松原みき「真夜中のドア~stay with me」と“同じ山”の曲があった!?

1979年にリリースされた松原みきの「真夜中のドア~stay with me」は、世界的なシティポップブームに乗って、いまもヒットを繰り返している。音楽プロデューサー・松尾潔さんは、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演し、もとは「同じ山を見て描いた絵」という4曲を紹介した。

松原みき19歳のデビュー曲

松原みきさんは2004年に44歳の若さで亡くなっているんですが、もしご存命であれば、今年11月26日で63歳。1959年生まれで、デビューは松田聖子さんと近くて、作家陣も重なっているということもあって、二人で共演した動画もいま、YouTubeで見ることができます。

彼女のデビューは1979年11月、20歳になる直前にリリースされたのが「真夜中のドア~stay with me」でした。「10代の女性がこれを歌っていたのか」と考えると相当な早熟ぶりが、わかりますよね。真夜中のドアを叩いて「帰らないで」と言っている女性は、冷静に考えると、ドアの内側から叩いています。男性が外にいて、外からじゃなくて中から「帰らないで」って叩いている。「扉開けて出て行けばいいじゃん」って思うけど、出られない事情があったってことですよね。

リリースから43年 名曲であることを証明

作詞は松田聖子さんの初期の作品を手がけていた三浦徳子さん。一方、作曲編曲を手がけたのは林哲司さんといって、今、再評価著しい日本のシティポップ界のキングの一人と言ってもいいかもしれません。この林哲司さんが手がけた作品の中には、例えば、竹内まりやさんの「September」とか、杏里さんの「悲しみがとまらない」があります。時代を作ったメロディー、音の担い手ですね。

この「真夜中のドア~stay with me」という43年前の曲が今、クラブシーンやFMラジオで耳にする機会が増えました。カバーも僕が知っているだけで30曲以上が出ているんですが、この曲ってずっと評価され続けてきたかっていうと、そうでもなくて、リリースされたときもオリコン最高28位。長い時間をかけて名曲であることが証明された、という曲なんです。

林哲司がアメリカ大陸の名峰をスケッチ

この奇跡的な名曲は、どうやってできたのか? ここから先は僕の、半分陰謀史観ということで聞いてください。

「真夜中のドア~stay with me」が出た1年前の1978年、Carole Bayer Sagerという人が「It's The Falling In Love」という曲を出しています。Carole Bayer Sagerは、名作曲家Burt Bacharachと夫婦だったんですが、「愛のハーモニー」はその2人のコラボレーションです。この「It's The Falling In Love」という“素敵な山”を、林哲司さんが見ながらスケッチしたんじゃないかな、って僕は思っています。

同じ頃、アメリカ本国ではあの大物も…

「It's The Falling In Love」だけを聞いていると「なんとなく似ているかな」と思うかもしれませんが、この曲を翌年、ある大物アーティストがカバーするんです。マイケル・ジャクソンです。「スリラー」の一つ前のアルバム「オフ・ザ・ウォール」に収められた「It's The Falling In Love」。「知る人ぞ知る」っていう感じだった曲を、マイケルがよりポップにカバーしました。

これ、1979年8月に出ていて、松原みきさんの「真夜中のドア~stay with me」は同年の11月。8月に出た曲を参照して、新曲を作るのは曲の制作進行上、おそらく無理なんです。おそらくですよ。1978年の夏に出たCarole Bayer Sagerの曲を聞いた林さんが、それを日本の歌謡フォーマットに落とし込むという作業をしているときに、本国アメリカでもマイケル・ジャクソンがストレートカバーして、まるで同じ山を見ながら、片やスケッチをする人、もう一方はそこに色を塗っていく人というのが、日米で存在してしまったような形です。

「ただ一つの山があるだけ」

さらにこれには続きがあって、その翌年1980年に杏里さんが「My Special Love Scene」という曲を出しました。これ、長らくアルバムに入っていなくて、「風のジェラシー」というシングルのカップリング、ドーナツ盤のB面だったんですね。この曲、「真夜中のドア」よりさらにCarole Bayer Sagerの曲に近いかなと思います。

