サハリン2・伊勢丹・キリン…政治情勢に左右される日系企業の引き際

飯田和郎・元RKB解説委員長

キリンホールディングスが、ミャンマーから撤退する。ミャンマーでは昨年2月、国軍によるクーデターが発生し、国軍が市民や少数民族に人権弾圧を続けている。RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演した、飯田和郎・元RKB解説委員長が、海外に進出した日本企業、日本が資本を出した日系企業の「引き際」について解説した。

政治情勢によって迫られる経営判断

ミャンマーは2011年に民政へ移管され、経済改革が進んで「アジア最後のフロンティア」とも呼ばれた。民主化とともに「投資の安全性が担保された」として、豊富な労働力、大きな市場を持つミャンマーへの企業進出が続いた。キリンホールディングスも2015年にミャンマー市場に参入していた。

ところが、キリンはミャンマーで運営してきたビール会社の保有する株式全てを売却した。この会社は国軍系の企業との合弁だった。キリン側は国軍と関係ない企業への売却を探ってきたが、買い手を見つけられなかった。これ以上、批判が高まるのを避けるため早期撤退を優先した形だ。

進出した国の政治情勢によって、経営判断を迫られた例はほかにもある。今まさにロシア極東の石油・天然ガス開発事業「サハリン2」が、ロシアによるウクライナ侵攻の余波を受けている。

「サハリン2」には日本から三井物産と三菱商事が出資している。その「サハリン2」の権益や資産を引き継ぐ運営会社を新たにロシアで設立する――。プーチン大統領は先週、そんな内容の大統領令に署名した。

日本は海外から輸入するLNG(液化天然ガス)の8.8%をロシアに依存している。そのほとんどが「サハリン2」からの供給だ。この大統領令は、「対ロシア制裁で欧米と足並みをそろえる日本への報復」であり、「日本企業に撤退を迫る内容」――。そんな受け止め方も出ている。

日中関係と新型コロナに翻弄された成都伊勢丹

中国中西部の拠点都市・四川省成都にある百貨店「成都伊勢丹」が今年いっぱいで閉店されることが明らかになった。

2007年5月に開業した成都伊勢丹は、三越伊勢丹ホールディングスが100%出資した子会社が運営してきた。さらに2018年には成都市内にもう一つ、生鮮品や日用雑貨を扱う「ISETAN Supermarket」をオープンさせた。2つの店舗のそれぞれの特長を生かし、成都市内でうまく棲み分ける形で三越伊勢丹ブランド=日本ブランドを成都市民の間に浸透させてきた。

日本経済新聞によると、成都伊勢丹の2021年の売上高は、新型コロナウイルスの感染拡大前の2019年に比べて5割弱。しかし、撤退の原因は新型コロナによる売り上げ減少だけではないと私は考えている。

ちなみに、この店は海外のほかの日系百貨店にはない、大きな役割を果たした。成都伊勢丹がオープンしてからちょうど1年後、2008年5月に四川大地震が成都一帯を襲った。地震の規模はマグニチュード7.9から8.0。死者・行方不明者は約9万人という大惨事だった。日本からも救援隊が現地に赴き、救助に当たった。

震源地から遠くない成都の街も大きなダメージを受け、市内の小売店のほとんどが長期間、店を閉めた。だが、成都伊勢丹は、地震発生からわずか2日後、営業を再開した。「成都の市民みんなが困っている。今こそ、百貨店の役割を果たそう」という決意からだった。成都市内の繁華街では百貨店や専門小売店の大半が臨時休業する一方、余震を恐れた市民が自宅を離れ、広場や大通りにあふれていたころだ。

それでも余震はやまない。成都伊勢丹は一時、地下の食料品売り場と7階のレストラン街に限定して営業した。入り口には「この建物は安全です。安心してお買い物をしてください」との看板が掲げられた。需要の高い売り場だけでも開いて、踏ん張った。

ただ、そんな頑張りも、日中関係に翻弄される。四川大地震から2年後の2010年10月、成都で大規模な反日デモが起きる。沖縄県・尖閣諸島沖で違法操業していた中国漁船が、取り締まる日本の海上保安庁の巡視船と衝突。これに端を発したものだった。

日本の企業がデモ参加者の怒りの矛先になった。成都伊勢丹は、デモ隊の集合場所になった繁華街にあった。インターネットや携帯電話を通じて、数千人が集まり、近くのイトーヨーカ堂はガラスなどが割られた。成都伊勢丹やイトーヨーカ堂も一時営業を停止、店内にいた買い物客を避難させる騒ぎになった。

尖閣諸島問題をめぐっては2012年8~9月にも、成都で同じような大規模な反日デモが起き、伊勢丹を含む成都の日系小売店は一時、休業を余儀なくされている。成都伊勢丹は15年間で二度も、日中関係の悪化に翻弄されたわけだ。海外へ進出日本企業はやはりリスクを負うことも少なくない。

