東日本大震災をきっかけに壱岐で海女に!海が大好きな夫婦が営むゲストハウスへ泊ってみた

みなとやゲストハウスの大川夫婦に囲まれて ©RKBラジオ

北部九州・山口災害情報パートナーシップを結ぶコミュニティFM各局とRKBによるコラボ番組『ローカる!』。地域密着のコミュニティFM局のパーソナリティにとっておきの街ネタを紹介してもらう。1月は長崎県壱岐市にある壱岐FMの放送エリアで話題のスポットを訪れた。今回は壱岐市芦辺浦にあり、壱岐で初めてのゲストハウス「みなとやゲストハウス」に実際に宿泊し、その魅力を紹介した。(報告:『ローカる!』ディレクター荒木風花)

壱岐初のゲストハウスとして誕生

壱岐でのロケが決まった時、壱岐FMのボブ齋藤さんがオススメしてくれたのが「みなとやゲストハウス」だった。壱岐で初めてできたゲストハウスという特徴だけでなく、みなとやを営むご夫婦がとても素敵で、そこに集まるゲストも温かい人ばかり、さらにはご飯も絶品。迷わず予約した。漁師と海女であるお二人がゲストハウスをすることになったきっかけや、奥さんの香菜さんが海女を目指すきっかけになったことなど、詳しく話を聞いた。

みなとやゲストハウスの外観 ©RKBラジオ

荒木:「みなとやゲストハウス」はどのくらい前にオープンしたんですか?

大川漁志さん:壱岐で初めてのゲストハウスとして2016年4月にオープンしました。釣りが趣味でいろんな場所を旅していく中で、ゲストハウスに泊まるようになりました。そうしていく内に「ゲストハウスって自分の実家のような空間だな」と思い、自分の好きなことをしながら宿ができるのでは?という考えでみなとやをオープンさせました。最初は妻の香菜と街の人と釣り仲間と…いろんな人が手伝ってくれて、みんなでこのみなとやを作り上げました。

大川香菜さん:みなとやの建物はもともとこの芦辺浦地区の遊郭だったんです。芦辺浦は漁業で栄えた町で、人通りも多く馬車も走っていたとか…。「みなとや」という屋号もその遊郭から取りました。長らく空き家だったみなとやを購入し、半年かけてできる部分は自分たちでリノベーションしました。漆喰を塗ったり、解体したりする時は島内外から50人以上の方が協力してくださいました。

みなとやゲストハウスは芦辺浦の賑わいに ©みなとやゲストハウス

みなとやは芦辺浦地区の通りの中心というだけでなく、町の人々が集まる場所でもある。実際に利用している人たちをホッとさせる空間なのだ。

漁志さん:釣り人、旅人…面白い人が集まってきますね。

香菜さん:最近では家族連れも増えてきました。作った当初は旅人向けになるのかなと思っていたのですが、夏は特に家族連れが利用します。1階の共有スペースは宿泊客だけではなく、地元の方も気軽に利用してほしいという気持ちで作りました。日中はご近所さんとお茶したりする場所になっていますね。

女将・香菜さんが海女になったきっかけ

香菜さんは聞くところによると岩手県出身。壱岐に来ることになったきっかけは?

海女さんとして活躍する香菜さん ©みなとやゲストハウス

香菜さん:高校卒業後に地元である岩手県を離れて上京し、8年間洋服関係の仕事をしていました。故郷を離れたことで、今まで当たり前だった漁村の暮らしを思い出して、いつかはそういう暮らしをしたいな…と考えていました。東京時代に、海女さんで生計を立てている人の話を聞いて、大好きな海に潜って暮らせる…いいなと思って、セカンドライフは海女さんかなとぼんやり思っていました。

そんな中、2011年3月11日東日本大震災が起きた。香菜さんの地元 岩手県陸前高田市は大きな被害を受け、変わり果てた姿だった。

インタビューに答える香菜さん(写真左奥) ©RKBラジオ

香菜さん:やりたいことや暮らしを今すぐ始めないと、自分もいつ死ぬか分からないと思いました。そして本気で海女さんの就活をするために長崎市に拠点を移しました。そこから探し始めた1年後に、壱岐で25年ぶりの海女さんを募集していると人伝いに聞いたんです。就活をする中で、なかなか募集がある仕事ではないことや、漁業をしていい権利をもらうのがとても大変な職業だということを実感していたので、すぐに応募しました。見事合格し、壱岐に移住してきました。

憧れだった職業に就いた香菜さん。海女として仕事をする中で驚きの連続だった。

香菜さん:漁師さんみたいに朝早くから…と勝手に思っていたのですが、干潮の時間に合わせて漁に行くんです。干潮の方が海に潜るときに浅くて済むので、身体への負担が少なく、採りやすいという利点があります。なので、早い時は朝7時、遅い時は昼ごろから漁に行きます。壱岐の海女さんの場合は5月から9月の約5か月が漁期となります。

25年ぶりに壱岐の海女さんになった香菜さん ©みなとやゲストハウス

壱岐全体で海女さんがいるのは香菜さんが所属している壱岐東部漁協だけ。およそ60人の海女さんがいるそうだ。潜る中で海の環境の変化にも興味を持つようになった。

荒木:潜るの、寒くないんですか?

