絶滅寸前の「宮型霊柩車」がいま、海外で見直されている!?

神社・仏閣のような豪華絢爛な装飾を施した霊柩車。今や走っている姿をほとんど目にすることがなくなった。しかし、この霊柩車が海外のコレクターの間で人気になっているという。庶民文化研究センターの所長で、霊柩車研究をはじめて約30年という町田忍さんが、RKBラジオの朝の情報番組『櫻井浩二インサイト』で解説した。

町田忍氏

町田忍さん(以下、町田):あの霊柩車は「宮型霊柩車」といい、極楽浄土の入口をあらわしています。不吉と捉えられがちですが、むしろ縁起が良い存在なんです。なにせ、現世と来世をつなぐ架け橋なんですから。

櫻井浩二アナウンサー(以下、櫻井):それが、いま海外で注目されている?

町田:アラブの人やカリフォルリニアの人なんか、買う人がいるほどなんです。アメリカには“霊柩車博物館”もあるぐらいで、普段乗っている人もいるとか。ゴーストバスターズの人形つけたりして(笑)

櫻井:宮型霊柩車、日本ではいつごろから走っているんですか?

町田:大正末期から昭和初期の大阪で誕生したとされています。その後、東京に来て全国に広がりました。霊柩車の原型は大正11年、大隈重信がトラックに棺を乗せて走ったのが最初だと言われています。トラックと神輿を合体させて霊柩車ができたんです。これは車で運ぶ前に人が棺を運んでいたことに由来するのでしょう。

櫻井:宮型霊柩車って、見かけなくなりましたね?

町田:国内では減少しています。最盛期は40年前です。当時の福岡県のデータを見ると、宮型霊柩車は25台、ステーションワゴンの洋型霊柩車が17台、バス型が59台でした。今はあったとしてもおそらく数台だと思います。減っている理由は、宮型霊柩車を作る職人さんがいないこと。さらに費用がかかること。車自体の車種がキャデラックやリンカーンで、1台作るのに数千万円かかります。直射日光が当たらないようにするなど、手入れも大変です。関西では年に1回、表面を削るんです。でも、何回も削るとスカスカになるので、漆を塗ってランクを下げて使うんです。そういう問題もあって、宮型霊柩車をゼロから作ることはもうありません。つまり、今現存しているものがなくなったら、おしまいなんです。また、火葬場の近所の人からの「宮型霊柩車を見たくない」という声もあり、どんどん洋型霊柩車に変化していきました。

町田:僕なんかは絶対自分の時は宮型を使いたいです。現役として使われなくなったとしても、博物館などに残してほしいですね。地方は葬儀屋さんが持っているケースが多いですが、東京や関西は霊柩車の配車専門会社があります。ボディに葬儀屋さんの名前が入っていると自社の霊柩車、名前が書いていない場合はレンタル…なんていう見分け方がありますよ。

人生の幕引きにふさわしい!?宮型霊柩車。見かけることがあったらそれはかなり「ラッキー」なことなのだ。

櫻井浩二インサイト
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
出演者:櫻井浩二、田中みずき、町田忍
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※放送情報は変更となる場合があります。

山下達郎が絶賛を惜しまない「1枚の絵の歌風景」を詞で紡いだ吉田美奈子

吉田美奈子の名盤「MINAKO」 ©STVラジオ

シンガーソングライターで"選曲家"の松崎真人が、'70~'90年代の日本の曲・日本語の曲を中心に"厳選かけ流し"(イントロからアウトロまでノーカット)でお届けするSTVラジオ・真夏の特別プログラム『ナイタースペシャルMUSIC☆J~日本語ロックの8人』。3日(火)は、山下達郎&吉田美奈子を特集しました。「描く風景からフォーク的情緒を切り離した」という視点で松崎真人がセレクトしました。(文中敬称略)

松崎:私が初めて自分のお金で買った山下達郎のアルバム「MOON GLOW」の中から…

M20「永遠のFULL MOON/山下達郎」

松崎:後ろに吉田美奈子の声が聞こえる山下達郎を聴くと、やはりその時の気持ちに戻りますね。時代背景から言うと、いま良い詞をたくさん書いている山下達郎からすると意外なんですが、歌詞に苦手意識があったとご自分で何度もおっしゃってます。それと、当時の流行りの主流の歌詞は好きではなかったということもあるらしんです、例えばフォークとかニューミュージックといわれるものですね。情緒的すぎる歌詞は好きではない、自分の心情を吐露するような歌詞は好きじゃないと言うことを公言していらっしゃいます。

