松尾潔「世界がそのセンスにひれ伏した」YMO高橋幸宏を悼む

音楽プロデューサー・松尾潔氏

YMOのドラマー・高橋幸宏さんが1月11日に亡くなった。音楽プロデューサー・松尾潔さんは、1月23日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で「世界がひれ伏したセンス」と高橋さんを称賛し、“おしゃれすぎる耽美的な生き方”を振り返った。

子供たちが熱狂したインスト

YMOの高橋幸宏さんが1月11日に70歳で亡くなりました。50代以上の方にとっては、歌謡曲以外で初めて触れたポップミュージックがYMOという方が多いですよね。日本人ミュージシャンのバンドでありながら「洋楽の入り口になった」という声をよく耳にします。

現在55歳の僕もその1人で、個人的な思い出でをお話すると、YMOが出てきた当時は小学生の終わりぐらい。佐賀県唐津市の高島という島に、父親と海釣りに行く車の中でよくYMOを聴いていましたね。それくらい日常に根ざしたインストゥルメンタルミュージックでした。

考えてみるとそんなこと、後にも先にもあまりないんじゃないかと思います。クラシックが好きな人はいつの時代もいますし、ジャズが好きな早熟な子供もいます。でもYMOの場合は、歌モノと同じように子供たち、少年少女が熱狂したんです。そういう熱狂の「仕掛け人」としてのYMOについて、お話をしたいと思います。

YMO以前にも海外ツアーを経験

YMOは、音楽業界で天才と言われているベーシストでありマルチインストゥルメンタリストである細野晴臣さんの構想を具現化したバンドです。少し世代が下にあたる坂本龍一さんと高橋幸宏さんという、当時の売れっ子セッションミュージシャン2人が加わって、3人で結成しました。

坂本龍一さんはすでにその頃から「教授」ってニックネームでした。東京藝大の作曲科を出て、大学院にも行ったという、わかりやすくアカデミズムとの接点があったから「教授」という呼び名は日本中が受け入れました。今考えてみると、まだ若かった坂本さんのことを日本中で「教授」って呼んでいたなんて、すごい話ですよね。

その教授、大学院に在学中にサーカスの「アメリカン・フィーリング」でレコード大賞編曲賞を受賞しました。しかし、高橋幸宏さんの方が実は早熟でした。お兄さんもミュージシャン、そして立教大学の附属校に中学から行っていて、同世代の人よりちょっと先に大人っぽい文化に触れていたこともあって、高校生のときにプロミュージシャンとしてデビューを飾っています。

YMO以前に「タイムマシーンにお願い」で有名なサディスティック・ミカ・バンドのメンバーとしてロンドンでツアーをやっていて、YMOの中で唯一、結成する前に海外ツアーを経験していました。

YMOのイメージを形成

「細野さんは天才、教授は奇才」と評される中、高橋さんは自らについて「自分はその間を繋ぐ人間なんだ、凡人だ」と言っていました。でも、YMOのイメージ、実はファッションでも長けていた幸宏さんが作っていました。人民服を思わせるコスチュームやトレードマークだった髭。あと、もみあげを落とす「テクノカット」もそうです。僕も小学校の終わりにもみあげ落として母にずいぶん叱られました(笑)

そういう音楽を核として、それ以外の何か「音楽的」なものを教えてくれたのは、やっぱり幸宏さんだったなと思います。何よりドラマーとして優れていました。音楽のかっこよさと同時に「ミュージシャンとはこういうものだ」というかっこ良さを、わかりやすく体現していた方だったと思いますね。

世界がひれ伏したセンス

YMOの代表曲の最たるものである「RYDEEN」は、ベーシストの細野さんでもキーボーディストの教授でもなく、ドラマーの高橋幸宏さんの作曲だ、というのは、ファンの間では知られた話です。彼が鼻唄で作る曲のキャッチーさは、教授が鍵盤を押さえながら作曲するのとは違った魅力がありました。

そこがポップミュージックの担保にもなっていて、子供たちが熱狂した理由にもなっていたのかなと思います。もっというと、高橋幸宏さんのセンスに、日本中、そして世界のちょっと感度の高い人たちがひれ伏していたのかなという気がしますね。

