12 月は鴻上尚史さんと福永祐一さんにインタビュー!会場を沸かせ続けてきた逸材の頭の中とは?(『判断力の源~一流になるための脳(ブレイン)ケア』))

全国放送のラジオNIKKEI で毎週月曜に放送中の『判断力の源~一流になるための脳(ブレイン)ケア~』は、多様なジャンルで活躍するトップランナーの頭脳の磨き方や使い方に迫るインタビュー番組です。これまでに神田伯山さん、葛西紀明さん、野口聡一さんらをお迎えし、“ビジネスパーソンが最前線で活躍し続けるためのヒント”をお届けしてきました。12月も、その頭の中を覗いてみたい豪華なゲストが登場します。

1 人目は、作家・演出家の鴻上尚史さん。インタビュー中も次から次へと言葉が紡ぎ出され、その場にいた全員が鴻上さんの頭の回転の速さに驚かされました。脳は使えば使うほど、使えるようになると話す鴻上さん。より手間がかかっているものを好む傾向があるというオーディエンスを相手に、どのように頭脳を磨き、使って、笑いや感動を生み出しているのか、ご本人とともに分析・考察しています。

2 人目のゲストは、調教師の福永祐一さん。 ジョッキー時代から“競馬界の理論派”との異名を持ち、数々の名勝負で会場を沸かせてきた福永さんは、“あること”への気づきがターニングポイントに。40 歳を超えてからのほうがむしろ、集中力や記憶力を発揮でき、より具体的に勝つイメージを描けるようになったと 言います。

一般的には加齢とともに脳機能は低下すると言われますが、鴻上さんや福永さんを見ていると、一般論はあくまでも一般論。意識的に“脳(ブレイン)ケア”を実践することにより、頭も体も長く現役でいられるのかもしれません。最前線で活躍し続けるトップランナーのお話から、ぜひそのヒントを受け取ってください!

判断力の源〜一流になるための脳(ブレイン)ケア〜
放送局:ラジオNIKKEI第1
放送日時:毎週月曜 16時50分~17時00分
番組ホームページ

ゲスト:12/1~ 鴻上 尚史(作家・演出家)
    12/15~福永 祐一(調教師)
進行: 谷口 菜月(フリーアナウンサー)

<ラジオNIKKEI第1でのレギュラー放送スケジュール>
本放送:第1・3月曜  16:50~17:00
再放送:毎週水曜 11:35~11:45
    第2・4・5月曜16:50~17:00

※該当回の聴取期間は終了しました。

判断力の源~一流になるための脳(ブレイン)ケア~
放送局:ラジオNIKKEI第2(RaNi Music♪)
放送日時:毎週火曜~金曜 15時00分~15時03分

※ダイジェスト版の放送

※該当回の聴取期間は終了しました。

戦争を知らない世代へ平和の尊さを説く─東京大空襲を生き延びた女性が語る空襲体験

戦後81年が経ち、太平洋戦争を体験した方は、本当に少なくなりました。当時、空襲を体験した小学生たちも、いまや90歳前後です。今回は、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐ「空襲体験者」のお話です。

東京大空襲の写真を解説する二瓶治代さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

B29による空襲は、昭和19年6月16日、北九州・八幡製鉄所から始まり、翌年の終戦まで、全国200以上の都市で続きました。中でも、昭和20年3月10日の東京大空襲は、およそ300機のB29から32万発ともいわれる焼夷弾が投下され、下町一帯は火の海に……わずか2時間半の空襲で、およそ10万人もの命が奪われ、「世界史上最大の空襲」ともいわれています。この東京大空襲の惨状を今に伝えているのが、東京都江東区北砂にある「東京大空襲・戦災資料センター」です。

江東区北砂一丁目にある「東京大空襲・戦災資料センター」

もともとは、東京都が「平和祈念館」の建設を進めていました。ところが、財政難から計画は凍結されてしまいます。「それではいけない」と、民間による建設の動きが始まり、4000名を超える人たちから、1億円を超える募金が寄せられました。そして2002年、民立民営の平和博物館、「東京大空襲・戦災資料センター」が開館しました。

焼夷弾のレプリカ。その構造や威力もわかりやすく展示

館内では、空襲の悲惨さを伝える写真や映像、絵画、地図、焼夷弾などが展示され、講演会やシンポジウム、特別展などが行われています。開館当時は、20人ほどの「空襲体験者」が戦争の悲惨さを伝えていました。しかし今、その数は少なくなりました。その中の一人が、二瓶治代さんです。二瓶さんの空襲体験の一部をご紹介します。

~・~・~・~

昭和20年3月10日、私は8歳で、家は亀戸駅の近くにありました。その夜、父が「今夜はいつもと違う、起きろ!」と叫んだので、私は飛び起きました。外に出ると、砂町方面が真っ赤に見えました。家族で防空壕に避難しましたが、やがて人々の叫び声が聞こえてきました。父が「ここにいたら、蒸し焼きになるぞ。防空壕から出ろ!」と言いました。私たちは線路の土手に登りました。そこから見た下町一帯は火の海でした。

燃え盛る炎がゴーッと音を立てて家々をのみ込み、人々は燃えながら走っていました。背中に背負った赤ん坊が燃え、手を引かれた子どもが燃え、転んだ子どもは、その場で火の塊になって燃え尽きていきました。やがて、土手にも火が迫ってきたので、私たちは炎が渦巻く火の海の中を、亀戸駅方面へ逃げました。その途中、被っていた防空頭巾が燃え出し、「頭巾をとれ!」と父が叫び、私はあわてて紐を解こうとしました。その時、父とつないでいた手が離れ、強い風に煽られ、私は炎の中に吹き飛ばされてしまったのです。

気がつくと、家族とはぐれて、一人で逃げ回りました。うずくまっている人が、緑色の炎をあげて燃えているのを見ました。馬が燃えながら走っているのを見ました。どこからか、「こんなことで死んでたまるか。みんな生きるんだ!」と叫ぶ男の人の声を聞きました。

私は動けず、その場にうずくまっていると、意識が遠のいていきました。明け方、私は重なり合った人たちの一番下から、父に引きずり出されました。私の上に重なっていた人たちは、真っ黒な炭になって亡くなっていました。この日、私は、生きたまま焼き殺された多くの死者たちに、命を助けていただいたのだと思っています。

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二瓶さんが「東京大空襲・戦災資料センター」を初めて訪れたのは、2002年、開館して間もない夏の終わりでした。その時、センターの担当者から「当時の体験を語ってほしい」と頼まれます。「こんな私の話なんて……」と断ろうとしますが、岩手県から修学旅行でやってくる中学生50人のために話してほしいとお願いされます。

戦時中に使われていた防火用水

「東京大空襲のことは、我が子にも話さなかった」という二瓶さん。悩んだ末に、当日を迎えます。用意した原稿に目を落としたまま、20分間、顔を上げられず、空襲体験を語り終えました。「そっと顔を上げたんです。すると50人の生徒さんが全員、じっと私を見つめていたんです。身を乗り出して聞いてくれていた生徒さんもいて、ああ、戦争を知らない子どもたちに勇気をもらった……と涙が溢れました」これがきっかけとなり、二瓶さんは、今も空襲体験を語り続けています。

地図の丸印は東京大空襲の直後、仮埋葬が行われた場所

「戦争で一番の犠牲になるのは、いつの時代も、幼い子どもたちです」二瓶さんの言葉が、戦争を知らない私たちに平和の尊さを問いかけています。

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