財津和夫、TULIPのアルバムジャケットに梅干しとナイフとフォークを並べた理由は

TULIP・財津和夫が、時には自分達の楽曲を世に出した時の工夫を明かしてみるRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』。10月5日の放送では、TULIP作品の中で自分が気に入っているレコードジャケットについて語ります。
 

上はジャケット、下は袴

TULIPのLPジャケットは今でも素敵だと思う、中でも『僕が作った愛のうた』のジャケットが一番好き、というお便りを頂きました。
下田「スタジオに、財津さん(TULIP)の作品の一部ではありますが、LPジャケットを並べました」
財津「重いのにね、こんなにたくさん持ってきていただいてありがとうございます」
下田「アートですよね」

財津「いやいや、昔はジャケットをどうするかっていうので、本当に時間がかかりました。ジャケットって、でっかいじゃないですか。だから、結構見た目の印象で『こんなバンドなんだな』とか『こんなアーティストなんだな』とか思われちゃうんです。なので、いろいろ工夫しましたよ」
下田「喧々諤々?」
財津「本当ですね、バンド(メンバー)がいると、いろんな意見が出ますから」
下田「喧嘩になったりしませんでしたか」
財津「喧嘩になるようなことはなかったですけど」

財津「僕が印象的なのは『日本』かな。僕らがやってるのは洋楽志向のバンドだったんですけど、洋楽が日本に入ってからまだ日が浅いじゃないですか。だから洋楽やっていても、日本人から抜け出せないんですよ。上はジャケットを着ていても、下は袴を履いてるような、そんな感じを自分たちも持っていたんです」
第2次世界大戦後、FENやビートルズ等の影響を受けて育った財津の、偽らざる心境なのかもしれません。
財津「なので、ちょっと皮肉っぽく白いお皿に梅干しを一個置いて、それを日本の国旗みたいなイメージにして、ナイフとフォークで頂いてますよ、みたいな雰囲気の写真をシニカルに撮ったっていうことです」


財津「これが結構評判が良くて、(周りの人々が)面白いねと言ってくれました」
下田「メッセージでもありますよ」
財津「そうですね、まだまだ私達は洋楽ができていないよ、っていう意味合いを込めて作ったんですけどね」
 

昭和歌謡界のラスボス

下田「私が気になったのは、この『無限軌道』のアルバムです」
財津「ちょっと恥ずかしいですね、私の顔がドアップで」
下田「ティアドロップのサングラスして」
財津「はい。サングラスの中にメンバーが写り込んでるっていうジャケットなんですけど、若いですね私の顔。どっちが表かわかりませんけど、片面白黒で」


財津「サングラスのところだけがカラーで。(ジャケット写真の)反面はそのカラーで」
下田「へえー、やっぱり想いを感じます」
財津「いろいろ工夫があったんですよ」
サングラスの中に写っているメンバーは、現代のようにCG合成やAIではなく実際にサングラスのレンズに写っているものをフィルムカメラで撮ったようで、メンバー立ち位置を変えて何度も取り直した、というエピソードも残っています。

下田「今、改めてLPレコードの<ジャケ買い>を楽しむ若者も増えてきていて」
財津「ジャケ買い、って言うんですか」
下田「ジャケットを見て『イイな』と思って買って、そこで音楽と出会うという方法もあるらしいです」
財津「若者っていい言葉を作りますよね。昨日覚えた言葉あるんですよ、えーと…アニメで最後にボスが出てきて…」
下田「ラスボス」
財津「それそれ、ラスボスだ。よく知ってますね、下田サマなんで知ってんの?」
下田「なんでしょうね、やっぱりインパクトのある言葉ですから」
財津「ラスボスて何だろうと思って調べたら、『ラストでボスが出てくるインパクト』だって」
下田「そうですよ。昭和歌謡界のラスボスとして、財津さん、頑張っていきましょう」

今日の一曲はビートルズ『If I Fell』。財津自身、この曲が好きだと、ソロコンサートでも明言しています。
財津「これを聞くために、学校から走って帰りました。今日のベスト3っていうラジオ番組があって、全部ビートルズだったんです。1位から3位、3曲しか流せない番組なのに全部ビートル。本当にラジオに耳をくっつけながら聴きました」
日本で1964年に発売された時は、『恋におちたら』という邦題で発表されました。

次回10月12日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
久しぶりに、財津へ10の質問をします。

財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、下田文代
番組ホームページ

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※該当回の聴取期間は終了しました。

自動車修理工場の女性社長が「自動販売機のハンバーガー」を開発

トラックなどのドライバーさんのなかには、昭和の頃は、よく幹線道路沿いにあった自動販売機のハンバーガーで、お腹を満たした経験がある方もいらっしゃることでしょう。じつは最近、令和版の「自動販売機のハンバーガー」がじわりじわりと増えているんです。今回は、この自動販売機のハンバーガーを手掛けている自動車修理工場の方のお話です。

