国交正常化50周年~2022年の日中関係を展望する

飯田和郎・元RKB解説委員長 ©RKB毎日放送

北京や台北に新聞記者として駐在した経験が長い、飯田和郎・元RKB解説委員長がRKBラジオ『櫻井浩二インサイト』にコメンテーターとして出演するようになって3か月。毎週、中国をめぐる出来事が次々と起きたが、その多くが明るい話題ではなく、日本や地域の安全保障や、経済の動向に影響が出そうな事案、また中国の人権などの話が続いた。12月30日の放送では、2021年の中国情勢を振り返りながら、日中国交正常化50周年の節目を迎える2022年を展望した。

ほぼ毎日!中国海警局の船舶が日本の接続水域で航海

328日。この数字は2021年の1年間(365日)のうち、中国海警局に所属する船舶が、尖閣諸島周辺の日本の接続水域に入ってきた日数だ。割合にして1年間のうち9割以上も入ってきた計算になる。接続水域とは、領海(12海里)の外側に、24海里を超えない範囲で設定できる海域を指す。排他的な支配は及ばず、自由に航行できる一方、自国の通関・出入国管理などに関して、法令の違反を防止することや処罰をすることができる。そのいわば「敏感な水域」に、中国の海警局の船が328日、延べ1,206隻入ってきた。さらに、中国海警局の船舶による領海侵犯、すなわち領海内に入ってきたのは、年間40日、延べ110隻あった。もともと海警局は行政組織のひとつだったが、2021年2月に新たな法律によって、準軍事組織として位置付けられている。

空をめぐってはどうだろうか。防空識別圏に無許可で正体不明の飛行機が来た場合に、航空自衛隊の戦闘機などが出動して状況確認をしたり、警告して追い払ったりする措置緊急発進(スクランブル)は、防衛省の統計によると2021年11月の1か月間だけで127回あり、そのうち104回の対象国が中国となっている。

中国も日本との関係をこれ以上悪化させたくない

こうした日本の安全保障への懸念、さらに新疆ウイグル自治区での人権問題、女子テニスプレーヤーの彭帥さんの問題、香港の自治…。非営利団体「言論NPO」が2021年秋に発表した世論調査では、中国の印象を「良くない」と答えた日本人は5年ぶりに90%を超えた。日本人の対中イメージは悪くなるばかりだ。2020年春には習近平・国家主席が国賓として来日する予定だった。コロナ禍で延期されたが、今となってはとても、習氏が国賓として天皇陛下と会見する――という雰囲気ではない。中国から日本に対する好感度も大きく下がっている。

こうした中、日本政府は2022年2月の北京オリンピック・パラリンピックに、閣僚ら政府高官を派遣しないことを決めた。ただし、政府はこの決定を「外交的ボイコット」との文脈では言っていないし、理由に「人権」の単語も使っていない。この対応に中国外務省の報道官は、アメリカやオーストラリアの時と違い「強烈な不満と断固とした反対」という表現は使わず、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長という立場で参加する橋本聖子氏の訪問を「歓迎する」とまで言っている。中国は日本との関係をこれ以上、悪化させたくないという思惑もあるのだろう。

パンダやトキにつづき…50周年はインゲン!?

2022年秋には1972年9月の日中共同声明による国交正常化50周年を迎える。中国は節目を大切にする。素直に祝う雰囲気には乏しいが、改善を模索する動きも出ている。その一例が「インゲン」。黄檗宗の開祖で、江戸時代に中国から日本に渡ってきた高僧・隠元の木像が、京都府宇治市の万福寺にある。隠元は日本に渡った時にインゲン豆や煎茶、スイカを持ち込み、日本に影響を与えた。正常化50周年を記念し、この像を一時的に中国側へ貸し出すプランがあり、両国の外務当局間で調整している。過去にも日本と中国は、関係が行き詰まった時や、関係を前進させたい時に、政治ではなく、文化交流や人的交流で局面を打開してきたことが何度もあった。上野動物園にやってきたパンダ、トキが絶滅に瀕した時は中国から新潟県に貸し出された。実は習近平氏は7年前、日本人を前に隠元の話をしている。海を渡った隠元は日中の懸け橋として象徴的な存在でもあるのだ。

岸田首相は就任直後の10月8日、習近平主席と電話会談し、国交正常化50周年を迎えることを念頭に「建設的かつ安定的な関係を共に構築していかなければならない」と述べている。習主席も賛意と示し、日中関係を発展させていくことへの意欲を示した。先の日中の意識調査では、日中関係を「重要」または「どちらかといえば重要」と考える人が日中双方で3分の2を超える。日中経済協力の必要性についても同様だ。2022年は年明け早々から、いろいろな動きが出てくるだろう。

櫻井浩二インサイト
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
出演者:櫻井浩二、田中みずき、飯田和郎
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※放送情報は変更となる場合があります。

菅井友香、振付家TAKAHIROと当時の思い出を語る!

サントリー生ビールpresents『菅井友香の#今日も推しとがんばりき』のゲストにダンサー・振付家のTAKAHIROが登場し、菅井と出会った時の印象からグループ最後の楽曲「その日まで」についてまで菅井との思い出を語った。

-TAKAHIRO「菅井さんは不器用なんです」-

菅井とTAKAHIROの出会いは2016年。欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」の振り付けの時だったという。TAKAHIROは当時の菅井について、「菅井さんはいっぱい練習する子でした。いっぱい練習しましたね。『不協和音』の立ち方だけでとか、手の引っ張り方だけで、一時間ぐらいずっとやっていた」と当時のことを振り返った。

また、リスナーからの質問で菅井のグループ時代の最後の楽曲「その日まで」の振り付けにどんな意味を込めたのかについて問われたTAKAHIROは、「あの楽曲は全部が逆再生されるように作ってあったんですが、でも、過去のことだけではなく今の菅井さんが表現できることを大切に、前に進んでいけるように。菅井さんはいっぱい背負ってきましたので。だからそのリュックを一回置いて、ただただ走って風を感じられるように。そういう思いを込めて、振り付けをさせていただきました」と語った。

そんな「その日まで」はミュージックビデオの撮影中に釣りをしている人を待つために一時撮影が中断されることもあったという裏話も語ってくれた。

さらに、リスナーから菅井のパフォーマンスに関する裏話を聞かれたTAKAHIROは、「菅井さんは不器用なんです」と断言。しかし、その不器用さ故の長所があると語った。「不器用だけど、努力するという力を持っていた。感覚でみんながやれるところを努力で全部補おうとする。だから本当にその瞬間を任せたときに、ある程度までは要領のいい人が勝つんだけれども、そこから先の努力でもっと深めることができるから、ステージに立った時に誰よりも輝く瞬間がある」

菅井は、その様にやり遂げられたのはTAKAHIROの存在が大きかったと語り、「少年のような大人でずっと誰より近くにいてくださった」と当時TAKAHIROに感じていたことについて振り返った。

その他、「キミガイナイ」の振り付けについての話やTAKAHIROが櫻坂46の振り付けを考えるうえで一番大切にしていることなど、様々な話が語られた。そちらについては是非タイムフリーで

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