愛情表現の“適量”とは?女性タレントのリレートーク(1)

内村麻美 ©RKBラジオ

恋愛における「大切にする」と「尽くす」の違いについて、RKBラジオのトーク番組『Toi toi toi』レギュラーの女性パーソナリティ4人(内村麻美・植村友紀・山口玲香・別府あゆみ)が今週、リレートークを展開。未婚か既婚かによっても意見が分かれそうなこのテーマに、テレビやラジオ、舞台などで活躍している彼女たちはどこまで本音を語るだろうか。

口火を切ったのは月曜担当・内村麻美(30代・独身)

内村麻美(以下、内村):恋愛に関して、私はもともと尽くしすぎちゃう人だったんですよ。「面倒を見る」という意味ではなくて、愛情表現をちゃんと言葉にして、行動でも示しているというだけなんです。けど、周りからは「尽くしすぎだよ」って言われるんです。

内村:だからあるとき「伝えすぎるのもダメなんだ」と思って、次にできたボーイフレンドには以前の1割ぐらいに控えてみたんです。そうしたら今度は「全然お前って愛情を表現してくれないよね」とか言われて。「言い過ぎるのもアレでしょ」みたいに反論したら「伝えなさすぎて、本当に好きなのか分からない。別れよう」って言われて。いまだに(加減が)分からないです。

山口たかし ©RKBラジオ

Z世代はSNSでラブアピール。でも30代以上は恥ずかしい

山口たかし(以下、たかし):Z世代はYouTubeでカップルのラブラブぶりを表現したり、TikTokやインスタグラムで2人だけのページを立ち上げたりして、愛情表現をすることが恥ずかしいことにならなくなってきたんですけど、30代以上は“こっ恥ずかしい”が勝つ世代じゃないですか?だから相手の(愛情表現の)量に合わせるのが一番いいんじゃないですか?

内村:それって相手と同等にってこと?

たかし:でも、男性は「好きだよ」「ずっと一緒にいたい」「君を幸せにするよ」「君から離れられないんだ」とか、そんなことを言う人ってなかなかいないと思うんですよ。だから、その男性の倍言えばいいんじゃないですか?それぐらいが適量だと思いますよ。

内村:同じ分量ではダメってことですね?

たかし:同じ分量だと「少ない」って男性は思うかもしれないですね。女性の方が愛情表現を伝える人多くないですか?僕の今までの経験だけかもしれないですけど。女性の方がすっと素直に言えるというか。だから羨ましいんですよわれわれ男性は。素直に愛情表現できるのが。

元彼にアンケートをとってみては?

たかし:麻美ちゃんがめちゃくちゃ愛情表現してたのって、20代の前半くらいでしょう?

内村:そうです。

たかし:言われたら嬉しいと思いますけどね。

内村:そうでしょう?「好きだよ」「ずっと一緒にいようね」なんて、私も昔かわいいこと言ってましたけれど、その言葉がなぜ悪いと言われるのか?新しい恋をそろそろスタートさせないといけないと思っているんですけど、このことがいつも引っかかる。だから悩んで「もうやめた」ってなっちゃうんです。面倒くさいもん、考えるの。

たかし:元彼に改めて聞き直してみるとかは?「私の愛情表現の量は多かった?重かった?」って。

内村:なるほどね。わかりました。アンケート調査とります。個人的に連絡とって。

たかし:お父さんや男きょうだに聞くとか、それもいいと思います。家族って結構的確なアドバイスをくれそうだから。

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Toi toi toi
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 9時00分~13時00分
出演者:山口たかし、内村麻美
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※放送情報は変更となる場合があります。

亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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