ハンバーガー自販機と小林さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京・新宿から中央道の高速バス、または新幹線と飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで、およそ4時間の長野県飯田市に「ガレージいじりや」という自動車修理工場があります。敷地内には、トヨタ・パプリカ、マツダ・シャンテをはじめ、昭和の車がズラリ。しかも、工場の前にある懐かしい自動販売機コーナーが目を引きます。

お店の代表・小林由季さんは、埼玉県出身の41歳。小さい頃、ちょうどミニ四駆が大人気だったこともあって、クルマに興味を持ちました。19歳でオートマチック車限定の運転免許を取ると、街を颯爽と駆け抜けていった、白い「マツダ・RX7」に心躍ります。

『カッコいい!あのクルマに乗りたい!!』

そう思った小林さんは、知り合いの自動車関係者に相談すると、軽くあしらわれました。「RX7? アンタ、あのクルマ、マニュアルだし、ロータリーエンジンって知ってるの? 乗りたいなら、自分で自動車が整備出来ないと、まず無理だよ」

愛車のマツダ・シャンテと小林さん

マニュアルもロータリーエンジンも、全くチンプンカンプンだった小林さんですが、乗りたい思いが高まって、マニュアルで免許を取り直し、自動車整備士を目指します。男社会の自動車修理工場で、厳しい試練を乗り越えて、見事、整備士資格を取得。縁あって信州に移り住むと、趣味で借りたガレージで、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤへの履き替えを請け負ったことをきっかけに、2010年、自ら自動車修理工場を立ち上げました。

やがて、工場のスタッフが昭和43年製・スバル360の修復を成し遂げたことから、小林さんも古い車に興味を持ち、旧車が続々持ち込まれて、車雑誌にも注目されます。あれよあれよと、旧車好きならまず知らない人はいない工場に成長。小林さんは雑誌連載企画で、旧車でレトロな自動販売機巡りをすることになりました。

ところが、ここで小林さんは大変なことが起きていたことに気付くんです。

『大きな道路沿いにたくさんあったハンバーガーやうどん・そばの自動販売機コーナーがどんどん無くなっている……』

24時間営業のコンビニエンスストアが増えた一方で、自動販売機は経年劣化、オーナーさんの高齢化も進んで、自動販売機コーナーは次々と姿を消していたんです。そんな折、小林さんはお祖父さまを亡くしたことで、小さい頃、自動販売機のハンバーガーをなかなか買ってもらえなかった記憶がよみがえりました。

『あの思い出の、自動販売機のハンバーガーを残したい。ならば、ハンバーガーを作っている食品メーカーを助けよう!』

自動販売機コーナー

そうひらめいた小林さんは、さっそく自動販売機用のハンバーガーを仕入れます。自動車工場の前に冷蔵機能付きの自動販売機と電子レンジを設置して販売を始めると、ちょうどコロナ禍と重なったことで、テイクアウトのニーズをつかんで大繁盛。各地のレトロ自動販売機で売れたハンバーガーのおよそ4倍を1台で売り上げました。

小林さんはもうイケイケドンドン、自動販売機を増やして各地で大人気となりますが、あまりの売れ行きにハンバーガーメーカーのほうが悲鳴を上げてしまいます。安定した納品が出来ないので、もう勘弁してくれませんか、と言われてしまったのです。代わる製造業者も無く、困り果てた小林さん、思い切りました。

『ハンバーガーを作ってくれる会社が無いなら、自分の会社で作ってしまおう!』

もちろん、小林さんは自動車整備士ではありますが、食品の知識は全くゼロ。体当たりで、様々な食品製造に関する許可や食品衛生を、片っ端から学んでいきます。食品部門の「いじりやフードサービス」も立ち上げ、ハンバーガーを作ってみましたが、パンはパサつき、肉の脂は溶け出し、レタスなどの生野菜は安全性の面で使えません。しかも、自動車修理工場と食品工場の二刀流で、睡眠時間3時間の日々が続きました。

ふんわりバンズのチーズバーガー

それでも試行錯誤を繰り返し、味やソースにもこだわったチーズバーガーに辿り着いて、安定した製造、出荷も出来るようになりました。今は、全国で39台の自動販売機が元気に稼働中。自動車修理工場生まれの自動販売機とハンバーガーは、各地域で話題になっています。

「気合と根性でやってきました」と笑う小林さんですが、やりたいことはいっぱいです。

「レストランもやってみたいですし、クルマのテーマパークがあっても面白いですよね。ハンバーガー片手にみんなに巡ってもらって。夢は大きく持てば、きっと叶います!」

「RX7に乗りたい」から始まった小林さんの夢、今はまだ、その途中です。

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