財津和夫、マーラーのアダージョに「自分の中の苦しみが取れていく」音楽の救いの力を感じた時

TULIP・財津和夫が、時には、音楽の持つ不思議な力を考えてみるRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』。8月10日の放送では、財津自身が音楽に救われた時の経験談を少しだけ熱く語ります。

「そこが変だと思う」と書かれたファンレター

ファンレターって何が書いてあるのですか、という質問のお便りを頂戴しました。
財津「ファンレターは、ファンの気持ちが書いてある」
下田「確かに」
財津「でも、最近のファンレターは本当にチョロっとしか来ませんけど、それには時候の挨拶と、『お互い頑張りましょうね』ってしか書いてないです」
下田「そうですか。でも、例えばコンサートの感想とかは?」
財津「それは、時々書いてありますけども、でも『楽しかったです』としか書いてないです」
下田「いや、『大好き』って書いてあるでしょ」
財津「それは社交辞令的に書いてありますけど」
下田「いやいや、社交辞令じゃなく、好きじゃなきゃファンレター書きませんよ。『結婚してください』とか」
財津「それはもちろんありましたよ。それは向こうだって。もう勢いで書いてるから」
下田「勢いでねー」
下田アナはどうやら、財津若かりし頃のファンからのラブレター話を期待しているようですが、前提条件がお互いすれ違ったままでは、昔のファンレターと今のファンレターとの話が混在して嚙み合いません。残念ながら聞き手の誘導・切り分け不足のようです。

財津「あ、そうだ。1個思い出した。ソロアルバムの中のある曲で、『ここちょっと変だけど、あえてこんな感じでぶつけてみよう』ってアレンジしてやった曲の、そのピンポイントで、『そこが変だと思う』って書いてきたファンがいましたよ。それはしばらくずっと心に引っかかってたな。『その通りだよな、バレたかぁ』と思ったんです、『根雪』っていう曲(1978年発売の財津初ソロアルバム『宇宙塵』に収録)なんですけど。そういうピンポイントを突いてくる人がいるんですよね。もしこのラジオ聞いてたら、今の返事くださいね。この人、なんていうんですかね、ミーハーじゃなくて、音を聴いてくれてるんだって思うと、なんか引っかかっちゃって引きずられました」
心に残るお便りというのは、ファンレターに限らずどこか一味違うもの、のようです。

「音楽の力凄いな」って、思いました

TULIPや財津の楽曲に助けられてきたというリスナーから、財津自身が音楽に救われた経験についての質問のお便りを頂戴しました。
いつもは答えを考えながらゆるりと口を開くことが多い財津ですが、今回は間髪入れず即答します。
財津「あります。救われました。まず大雑把に言うと、生まれたときからずっと救われてます」
大雑把というよりちょっと宗教的、いや哲学的な切り出し方です。
財津「一番救われたなって思うのは、鬱っぽくなっちゃったときがあって。50代、55歳ぐらいかな。眠れなくなっちゃったりとか、大変だったんです。コンサートは控えてるのに、眠れないっていうのが一番辛くて、いろんな音楽を聴いたんです」
病気の時に音楽に助けられた、と言うのですが、意外にも大腸がんが見つかった時ではないんですね。

財津「マーラーの確か交響曲5番のアダージョ(アダージェット)なんですけど、健康な時に聴いたら、ひょっとしたら苦しくなる曲かもしれない。天井に、空に引っ張られていくようなそんな感覚のする音楽なんですけど、苦しかった時に聴いたら、凄い。なんかどんどん自分の中の苦しみが取れていくような、そんな感じがしたんです。もう本当に気持ち良くなって、何度も何度も聴きました。寝る前に聴くと、なんか眠れる。音楽の力凄いなって、思いました」

下田「そういう苦しいときだけでなく、日常として聴くことありますか」
財津「いつもいつでも聴いてますよ。今はスマホがあるから、どんな曲でも好きなときに聴けるじゃないですか。聴き始めるとどんどん何か紐づけで出てきちゃうんで、止められなくなるんですけど、何でも聴いてて楽しい。スマホのおかげでいろんな楽曲を、才能を聴く事になっちゃって、『こんなすごい奴いっぱいいるんだ』って思い始めてからだんだん何か暗くなってきたかな」
下田「やっぱり、プロとして聴くからね」
楽しくなったり、暗くなったり。聴き過ぎにはどうぞご用心くださいませ。
財津「井の中の蛙でいたかったな。そのままこの辺で生活していると、『財津さん凄いですね』って言われたりするんだけど、いろんな音楽を聴くと本当にちっちゃい社会で生きてるなって思います。上には上がいるから頑張りたい、と思ってももう年齢も年齢だし。これから頑張っても無理だし、諦めて海の近くで細々と雑草をちぎりながら生きていこうと思ってます」
おやおや、音楽に救われる話なのに、最後はまた自虐的ギャグで締めるようです。

今日の一曲はTULIP『TULIPIANの服を着た君』。1988年のアルバム『そんなとき女を好きになる』に収録されています。このアルバムが発売された翌年、TULIPは解散という選択をすることになります。
ちなみに、リスナーからのリクエストメッセージには、大阪・富田林市のトークショーで財津の生着替えを見ることができた、などちょっと面白いことがレポートされています。
財津「ちょっと待って、ちょっと待って。生着替えって…思い出した、着替えじゃない。ステージがめっちゃ寒かったんですよ。それで『ちょっと待ってください』って言って、途中でコートを取りに行ったんです。それでも寒くて、温かいお茶をズズズっと啜って。ほら、職業病で、とにかくマイクの前にいなきゃいけないと思っちゃってるじゃないですか。だから、マイクを外せばいいのにわざわざマイクの前に行って飲んじゃったんで、マイクを通してズズズが聞こえたんですよ」
下田「ファンにはたまらないと思います」
コートを取りに行った時は、マイクの前をしばらくの間離れたんでしょうけど…なぜかしきりに弁明する財津でした。

