「ひとり?どっかなぁ~」欽ちゃんのひと言で決まったイモ欽"トリオ"のデビュー

J-popsの源流はアイドルにあり ©STVラジオ

シンガーソングライターの松崎真人が、'70~'90年代の日本の曲・日本語の曲を厳選かけ流し(イントロからアウトロまでノーカット)でお届けするSTVラジオ『MUSIC☆J』。この日も3時間の番組中、30曲の日本の名曲をリストアップしました。

4曲目は、1981年のナンバー、イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」。この曲終わりに、松崎トークが発車しました。

松崎:ローランドの「MC8」という機材で打ち込んだサウンドで、その上に細野晴臣メロディーが乗って、松本隆さんの詞を歌うというコンセプトで、1981年のイモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」ですので、YMO自身の「君に胸キュン」は、これより後です、1983年。ですから「君に胸キュン」の時は、YMOはもう散開が決まっていて、割と半ばヤケクソというか、何というかシャレで、セルフパロディという形で「君に胸キュン」をやったんじゃないかなと思われるんですが、それをするには、やはりイモ欽トリオをやっておいて良かったですよね。トリオですから、YMOと同じ3人と言うことで。

松崎:あとで裏話を聞くと、とにかく「良い子・悪い子・普通の子」で普通の子役で大ブレークしてアイドル的人気がワーッと盛り上がっていた長江健次さんをフォーライフレコードとしてはデビューさせたかったらしくて、プロデューサーというか後見人役として萩本欽一さんに話を持って行ったら、欽ちゃんのあの調子で「どっかなぁ~、う~ん」と言って、「ひとり?ひとり、どっかなぁ~」って言って、フォーライフの方が折れて、じゃぁ「良い子・悪い子・普通の子、3人で。トリオでどうでしょう」って言っていう言葉をフォーライフの方から引き出して、「なら、いいんじゃない?」ってなったって。やはり、萩本欽一さんの頭のコンピューターの冴えっていうのは、今でもスゴいですけど、1980年代の初頭までは"ものすごい"ものがございまして。

松崎:いつも言うんですけど、いま例えば、内村光良さん・ウッチャンがやっていることとかは、いろいろとルーツが萩本欽一さんのやり方、作法みたいなもの流れているなぁと思います。バラエティ番組の作り方然り、素人のイジり方然り、素人同然の方をスターにする才能然り、というわけですね。

松崎:というワケで、萩本欽一さんプロデュース、と言ってもいい女性アイドル、こちらは「わらべ」からソロデビューの倉沢敦美「プロフィール」…。

【5月1日のプレイリスト】
M01「モニカ/吉川晃司」
M02「Forever -ギンガム・チェックStory-/少女隊」
M03「永遠に秘密さ/近藤真彦」
M04「ハイスクールララバイ/イモ欽トリオ」
M05「プロフィール/倉沢淳美」
M06「不自然な君が好き/C-C-B」
M07「雨音はショパンの調べ/小林麻美」
M08「銀の雨/松山千春」
(19時台)
M09「19:00の街/野口五郎」
M10「シルエット・ロマンス/大橋純子」
M11「愛の言霊〜Spiritual Message/サザンオールスターズ」
M12「WOMAN IN LOVE/BARBRA STREISAND」
M13「好きさ好きさ好きさ/ザ・カーナビーツ」
M14「スワンの涙/オックス」
M15「トラブルメイカー/相川七瀬」
M16「南風/レミオロメン」
M17「南風ーSOUTH WINDー/太田裕美」
M18「悲しみ2(TOO)ヤング/田原俊彦」
M19「内心、Thank You/THE東西南北」
(20時台)
M20「田園/玉置浩二」
M21「ら・ら・ら/大黒摩季」
M22「夏を待ちきれなくて/TUBE」
M23「いつまでも変わらぬ愛を/織田哲郎」
M24「シャツを洗えば/くるりとユーミン」
M25「潮風のアリア/くるり」
M26「THE THEME FROM BIG WAVE/山下達郎」
M27「WOULDN’T IT BE NICE(素敵じゃないか)/ザ・ビーチ・ボーイズ」
M28「ダイナマイトが百五十屯/小林旭」
M29「イエロー・サブマリン音頭/金沢明子」
M30「いい湯だな(ビバノン・ロック)/ザ・ドリフターズ」

最後の1曲。1970年代から80年代に、土曜日の夜9時を目前にした時間帯に、お茶の間で流れていたであろう曲。先週までは『オレたちひょうきん族』が続いていましたが、今週はついに『8時だよ!全員集合』に替わりました。

STVラジオ『MUSICJ☆J』(毎週土曜 18:00~21:00)

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MUSIC☆J
放送局:STVラジオ
放送日時:毎週土曜 18時00分~21時00分
出演者:松崎真人(まつざき・まこと):シンガーソングライター(北海道出身)
番組ホームページ

70年代~90年代の日本のポップス・日本語のポップスを中心に"厳選かけ流し"でお届け。パーソナリティは、北海道出身のシンガーソングライター・松崎真人。音楽への深い造詣と知識に裏打ちされた含蓄あるトーク、選曲の幅広さでリスナーの支持を全国に広げている。松崎の"微妙な滑舌"も病みつきになるかも。

※該当回の聴取期間は終了しました。

菅井友香、振付家TAKAHIROと当時の思い出を語る!

サントリー生ビールpresents『菅井友香の#今日も推しとがんばりき』のゲストにダンサー・振付家のTAKAHIROが登場し、菅井と出会った時の印象からグループ最後の楽曲「その日まで」についてまで菅井との思い出を語った。

-TAKAHIRO「菅井さんは不器用なんです」-

菅井とTAKAHIROの出会いは2016年。欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」の振り付けの時だったという。TAKAHIROは当時の菅井について、「菅井さんはいっぱい練習する子でした。いっぱい練習しましたね。『不協和音』の立ち方だけでとか、手の引っ張り方だけで、一時間ぐらいずっとやっていた」と当時のことを振り返った。

また、リスナーからの質問で菅井のグループ時代の最後の楽曲「その日まで」の振り付けにどんな意味を込めたのかについて問われたTAKAHIROは、「あの楽曲は全部が逆再生されるように作ってあったんですが、でも、過去のことだけではなく今の菅井さんが表現できることを大切に、前に進んでいけるように。菅井さんはいっぱい背負ってきましたので。だからそのリュックを一回置いて、ただただ走って風を感じられるように。そういう思いを込めて、振り付けをさせていただきました」と語った。

そんな「その日まで」はミュージックビデオの撮影中に釣りをしている人を待つために一時撮影が中断されることもあったという裏話も語ってくれた。

さらに、リスナーから菅井のパフォーマンスに関する裏話を聞かれたTAKAHIROは、「菅井さんは不器用なんです」と断言。しかし、その不器用さ故の長所があると語った。「不器用だけど、努力するという力を持っていた。感覚でみんながやれるところを努力で全部補おうとする。だから本当にその瞬間を任せたときに、ある程度までは要領のいい人が勝つんだけれども、そこから先の努力でもっと深めることができるから、ステージに立った時に誰よりも輝く瞬間がある」

菅井は、その様にやり遂げられたのはTAKAHIROの存在が大きかったと語り、「少年のような大人でずっと誰より近くにいてくださった」と当時TAKAHIROに感じていたことについて振り返った。

その他、「キミガイナイ」の振り付けについての話やTAKAHIROが櫻坂46の振り付けを考えるうえで一番大切にしていることなど、様々な話が語られた。そちらについては是非タイムフリーで

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