松尾潔「Queenは日本を愛し日本に愛されたバンド」来日48年の日に語る

音楽プロデューサー・松尾潔氏

伝説のロックバンドQueenが初めて来日したのは1975年4月17日だった。48年後の同じ日、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演した、音楽プロデューサー・松尾潔さんが、日本を愛し、日本に愛されたQueenの奇跡の復活劇について語った。

世界的バンドになる前に日本で人気に

Queenは世界中で人気者になる前に、まず日本で人気に火が付いたことでよく知られるバンドです。イギリスを代表する伝説のバンドである彼らが、初めて日本にやってきた日が今から48年前のきょう、1975年4月17日でした。当時、空港で1000人以上のファンが彼らの到着を待ち受けたというのが、語り草になっています。ボーカルのフレディ・マーキュリーは日本文化も好きで、日本美術のコレクターでもあったので、プライベートで何度も日本に来ていたそうです。

「ライヴ・エイド」で人気復活

人気は1970年代から80年代にかけて続いていたんですが、80年代半ば以降は「終わってしまったバンド」のように思われたりすることもありました。そんな中、チャリティーコンサートとしてずっと歴史に残るような大きなライブイベント「ライヴ・エイド」に出演します。

1985年、僕はそのとき高校3年生で、そのライブを見たくて見たくて仕方ありませんでした。学校をちょっと早めに抜け出し、福岡市西新の商店街にあった電器店のテレビで見た記憶があります。24時間やっていたイベントだったので、自宅で見た部分もありますが、家に着くまでの時間すら待てませんでした。

そのライブで、Queenは息を吹き返したと思います。これは映画『ボヘミアンラプソディ』でも描かれているとおりです。このライブは彼らにとって、進退をかけて出演したところがありました。しかしその後、メンバーはソロ活動に分かれ、フレディ・マーキュリーは6年後の1991年にこの世を去りました。

アーカイブビジネスのお手本のような復活劇

現在も続いているQueenの人気は、どのようにして復権したか? これは全てのアーカイブビジネスのお手本になるような話です。ミュージカル「We Will Rock You」が世界的に人気になったのは、フレディ・マーキュリーという看板を失った後。そして、映画『ボヘミアンラプソディ』へとつながっていく。

つまり、フレディ・マーキュリーが亡くなった後から人気が復活していったんです。これは例えばマイケル・ジャクソンやエルヴィス・プレスリーといったソロシンガーの人気がずっと持続しているとか、解散後も音楽活動を続けていたビートルズがずっと愛された、というのとは違った話です。

フレディ・マーキュリーの役をジョージ・マイケルやアダム・ランバートが務め、この数年間のQueenの人気は、復活というよりもむしろ現役の中で一番人気のあるバンドというぐらいになりました。

映画は2018年に公開され、アカデミー賞で主演男優賞や編集賞を受賞しました。この映画でQueenの音楽は永遠のものになった、そのダメ押しのダメ押しという感じでした。こういう形で人気が長らえた例はまずありません。そして、これと同じストーリーを今後たどるようなロックバンドは、もう二度と現れないのではないかと僕は思っています。

フレディが日本語で歌う「Teo Torriatte」

音楽プロデューサーの私が、ここまでまだQueenの音楽的な解説をほとんどしてないですね(笑)。ロックにオペラを取り入れたとか、後にヒップホップアーティストにもサンプリングされるような、いわゆるブラックミュージック的な要素をうまく取り入れたとか、非常に多彩な音楽性でも知られたQueenですが、限られたこの番組の時間の中で、どうしても紹介したい曲があります。大変日本で人気のあった彼らが、1976年にリリースした曲です。

~手をとりあってこのまま行こう

愛する人よ

静かな宵に

光をともし

愛しき教えを抱き~

この曲のタイトルは「Teo Torriatte(手をとりあって)」といいます。この曲がリリースされたとき、僕はまだ小学生で、まだ熱心なロックファンということではありませんでしたが、テレビで放映されていた記憶がありますね。その後、中学生になってからは、この曲を好んで聴いていました。

この曲、日本だけシングルカットされて、そこそこラジオで流れていた記憶があるんですが、てっきりそのときは日本限定で作られたものだと思っていました。当時、そういうことって時々ありましたから。

でもオリジナルアルバムにもちゃんと入っていたことを、後になって知りました。ちょっとナショナリズムをくすぐられましたね。こういうことがたまにあるから面白いなと思います。洋楽を普段聴かないという方も、こういうところから興味を持っていただけたらと思います。

田畑竜介 Grooooow Up
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
出演者:田畑竜介武田伊央、松尾潔
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※放送情報は変更となる場合があります。

菅井友香、振付家TAKAHIROと当時の思い出を語る!

サントリー生ビールpresents『菅井友香の#今日も推しとがんばりき』のゲストにダンサー・振付家のTAKAHIROが登場し、菅井と出会った時の印象からグループ最後の楽曲「その日まで」についてまで菅井との思い出を語った。

-TAKAHIRO「菅井さんは不器用なんです」-

菅井とTAKAHIROの出会いは2016年。欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」の振り付けの時だったという。TAKAHIROは当時の菅井について、「菅井さんはいっぱい練習する子でした。いっぱい練習しましたね。『不協和音』の立ち方だけでとか、手の引っ張り方だけで、一時間ぐらいずっとやっていた」と当時のことを振り返った。

また、リスナーからの質問で菅井のグループ時代の最後の楽曲「その日まで」の振り付けにどんな意味を込めたのかについて問われたTAKAHIROは、「あの楽曲は全部が逆再生されるように作ってあったんですが、でも、過去のことだけではなく今の菅井さんが表現できることを大切に、前に進んでいけるように。菅井さんはいっぱい背負ってきましたので。だからそのリュックを一回置いて、ただただ走って風を感じられるように。そういう思いを込めて、振り付けをさせていただきました」と語った。

そんな「その日まで」はミュージックビデオの撮影中に釣りをしている人を待つために一時撮影が中断されることもあったという裏話も語ってくれた。

さらに、リスナーから菅井のパフォーマンスに関する裏話を聞かれたTAKAHIROは、「菅井さんは不器用なんです」と断言。しかし、その不器用さ故の長所があると語った。「不器用だけど、努力するという力を持っていた。感覚でみんながやれるところを努力で全部補おうとする。だから本当にその瞬間を任せたときに、ある程度までは要領のいい人が勝つんだけれども、そこから先の努力でもっと深めることができるから、ステージに立った時に誰よりも輝く瞬間がある」

菅井は、その様にやり遂げられたのはTAKAHIROの存在が大きかったと語り、「少年のような大人でずっと誰より近くにいてくださった」と当時TAKAHIROに感じていたことについて振り返った。

その他、「キミガイナイ」の振り付けについての話やTAKAHIROが櫻坂46の振り付けを考えるうえで一番大切にしていることなど、様々な話が語られた。そちらについては是非タイムフリーで

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