時間を見つけてご紹介した4曲をずっと続けて聞き比べてもらうと「いろんな描きかたがあるが、一つの同じ山の絵」があることに気づくと思います。

田畑竜介 Grooooow Up
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
出演者:田畑竜介、武田伊央、松尾潔
番組ホームページ
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※放送情報は変更となる場合があります。

春風亭一之輔が能登にエール「復興のために行動に移そう」

4月19日(金)、落語家・春風亭一之輔がパーソナリティを務める「春風亭一之輔 あなたとハッピー!」(ニッポン放送 金曜朝8時~)が放送。能登半島地震で多大な被害を受けた能登地方にある牧場主がスタジオ出演し、一之輔が能登をはじめとした被災地へのエールを送った。

春風亭一之輔

1月1日の能登半島地震から109日、この日東京・有楽町のニッポン放送のスタジオへ、石川県能登町の西出牧場の西出穣(にしで・みのる)さんが来訪した。

西出さんと同番組との縁は、約4年前に番組内の抽選コーナーで電話がつながったことから始まった。西出さんの牧場で生まれた子牛に一之輔が名前をつけたことで一気に距離が近づき、今に至る。

ついに初対面となったが、前職が観光人力車の俥夫(しゃふ)だったからか、その滑らかなトークに、一之輔も「ラジオパーソナリティができるんじゃないかな?」と感心。

西出穣さん

地震発生の瞬間の状況や、それによるダメージ、自身や家族の生活の苦労はもちろん、牧場の牛たちへの水の確保も大変だったことなどや、搾乳したものの泣く泣く大量に廃棄せざるを得なかったことなど、“これまで”を丁寧に語った西出さん。

そして、“いま”と“これから”については……

ボランティアの状況については、西出さんの仲間であり、輪島市の中でも特に被害の大きかった地域の町野町の復興プロジェクト実行委員長に聞いたこととして「能登の人達って、なんとなく人に頼るのが……なにか『助けて』って言いにくい、そういう気質の人が多くてですね、おじいちゃん、おばあちゃんたちが自分ひとりでタンスを立てようとしてたり、雨漏りで濡れた畳を運び出そうとしてたりということで。『ボランティア使ったらどう?』って勧めても、『自分たちでやるからね』って言ってしまう」と話した。結果的に、必要だとして声が上がってくる人数がかなり少なくなっているが、現実はまったく足りていないという。以前のボランティアは金沢から能登に移動してきて、活動時間が2~3時間ほどしかないということもあったとのことだが、今では珠洲市や七尾市などにボランティアが泊まれるテント村も開設されてきているとのことで、これによる活動時間の増加に西出さんは望みを見せた。

また、「絶対に能登に行きます」というリスナーからのメールを一之輔が紹介すると、「これから少しずつですけど、復興、進んでいくんで。少しずつ、元気にしようっていうイベントとか、町も企画していくと思うのでね、徐々に徐々に、まずは金沢ぐらいから」と、段階的な観光での来訪による復興についても期待を寄せた。

そして、西出さんなど奥能登の酪農家を含めた能登の地乳(じにゅう)『能登ミルク』は、東京でも味わうことができる。東京駅前にある石川県のアンテナショップ「八重洲いしかわテラス」で販売されているが、人気商品ということで、「おかげさまで連日完売ということなので、もしなかったら次の入荷を店員さんに確認していただければありがたいと思います」と話した。

西出さんのお話に耳を傾けるスタジオ一同

一之輔は、「西出さん、本当に体に気をつけて……頑張ってくださいって言うのも、まあ東京にいて口で言うのは簡単なんだけれども……本当に牛乳、おいしい牛乳のためにも、ご家族のためにも」とエールを送り、「いつか本当に能登のほうで落語をやらせていただけるといいなと」と語りかけて、大変ななか上京して出演した西出さんに感謝しながら送り出した。

その後「行けないかなあ?」と、自身のびっしりとスケジュールが記された手帳を開き、「この日、行けるかもしれない? だめだったらごめんね。でもちょっと考えよう。いろいろ検討し、西出さんと連絡をとり合いながら」と話した一之輔は、「能登の復興のためにいろいろ行動に移そうじゃないですか」と呼び掛けた。

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