松崎:と言うと、イメージの世界を広げるような歌詞というのが大事になるんですけど、なかなか職業作詞家の中にも、それが出来る人がいなかったんだと思われます。そんな時に吉田美奈子さんは、細野晴臣とか松本隆の周辺から見いだされた方ですけど、山下達郎との縁が出来て、一緒に仕事をするようになるわけです。次の曲は、吉田美奈子のアルバム「FLAPPER」の冒頭を飾っている曲です。

M21「愛は彼方/吉田美奈子」

松崎:山下達郎が当時から今に至るまで、吉田美奈子の作詞の中で何度も絶賛している作品(曲)があります。アルバム「Ride on Time」に収められている曲ですが、今とは違って当時は、一枚の絵のような歌詞を歌いたかったんだと思います、ストーリーとかじゃなくて。

松崎:例えば「RAINY WALK」という曲では「タブロオの中へ降り続く」(編注:タブロオ=仏語で「絵画」)という歌詞が入ってるんですけど、なんか1枚の絵を見ているような歌風景というのかな、そういうのを求めていて、そこに吉田美奈子が見事に応えたということで、山下達郎が大絶賛を惜しまない曲です。

M22「DAYDREAM/山下達郎」

松崎:100色くらいある色鉛筆や色見本とかを見ながら、音楽に乗る色を拾っていったような歌詞です。山下達郎が当時、指向していたファンクとかソウルミュージックのリズムを、自分が集めたミュージシャンで再構築して、その上にメロディを載せていくという手法だと、そんなに日本語の言葉数は乗らないんです。だから、誰が何してなんとやらというストーリーを描いていくのは難しいので、こういう、言葉を置いていって1枚のイメージを鮮烈に見せるという手法が、この時期の山下達郎には合っていたんだろうなって、改めて思います。

松崎:吉田美奈子が、(山下達郎ではなく)他の方とのタッグも聴いてみたいと思います。角松敏生の作曲・アレンジで、西城秀樹に提供された曲です。角松は「吉田美奈子と組むことが出来るなら、僕は何ひとつ文句は言いません」と言ったということです。

M23「BEAT STREET/西城秀樹」

松崎:このコンビは、もっとやっても良かったんじゃないですかね。スゴく合ってますね。けっこうアレンジも攻めてるというか、途中でサウンド・コラージュみたいな部分のブレイクがあったり、後半にいくに従ってベースドラムのパターンが複雑になったりとか、なかなかに「よ~し、やってやる」と腕によりをかけてる角松敏生が目に浮かぶようです。

そして、山下達郎&吉田美奈子の特集も"サビ"です。

松崎:すでに「RIDE ON TIME」で十分に度肝を抜かれていたんです。なのに、「FOR YOU」というアルバムが出て、レコードの針を落として、この曲が聞こえてきた時の衝撃は、一生忘れないですね。そう言う人は、多いと思います。

M25「SPARKLE/山下達郎」

<松崎真人の編集後記>
「Sparkle/山下達郎」。当時の音楽誌に、「悲しいうたを悲しく歌って涙を誘う歌手は多い。が、楽しいうたを楽しく歌って人を泣かせるアーティストがどれだけいるだろうか」との一文があった。Sparkleで幕を開ける達郎のライブはまさに多幸感で大の大人を泣かせるライブ。吉田美奈子の詞はここでも「物語」を語ってはいない。少ない言葉で心象風景を描写する。このシンプルさが海外のファンにも受け入れられている秘訣なのかも知れない。(松崎真人)

<8月3日のプレイリスト>
M01「裸足の女神/B’z」
M02「目覚めたヴィーナス/森川美穂」
M03「Crawl(クロール)/大沢誉志幸」
M04「サヨナラは八月のララバイ/吉川晃司」
M05「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね/中原めいこ」
M06「お料理行進曲/YUKA」
M07「色以下/パール兄弟」
M08「完全無欠のロックンローラー/アラジン」
M09「顔/コンセントピックス」

M10「Everything/嵐」
M11「夏になって歌え/LITTLE GLEE MONSTER」
M12「新・東京/朝倉さや」
M13「Better Be Home Soon/Crowded House」
M14「夏の日のオーガズム/ムーンライダース」
M15「好きさ 好きさ 好きさ/ザ・カーナビーツ」
M16「I LOVE YOU(好きさ 好きさ 好きさ)/THE ZOMBIES」
M17「この空を飛べたら/加藤登紀子」
M18「難破船/中森明菜」
M19「はぐれそうな天使/岡村孝子」

M20「永遠のFULL MOON/山下達郎」
M21「愛は彼方/吉田美奈子」
M22「DAYDREAM/山下達郎」
M23「BEAT STREET/西城秀樹」
M24「恋のブギ・ウギ・トレイン/ANN LEWIS」
M25「SPARKLE/山下達郎」
M26「Last Step/山下達郎」

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