宇多丸、『ミッドサマー』を語る!【映画評書き起こし】

ライムスター宇多丸がお送りする、カルチャーキュレーション番組、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」。月~金曜18時より3時間の生放送。

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

3月27日(金)に評論した映画は、カルト的映画として語り継がれるであろう一作(2020年2月21日公開)。

宇多丸:
さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……『ミッドサマー』

(曲に乗せて)この曲に乗せて、あの最初の、パンフについている絵が、開いて始まるんですけどね。

長編デビュー作『へレディタリー/継承』で高い評価を集めたアリ・アスター監督最新作。不慮の事故で……まあ「不慮」っていうかね、家族を失った主人公のダニーは、恋人や友人たちと、スウェーデンの奥地にあるホルガ村を訪ねる。白夜の最中で太陽が沈むことのないホルガ村は90年に1度の夏至祭の真っ最中で、楽園のような場所に思えたが、ダニーたちにとってそれは悪夢の始まりだった……。主人公のダニー役は、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』で第92回アカデミー助演女優賞にノミネートされたフローレンス・ピュー。さらに『デトロイト』のジャック・レイナーやウィル・ポールターさんなどが出演しております。

といったあたりで『ミッドサマー』ね、世の中的に結構異例のヒットをしてるみたいでしたけどね。まあちょっと新型コロナウイルスの影響もあるのか……この『ミッドサマー』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、通称<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は「普通」。ちょっとね、大ヒットぶりと、番組内でも非常に盛り上がった作品なんですが、それにしてはちょっと少なめなのかな? ただね、賛否の比率は「褒め」が7割程度。

褒めてる人の主な意見は「自分たちの常識が通用しない世界に登場人物たち同様、気づけば自分も取り込まれていた。クラクラした余韻を今も引きずっている」「鮮やかな色彩や美しい構造がより異常さを引き立てていた」「見終わった後、なぜか爽快感が……!」などがございました。

一方、主な否定的な意見は「物足りない。怖さも不快さもアリ・アスター監督の前作『へレディタリー/継承』の方が上」とかですね、「登場人物たちの行動がバカすぎて興ざめ。不快なものを描くことが目的化しすぎてる」などがございました。まあ、でもよく考えたらこんだけね、変わった映画の賛否が、7割方褒めっていうのはこれ、結構多い方かな、って気もしますけど。

■「2つの意味で危険な映画。カルト的映画として語り継がれるであろう一作」(byリスナー)
代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「シムシム」さん。「これは2つの意味で危険な映画だな、というのが第一印象でした。まずこの映画は『こちら側』の世界で救われなかった人物が『あちら側』の世界で救いを見つけたという話になってると思います。この『あちら側』の世界に辿り着くまでが、そしてその内実はなかなかエグかったりするのですが、ラストシーンの主人公の表情に象徴されるように、たしかにそこには彼女にとっての救いがありました。しかし慣習や伝統とはいえ、人殺しを正当化してしまう世界観を持つ『あちら側』の世界っていうのはやはりとてつもなく危ない世界なんだろうと思うのです。これまで、教義のために嬉々として命を差し出す、差し出させることをやっていた側の人間がラストシーン近くで……」。ちょっとこれは伏せさせていただきます。

「……実際は危険が満ち溢れている『あちら側』の世界から『こちら側』の世界に戻る様、教義が溶ける様を打ち出してるようで、このシーンは非常に印象に残りました。そしてこの映画の何より危険なところは、とんでもない『あちら側』の世界がなぜだか鑑賞してる間に魅力的にすら見えてしまうことだと思うのです。催眠術的と言ってよいかもしれませんが、アリ・アスター監督らスタッフの並々ならぬセンスにやられっぱなしの約2時間半でした。カルト的人気を呼ぶカルト的映画として語り継がれるであろう一作だと思います」という方。シムシムさんでした。

一方、ダメだったという方。「ミスターホワイト」さん。「番組で監督インタビューまでされた作品に対して言うのがはばかられますが、私は本作が嫌いです。『へレディタリー』も一部の鮮烈なショックシーンを除いてはありがちな神経症的ホラー演出ばかりで過大評価だと思っていましたが、本作でいよいよ『アリ・アスター作品の本質は、観客に嫌な気持ちを与えることへの固執を意味ありげな雰囲気で包んでいるだけのもの』と感じた次第です。何よりも私が嫌悪を感じたのは、あの結末を見せるために登場人物たちが『スクリーム』シリーズで犠牲になる学生たちよりも救いがたいぐらい頭が悪く設定されている点です。

