財津和夫、自分のラジオ番組は足掛け30年やっているけれど生番組は・・・

TULIP・財津和夫が、時にはラジオでの自身の歩みを振り返るRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』。12月28日の放送では、若かりし頃からのラジオ番組での喋りについて、その歩みと想いを語ります。

ファンと勇気の与え合い

あっという間に年の瀬。今回が2025年最後の放送となりました。
財津「12月と思っていたら、もう来年かい、みたいな」
下田「そうですよ。どんな1年でしたか」
財津「ハアー(深いタメ息)」
下田「(笑)なんでタメ息なの」
財津「ものすごい大きなため息が出た。このタメ息はですね、早いなっていう…この前1月だったような気がする」
下田「そうそう。2025年はソロコンサートで全国を駆け回りました」
財津「おかげさまで。皆さんが来てくださるんで、私も勇気に繋がりますよ。若い頃はがむしゃらにドンドン、何が何でもっていう感じで出来たんです。周りも見なかったし」

財津「何年か前まで、『財津さんが元気で歌ってくださったら、私達は元気にいられる、勇気をもらえるんです』って(ファンから言われた言葉を)『そんなことなかろうもん』とか思ってたんですけど、最近はそれが(本当にその通りだと)わかるようになって。自分が皆さんの元気を求めて、元気を貰えて僕が仕事に臨める。そんな気分になってまいりました。本格的に歳とったってことですよね」
下田「いやいや、でもそれはとってもいい事かも」

財津「そうですかね。まあ、僕にとってはいい事ですけども」
下田「いい事ですよ。だって、若いときに感じなかったものを、歳を重ねて感じられるっていうのは」
財津「だからこういう逆回転する経験を、実感として体験すると、感謝っていうのが生まれる。今まで、相手に対して感謝できなかった事が、実は自分が相手の立場と同じだったんだ、っていう事を感じると、感謝っていうのは素直にできますね」

ラジオ番組は昔から長年やってます

財津がラジオ番組を担当する立場になってからの、気持ちの変化を尋ねるお便りを紹介しました。
財津「こんなこと言ったら怒られるかもしんないけど、ラジオってテレビより気楽ですよね。そこがラジオのいいとこだと思う。思い切ったことを喋れるし。何を喋っても顔が見えないじゃないですか。どんなこと喋っていてもわかんない。本心がどこにあるか、顔見られない」
下田「テレビだと、いろいろ気にするところが多いでしょう」
財津「でしょう。緊張しないから、本当にラジオっていいなと思うんです」

財津「僕、実はですね、1975年(から)」
下田「ほー」
財津「大昔ですね。13年間、名古屋で東海ラジオの『財津和夫の人生ゲーム』をやっていました。それからちょっと休みまして、2001年から13年間、また『人生ゲーム21』っていう(番組をやっていました)。「21」とは、21世紀という事。で、1人喋りやらされましたね。1人喋りはホントにつらかったな。だって、全責任じゃないですか、甘えられないし。今なんて、僕もう下田さんに甘えっぱなしで、本当にすみません」

下田「いやいや。これ、時間的にはどれくらいの時間で放送されたんですか」
財津「弱小番組だったんで、あっちこっち行ったり来たりしてましたけど、深夜でしたね」
下田「それは生じゃなくて収録で?」
財津「はい、もちろん。生なんてとんでもない。何を言いだすかわかりませんから、僕」
下田「へえ、お1人でどんなお話をされてたのでしょう」
財津「当時はメールとかなかったんで、ハガキで貰ってハガキを読むという、いわゆるオーソドックスなディスクジョッキーやってました。いやあ懐かしいなこんな話」

財津「このラジオ(『人生ゲーム』)で喋ったおかげで、名古屋へ行くと皆さんコンサートにもたくさん来てくれるし。名古屋城で屋外ライブやった時に、それができるくらい(たくさんの入場者があり、)名古屋の方に親しみを持っていただきました」
下田「そうですね」
財津「ありがたいことではございますが、この番組が長寿番組になるかならないかは、下田さん次第なんで、よろしくお願いします」
甘え&人任せの極み!?