おしゃれすぎる“耽美的”な生き方

高橋幸宏さんはYMOでリードボーカルを担当することが多くて、オリコン2位になった「君に、胸キュン。」もそうです。ドラマーでありながら、ちょっと個性的なボーカル。イギリスのバンド、ロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーのボーカルに近いと言われています。

「耽美的」という言葉があります。浮世離れして美を追求する姿勢、アートの香りを漂わせた、一番簡単な言葉で言い換えると「おしゃれ」。何をやってもおしゃれでした。ドラマーって、演奏するときに足元を動かしやすいように、バンドメンバーの中で1人だけスニーカーということが多いのですが、彼はレコーディングのときも革靴だったと言われています。とにかくダンディズムを徹底していました。

でも、それは周囲を緊張させるものではありませんでした。むしろ、気遣いの言葉を一番多くかけていた人だったと言われています。70歳で亡くなったのは、早過ぎました。細野さんのベース、幸宏さんのドラム、この組み合わせがもう聴けないのは残念ですが、作品は残ります。彼の「ドラミングの妙」をみなさんも楽しんでいただければと思います。

田畑竜介 Grooooow Up
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
出演者:田畑竜介、武田伊央、松尾潔
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※放送情報は変更となる場合があります。

【衝撃】ジェネリック医薬品の4割で製造過程に不備……その要因と改善策は?

政策アナリストの石川和男が12月14日、自身がパーソナリティを務めるニッポン放送Podcast番組「石川和男のポリシーリテラシー」に出演。11月21日、業界団体の調査でジェネリック医薬品の約4割で製造販売承認書と異なる製造があったとの結果が明らかになったことについて専門家と議論した。

医薬品

日本製薬団体連合会(日薬連)は11月21日までに、ジェネリック医薬品を扱う全172社が実施した製造実態に関する自主点検の結果を公表。8734品目中、4割を超える3796品目で製造販売承認書と異なる製造があったことが判明した。日薬連は厚生労働省の会議で速報値として報告し「品質や安全性に影響はない」としたが、会議構成員からは「衝撃的な数字だ」として再発防止を強く求める声が上がった。

処方薬全体の約8割(金額ベース)を占めるジェネリック医薬品を巡っては品質不正が相次いで発覚し、2021年以降、小林化工(福井県)や日医工(富山県)など21社が業務停止などの行政処分を受けており、医薬品の供給不足の一因ともなっている。

これらの背景について番組にゲスト出演した神奈川県立保健福祉大学シニアフォローで一般社団法人医薬政策企画 P-Cubed代表理事の坂巻弘之氏は「理由は色々あるが、一例として国がジェネリック医薬品の使用促進を訴えてきた背景がある。(ジェネリック医薬品を)今まで年間10万錠作っていた会社が、1000万錠作らなきゃいけないとスケールアップする時に、(製造販売承認書に従った)今までと作り方を変えてしまう会社があった」と指摘。

一方で「日本の基準は厳しすぎる部分がある」とも述べ、「例えば薬を製造するタンクに原料を入れていく際、一度にまとめて入れるのか、少しずつ分けて入れるのかが製造販売承認書には書かれている。今回の調査結果でも、そういった部分で誤りがあった事例が見られたが、薬の専門家から見れば薬の有効性には影響しないよねということがある」と言及。「(原材料を)どのくらい分けて入れるのかなどは、アメリカやヨーロッパでは基準に入れていない」として、日本の製薬基準が厳しすぎる点を明かした。また、「日本の規制が厳しすぎて、外資系企業のなかには実質的に日本から撤退する会社も結構出てきている」とも語った。

その上で、直近でも医療現場が必要とする薬の約2割が供給されていない問題の解決策として「いろんな要因が絡んでいるが、例えば海外の状況を見ると人体に対する影響がどのくらいあるのか。元々届け出た手順書(製造販売承認書)と実際には異なった工程で作っていたとしても、人体に対する影響を評価した上で安定供給の方を優先するというような意思決定の仕方もある」と指摘。

さらに「現実に供給不足を起こしている多くの薬は値段が安いもの。そのあたりのデータもきちんと見て、安いものに関しては採算が取れるように、あるいは増産するインセンティブになるような価格政策を国がとっていくべき」とも述べた。

石川は「国には価格と供給安定、両方のバランスが取れた政策をやってもらいたい。規制の合理化や、ルールの見直しなどを進めてもらいたい」と注文をつけた。

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