企業イメージだけではなく、日本へのイメージが変わる

一方で、残した遺産もあると思う。まず、日本式サービス。小売業の場合、日本との文化の違いから、お辞儀一つにも中国人従業員は反発することがある。それを現地に派遣された日本人社員が「なぜ、お客様へお辞儀をする必要があるのか」を繰り返し、説明する。やがて、中国人スタッフの間にも理解者が広がっていき、従業員全員がお辞儀をするようになる。ほかの店との差別化につながり、業績向上にもつながる。そして、結局はその店で働く者すべての待遇などに反映される……。中国人スタッフも気づくわけだ。

四川大震災の直後、ほかの多くの店が営業を再開しないなか、成都伊勢丹、それに成都のイトーヨーカ堂はいち早く店を開けた。余震を怖がって出勤しない従業員もいた。誰もが不安に震える中、中国人従業員が率先して周りの同僚たちに出勤するよう説得して回った。「お客様のために」。こうして、お店は地域の信頼を得ていったという。

同じ四川省にもう一つ、重慶という大きな都市がある。日中戦争中、旧日本軍が当時の中国政府の首都があった重慶に対し、無差別爆撃を繰り返し、多くの市民が犠牲になった。そんな歴史もあり、このエリアは反日感情が強いといわれて来た。また、上海など沿海部と比べて、成都など内陸部は日本、日本に接する機会が多くはない。そんな土地で、日本式の経営姿勢は、対日イメージを変えたのではないだろうか。

2010年の反日デモの時の話だ。荒れるデモ参加者たちを諫める、こんな書き込みがネットの掲示板にあった。

「地震の時、日本の救援隊が成都に来たのを忘れたのか?市民のために開け続けただろう」

成都市民の書き込みだろう。笑顔やおじきなど日本式サービス、大震災直後にもかかわらず、いち早く営業に戻った判断は、市民からの信頼という形で生きていたのだと思う。

「日本は、日本企業はすごい」「日本人はほかの国の人と比べて、責任感が強い」「マネージメント能力が高い」……。そんなことを言いたいのではない。成都伊勢丹はあと半年で店を閉じるが、この店を通じて、内陸の人たちが日本を理解するきっかけになったはずだ。果たした役割は小さくない。
 

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飯田和郎(いいだ・かずお) 1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。

田畑竜介 Grooooow Up
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
出演者:田畑竜介、田中みずき、飯田和郎
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※放送情報は変更となる場合があります。

青木さやか登場! 対談本に、はるな愛が癒しを感じた理由とは?

4月25日「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送)、大竹メインディッシュのコーナーに青木さやかさんが登場。現在発売中、鈴木秀子さんとの共著『話せば、うまくいく。50代からの人生を機嫌よく生きるヒント』について語った。

はるな愛「今回、この本を(紹介します)。ねえ、真面目な感じで……」

青木さやか「どういう紹介なの、真面目な感じって(笑)」

はるな「ワンちゃんのこととか。私もインスタ、フォローしていますけど」

青木「動物愛護の活動もさせていただいています」

はるな「この本を最後まで……読んでいないんですよ」

青木「ちょっと読んだ? あ、印つけてくれているじゃん」

はるな「なんかおもしろいのが、じつは私、一昨日ぐらいにドスベリのステージにひとりで出まして。青森にゲストで呼んでいただいて。こんなことってない、っていうぐらい落ち込んだんです。フルコースでやったんですけど。そんなとき落ち込むじゃないですか」

青木「わかる。『どこ見てんのよ!』ってどこへ行ってもやるけど……」

はるな「『どこ見てんのよ!』で一時代を築きました、みたいな自己紹介を書いていましたね」

青木「そんなところは読んだんだ(笑)」

はるな「でも『話せば、うまくいく』というタイトルで癒されて。開いたら、心に刺さることがいっぱいあったんです。これ、おひとりでしゃべっているんじゃないんでしょう?」

青木「聖心女子大学の92歳のシスター、鈴木秀子先生という方と(対談しています)」

砂山圭大郎「お若いですよねえ」

青木「(鈴木さんは)いろんな本を出されていて、その本を頼りにしているというか、すごくファンの多い方です。その方との対話本というのかな、主に私が質問をして。私が昨年、50歳になった。50歳というと昔は大人でなんの悩みもなくて優しくて愚痴もなくて……と思っていたけど、意外といろいろ悩みもあり。でもいまさら聞けないようなことを、ちょっと下界に来ていただいて、鈴木秀子さんにいろんなことを聞いてみた! という本」

はるな「50歳になって『そんなことも知らんのか』『そこはちゃんとやるでしょう』というプレッシャーってないですか?」

青木「あります(笑)。さすがに若い、若手とか言えなくなった」

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