今日の一曲は、TULIP『あいつが去った日』。ファーストアルバム『魔法の黄色い靴』(1972年発売)の冒頭に収録されています。以降、ライブでもたびたび歌われ、1997年に発売されたライブアルバム『Live Act Tulip '97 Magical History Tour』にも冒頭に収録されています。

DJの大先輩

実は、本日12月28日はディスクジョッキーの日に制定されています。
下田「その由来ですけれど、日本で最初の本格的なディスクジョッキーとして活躍された糸井五郎さんの命日(1984年12月28日)、という事なんです」
財津「なるほど」
という事で、DJ糸井五郎による、当時のオールナイトニッポンのオープニングを少しばかり聴いてみます。

下田「この音楽・テーマソングは今も続いていますよね」
財津「この曲はやっぱりあの聞き馴染みある」
下田「深夜番組といったらこの曲ですね。語り口っていうのは、何か時代を象徴します」
財津「昔のNHKさんみたいな感じの雰囲気もしますね」
下田「そうなんですよ。そしてこの番組で、1963年2月には『ビートルズ』の『ラブミードゥ』を日本で最初にオンエアしているそうなんです」
財津「ウッワー」
下田「すごいですね」
財津「へー、たったそれだけの事でこんなに驚いてしまうようなくらい、ビートルズがすごいって事ですね」
下田「やっぱり、メモリアルな日でもありますけれどもね。このDJのディスクジョッキーの日にちなんで、財津さん、来年もぜひこの『虹の向こう側』で、ジョッキー財津として…」
財津「もう落馬しそうですよ、本当もう年だからね。頑張ろう」

次回1月4日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
新年にまつわるお話をします。

財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、下田文代
番組ホームページ

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※該当回の聴取期間は終了しました。

パンサー尾形、メッシ引退を語るも……サンド富澤への“まさかの一言”にスタジオ爆笑

10月10日(土)、お笑いコンビ・サンドウィッチマンの伊達みきおと富澤たけしがパーソナリティを務めるラジオ番組「サンドウィッチマン ザ・ラジオショー サタデー」(ニッポン放送・毎週土曜13時~15時)が放送。この日は療養中の伊達に代わって、お笑いトリオ・パンサーの尾形貴弘が出演。番組内では、先日、アルゼンチン代表を引退したリオネル・メッシの話題に触れる場面があり、仙台育英高校時代に背番号10をつけるほどの実力者でもあるサッカー経験者の尾形が、メッシの引退について自身の見解を語った。

富澤たけし(サンドウィッチマン)、尾形貴弘(パンサー)、東島衣里アナウンサー

尾形:テクニック(系)だから、歳(を重ねて)でもできるんですよ。僕みたいなゴリゴリの体力系だと年取ったらできないんですけど。

富澤:あぁ、そうなんだ。

尾形:メッシみたいにテクニック系だったらもっともっと出来るんですよ、本当は。でもここで引退というのはカッコいいですよね。

体力を武器にする自身とは対照的に、卓越した技術を持つメッシは年齢を重ねてもプレーを続けられるはずだと分析した尾形。それでも、限界を迎えてからではなく、まだまだ活躍できる余力を残して引退を決断する姿勢に、アスリートとしての美学を感じている様子だった。さらに尾形はメッシの最後のメッセージについても言及するのだが、そこから思わぬ方向でサンドの2人へと話題が飛び火する。

尾形:(メッシから)アルゼンチンの代表のみんなに「俺がここまで来たのは周りの選手たちが助けてくれたからだ」みたいなメッセージを残して。(それを受けて)泣いてましたよ、選手たちが。

富澤:そうですね。

尾形:アルゼンチンって、メッシのためにっていうのが、凄いあるんですよ。メッシがあんま動かなくていいために。

富澤:みんなが体を張って。

尾形:だから凄い(チームメイトに)愛されてるんですね。だからサンドさんみたいなもんですよ。

富澤:どういうこと!?(笑)

尾形:あんまり動かなくて、飯ばっかり食って、周り(芸人やスタッフ)が動いて。

富澤:やめろや!飯ばっかり食っててとか言うなよ!

尾形:だから芸能界のメッシですよ。飯ですよ、飯!

富澤:日本の飯だと、サンドウィッチマンは?なんだそれ!(笑)

アルゼンチン代表の中心に君臨するメッシと、お笑い界で確固たる地位を築くサンドウィッチマン。尾形の独特な視点によって両者がまさかの形で結び付けられ、スタジオは大きな笑いに包まれていた。

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