凧がつなぐガザと日本

イスラエルと、イスラム組織ハマスの停戦合意からまもなく1年となりますが、イスラエルは今も、パレスチナ自治区ガザで、局地的な攻撃を続けています。こうした中、実は日本とガザの間では、10年以上にわたって「凧」を通じた交流が続いてきました。きっかけは東日本大震災。震災の翌年の2012年、ガザでは1000人以上の子どもたちが、日本の復興を願って凧を揚げました。その思いに応えようと、2015年には岩手県釜石市で、ガザへ向けた凧揚げが始まりました。その活動を受け継ぎ、2018年から釜石をはじめ各地で凧揚げを続けているのが、「ガザ・ジャパン希望の凧揚げ交流会実行委員会」です。

なぜ「凧」でつながるのか

なぜ日本とガザを「凧」でつないでいるのか。実行委員会の佐藤 直美さんに聞きました。

ガザ・ジャパン希望の凧揚げ交流会実行委員会 佐藤 直美さん

パレスチナは日本と変わらず凧揚げが文化としてあり、それが平和の象徴であるっていうことはすごく大きいと思いますし、凧揚げをしてるときってみんな上を向いて笑っているんです。みんなが笑顔になれる凧揚げっていうのは、交流としてのツールとしてはすごくいいものなんじゃないかなと思ってます。パレスチナの人たちにとって凧揚げをするっていうことは、「僕はここにいるよ、自分はここにいるよ」っていうふうな気持ちもあるようで。ガザの人たちは自分たちは忘れられてるんじゃないかっていうふうに思ってることがあるっていうのをよく聞くんです。なので「私たちは忘れてないよ」っていうことを伝えるためにも続けていくっていうことは、本当に小さな活動なんですが、意味があるんじゃないかなと思ってます。

この凧揚げ、実行委員会が活動を始めてから8年で、これまでに国内9か所、24回ほど開かれてきました。

今年も仙台や釜石、福島県川俣町などで凧揚げが行われました。今年3月の釜石では、親子連れなどおよそ50人が参加。会場では白い凧が用意され、「平和」「希望」「みんな幸せ」などの言葉や、思い思いのイラストを凧に描いて揚げました。

凧に込めた、それぞれの思い

では、実際に参加している人たちは、どんな思いで凧を作り、空へ揚げているのか。インドネシア出身の大学院生と、宮城県で地域おこしに関わる参加者に聞きました。

▶︎日本のアニメとかヒーローみたいな凧を作りたくて、星のカービィ(ゲームのキャラクター)の凧を描いて、空へ飛ばしました。そういうヒーロー、そういう英雄みたいな。我々は力がそもそも小さいけれども、手と手つなげば大きな力になるっていうですね。

▶︎スイカと鍵とオリーブのイラストを描きました。パレスチナを応援するモチーフになってるものなので、それぞれに意味合いがあってイラストで思いを伝えようと思って。必ずしも参加者のみんながガザについて詳しいわけじゃなかったとしても、凧揚げっていう身近な、ハードルの低いところから参加できる場所があるっていうのはすごくいいなと。空ってやっぱ繋がっているので、その凧が見えなかったとしても、何か気持ちとか思いが同じ空を通じて届いたらいいなって思いました。

こうした日本からのメッセージは、2023年までは毎年、釜石とガザをオンラインでつないで交流し、凧揚げの動画やメッセージを見てもらっていました。今は、凧揚げの様子やメッセージをSNSで発信しています。

ガザで今、凧を揚げるということ

ただ、こうして日本ではガザを思って凧を揚げ続けている一方、その交流の原点となったガザでは今、子どもたちが自由に凧を揚げることすら難しくなっています。先月、イスラエルの国防相は、ガザから飛んでくる凧や風船を「ドローンと同じ」として、凧を揚げた地点への爆撃も辞さない姿勢を示しました。過去には、火をつけた凧がイスラエル側に飛び、農地が焼けたこともあり、イスラエル側は警戒を強めています。さらに、先月のAP通信の取材では、子どもの安全を守るため、親が凧を壊したり、テントの中に隠したりしているとも報じられています。では、かつてガザでは子どもたちはどんなふうに凧を楽しんでいたのか。そして今、その日常はどうなっているのか。40年にわたってパレスチナの子どもたちを支援している、パレスチナ子どものキャンペーン エルサレム事務所代表 手島 正之さんに聞きました。

パレスチナ子どものキャンペーン エルサレム事務所代表 手島 正之さん

日本でも凧揚げは文化としてありますし、ガザの方でも昔から子どもたちの遊びとして凧揚げがあったわけですね。週末などに子供たちが大人たちに連れていかれて、例えばガザは海岸沿いに広いエリアがありますのでそういった場所で凧揚げをするというのは珍しくはなかった。私たちが聞いた話によると、それどころではないんですよね、もう。たとえば朝起きて、その日の食料とか水とかを確保するために一家総出なんですよね。まず、その日に食べるもの、飲むものを確保しなければなりませんし、それができなければ、子どもでさえも遊ぶどころではないわけですよ。

さらに手島さんによると、そもそも今のガザでは、子どもたちが安全に集まって遊べる場所そのものも、ほとんどないということです。ただ、こんな状況だからこそ、心の負担を少しでも軽くしようと、子どもたちが遊んだり、絵を描いたりする時間をつくる支援も続いているそうです。

(TBSラジオ『森本毅郎スタンバイ』より抜粋)

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