間、自分を抑えるようにと押さえつけられてきたから、その真逆のことをするのです。
社会が、暗黙のうちに従えと教えてきたルールを用いて、女性たちを破壊してきたのと同じ方法で、からだを虐げ、あざ笑い、破壊します。そのため、非常に生々しい描写を用いました。
同時に、最高に面白おかしくもある映画にもしました。世間にあるルールがいかにばかばかしいものであるかを示すには、風刺が最もパワフルな武器であると確信しているからです。これは、今の時代にぴったりと合った作品です。この映画が言わんとしていることは、最終的には、解放なのです。解放は、人に力と励ましを与えるものです。」
この監督の言葉を以て、もはや他に何を言い足す必要もありませんね。映画『サブスタンス』は5月16日(金)よりT・ジョイ博多、ユナイテッドシネマほか各シネコン等で公開中です。2025年再注目の一本です!どうかお見逃しなく。
※放送情報は変更となる場合があります。