香菜さん:めちゃくちゃ寒いです(笑)5月はウニ漁の時期でたくさん採れるので1時間半ぐらいは頑張れますね。その後はアワビやサザエを採るんですが、今は海藻がなくなって磯焼けし、海の環境が変わっていて…稼げるほどの量は採れません。その時期は採るものがないので寒さが身に沁みますね。

ウニを手に笑顔の香菜さん ©みなとやゲストハウス

漁師町出身の香菜さんが感じた壱岐の魅力

町の人の温かさを感じることはしばしば ©みなとやゲストハウス

海女さんとしてみなとやゲストハウスを運営する香菜さん。壱岐のどんなところに魅力を感じているのだろう。

香菜さん:とても暮らしやすい島だなと思っています。1年間いろんな旬の食材があるんです。野菜やお米、魚に肉…お金をそんなにかけなくても食の豊かさを感じられます。都市とは違う時間の流れがあるんです。子育てもすごくしやすいんです。子供がどこに座っても近所の誰かが見てくれるんです。子どもの興味の対象も「落ちているモノ」「生えている植物」「砂浜」「貝殻」なんですよね。よく海でご飯を食べるのですが、その時に「ごみは持ち帰るんだよ」と直接教えることもできます。

子育てをする中で強く実感した壱岐の魅力。そんな香菜さん、漁志さんが営むみなとやゲストハウスはドリトミ―タイプや個室タイプがある。プラス3,000円でお二人自慢の夕食をつけることができる。予約は公式ホームページか電話(0920ー40ー0190)で受付中!

ドリトミ―タイプのお部屋 個室の洋室と和室もある ©みなとやゲストハウス
壱岐産の食材をふんだんに使った夕食は19時からゲスト皆でいただく ©みなとやゲストハウス

みなとやゲストハウスホームページ

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ローカる!
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 11時00分~11時15分
出演者:荒木風花
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※放送情報は変更となる場合があります。

菅井友香、振付家TAKAHIROと当時の思い出を語る!

サントリー生ビールpresents『菅井友香の#今日も推しとがんばりき』のゲストにダンサー・振付家のTAKAHIROが登場し、菅井と出会った時の印象からグループ最後の楽曲「その日まで」についてまで菅井との思い出を語った。

-TAKAHIRO「菅井さんは不器用なんです」-

菅井とTAKAHIROの出会いは2016年。欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」の振り付けの時だったという。TAKAHIROは当時の菅井について、「菅井さんはいっぱい練習する子でした。いっぱい練習しましたね。『不協和音』の立ち方だけでとか、手の引っ張り方だけで、一時間ぐらいずっとやっていた」と当時のことを振り返った。

また、リスナーからの質問で菅井のグループ時代の最後の楽曲「その日まで」の振り付けにどんな意味を込めたのかについて問われたTAKAHIROは、「あの楽曲は全部が逆再生されるように作ってあったんですが、でも、過去のことだけではなく今の菅井さんが表現できることを大切に、前に進んでいけるように。菅井さんはいっぱい背負ってきましたので。だからそのリュックを一回置いて、ただただ走って風を感じられるように。そういう思いを込めて、振り付けをさせていただきました」と語った。

そんな「その日まで」はミュージックビデオの撮影中に釣りをしている人を待つために一時撮影が中断されることもあったという裏話も語ってくれた。

さらに、リスナーから菅井のパフォーマンスに関する裏話を聞かれたTAKAHIROは、「菅井さんは不器用なんです」と断言。しかし、その不器用さ故の長所があると語った。「不器用だけど、努力するという力を持っていた。感覚でみんながやれるところを努力で全部補おうとする。だから本当にその瞬間を任せたときに、ある程度までは要領のいい人が勝つんだけれども、そこから先の努力でもっと深めることができるから、ステージに立った時に誰よりも輝く瞬間がある」

菅井は、その様にやり遂げられたのはTAKAHIROの存在が大きかったと語り、「少年のような大人でずっと誰より近くにいてくださった」と当時TAKAHIROに感じていたことについて振り返った。

その他、「キミガイナイ」の振り付けについての話やTAKAHIROが櫻坂46の振り付けを考えるうえで一番大切にしていることなど、様々な話が語られた。そちらについては是非タイムフリーで

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