次回8月17日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
「アカペラ」についてお話をします。

財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、下田文代
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※該当回の聴取期間は終了しました。

止まった時計に、また命を。関西から茨城へ移り住んだ68歳が紡ぐ時間

6月10日は「時の記念日」です。誰もが年齢を重ねるほど、時が経つのが早く感じるものです。最近は終活を意識して、人生に残された時間を考えている方も少なくないでしょう。今回は終活を始めたつもりが、忙しい毎日を送ることになった、時計屋さんのお話です。

湯川貴弘さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京駅から常磐線の中距離電車で1時間あまりの茨城県牛久市。JR牛久駅前のショッピングセンターにオレンジ色の看板の時計修理専門店があります。お店の名前は、「町の時計屋さん 匠」。開店4年あまりですが、その高い技術に、修理が1年2か月待ちになるほどの人気です。

ご主人の湯川貴弘さんは、兵庫県のご出身で、1957年生まれの68歳。シベリア抑留から引き揚げてきたお父様が開いた時計の専修学校「湯川時計学院」で、高校に通いながら時計の技術を学び始め、23歳からは自らも教壇に立っていました。

物心ついた時から時計に囲まれて育ってきた湯川さんですが、ものづくりに憧れたのは、車のプラモデルと、アニメ「チキチキマシン猛レース」がきっかけ。作るだけでは飽き足らず、自分で作ったプラモデルの車同士を思い切り衝突させて、どこに力が加わると、どう壊れるのかを調べることに興味を持ちます。

プラモデルを作っては壊し、作っては壊すことで、車の複雑な構造を把握した湯川さん、ものづくりの基本を、プラモデルを通じて体で憶えていきました。自然と興味・関心も時計へと向いて、お父様と一緒にお店と学校を支え、やがてお父様から受け継いでいきました。

「直した時計を手にすると、お客さんが喜んでくれるんです。その喜ぶ顔を見たいという気持ちだけで、修理を続けてきました」

町の時計屋さん匠

そんな湯川さんでしたが、60歳を過ぎた頃、体調を崩してしまったことをきっかけにいわゆる「終活」を始めることを決意、自分のお店を閉めてしまいました。そして、自宅を売り、長年使い込んだ時計の修理道具も一切処分してしまった湯川さんの脳裏に、ふと、こんな考えがよぎります。

『一度きりの人生、せっかくなら、全国から条件に合う住まいを探してみようか?』

2020年、湯川さんはインターネットで北海道から沖縄まで物件を探し始めました。検索条件は「雪があまり降らない」「コンビニ・スーパーが近い」「鉄道駅が近い」の3つ。予算内でこの条件をクリアできる街は、いったいどこか???パソコンの画面に現れた街は……なんと!茨城県取手市でした。

『茨城県ってドコ?大阪の茨木市しか知らんけど、牛肉より豚肉を食べる機会が増えるくらいで、まあ、何とかなるんじゃないか?』

湯川さんは、還暦を過ぎて初めてふるさと・関西を離れ、遠く離れた関東での暮らしを始めましたが、気になったのは、やはり時計です。近所の時計屋さんに電池の交換をお願いしましたが、その作業内容に、どうも納得がいきませんでした。

『お客様のためになる、ちゃんとした時計屋さんが、街に1軒ぐらいはないといけない!』

奮い立った湯川さんは、改めて時計の電池交換が出来る小さなお店「町の時計屋さん 匠」を、取手駅の近くで開きます。最初は電池交換を行う程度でしたが、茨城でも湯川さんの腕の良さが評判を呼んで次第にお客さんが増え、いろいろな時計が持ち込まれるようになっていきました。

「ほかの時計屋さんはどこも直してくれないんです。ご主人ならきっと、出来ますよね?」

そう頼み込まれると職人の血が騒ぐ湯川さん、改めて修理用の道具一式を揃えます。縁あって、取手から郊外の牛久に移転すると、さらに持ち込まれる時計が増えました。実は牛久周辺、まだまだ農家が多くて、昔からの蔵が残っているお宅も多いんですね。その蔵のなかで眠っていた古時計が、お店に運ばれてきたというわけなんです。

大正生まれの時計を修理する湯川さん

日々、100年物の、レトロなぜんまい仕掛けの古い時計と格闘する湯川さんですが、電池で動くクォーツ時計の修理にも対応するなど、時代に合わせ、腕も磨いています。時計メーカーに部品が無くなってしまったら、自らの3Dプリンターで、部品を手作りして、修理してしまいます。

「時計は、結婚の記念で買い求めたり、形見として親から子供に受け継がれたりする、まさに人生の相棒のような存在なんです。そんな大切な時計の針が再び動き始めると、皆さん、涙を流して喜ばれます」

そして湯川さん、時計の鐘が鳴り響くお店で、笑ってこう話してくれました。

「終活を始めたつもりが、前より忙しくなって、今は『時計』に追われてます」

関東・茨城でもまた、様々な人の思いが詰まった時計に、新たな命を吹き込み続けます。

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