監督が見せたい結末のために登場人物をバカにするのはあまりにも心ないと思います。彼らの都合よい犠牲者ぶりは見ていて苦痛でした。ハートのない作り手には付き合いたくありません。次作も同じだったら私はアリ・アスター作品は以降、パスするでしょう。好き嫌い以外で感じたのは舞台設定や雰囲気は『ウィッカーマン』に似すぎで、北欧に対しての偏見のようなものすら感じます」というようなことでございました。

あとね、「リンゴ宮殿」さんという方がですね、ちょっとこれ時間がないので端折らせていただきますけども、劇中でね、ジャック・レイナーさん演じる彼氏役クリスチャン。まあ、ダメっていうか、どっちかっていうと悪い方の役になっていっちゃうんだけど、クリスチャンの立場っていうのも考えると擁護したい、というような。要するに「大きな不幸に見舞われた人のそばにとどまった人もダメージを受けるんだ」というような立場から書いていただいて。これも「なるほどな」という風に思いました。


■2018年宇多丸ベストの『ヘレディタリー/継承』のアリ・アスター監督、待望の最新作
ということで『ミッドサマー』、私もあのアリ・アスター監督インタビューに備えて、もう去年の時点でもいち早く見ていましたし、今回このタイミングで、TOHOシネマズ日比谷でディレクターズカット版も公開中なので見てまいりました。ちなみにちょっと一言、言わせてください。TOHOシネマズ日比谷の私が上映で見た回は、ディレクターズカット版、スクリーンの四隅がですね、ちょっと湾曲した状態で、グニュッと余白が余っちゃう……要するにレンズがちゃんとスクリーンサイズに合ってないのか、ズレているのかで、ちょっと変な感じの上映状態のまま、日比谷さんはやってましたよ、っていうのは指摘しておきたいなと思いました。「映画館でかける状態として、ちょっとこれはどうなんだ?」というような状態でした、僕が見た回は。

ということで、『ミッドサマー』、いざ日本で公開されたらね、ちょっと予想を超える大ヒットになっているようで。インタビューの中で時間切れで質問しきれなかった、20分以上長いディレクターズカット版というのがあるそうですが、これはどういう内容ですか?」っていうのが、まさにそのオリジナル版の公開中に同時に公開されているという、なかなか異例の事態になっているぐらい、ヒットしてるってことです。

■一見オシャレな北欧映画風なのに……というギャップがフレッシュ
で、改めてじゃあ『ミッドサマー』、どんな映画なのか?っていうのをざっくりね、概要からちょっと説明していきますと……まあ、「近代西洋文明社会から隔絶した周縁の地に、ノコノコ出かけていった人たちが、現地の因習の餌食になる」というような、まあこの話自体はですね、ホラーにしろ、モンド映画というようなジャンルにせよ……まあたとえば『食人族』とかでもいいんですけども、むしろ定番的、ジャンルとして確立されたものでもあって。手を変え品を変え、いろんな形の名作、傑作、珍作が、すでにもう星の数ほどあるような話がベースではあるんですね。

中でも、陽光が燦々とと照らす真っ只中、妙に明るい、まあ祝祭感さえ漂う中で、白人の現地人たちが、言っちゃえば非キリスト教的な、異教の恐ろしい儀式をキャッキャキャッキャと行っていく、という点で、僕も当然のようにインタビューで触れましたし、少なからぬ映画ファンが連想をするであろう、先ほどのメールにもありました通り、1973年のイギリス映画『ウィッカーマン』、それに近い、という風に感じる方も多いでしょう。これ、リメイクもされましたよね。あと、エドガー・ライトの『ホット・ファズ』は、かなり『ウィッカーマン』色の強い作品だったですよね。なんとなくあの感じ、というのはわかるんじゃないですかね。

あと、個人的には非常に大好きな映画で、ハーシェル・ゴードン・ルイスの『2000人の狂人』というね、1964年の映画があって。これも2005年に『2001人の狂宴』というタイトルでリメイクされましたけども。『2000人の狂人』なんかも、要するに明るい中でみんながキャッキャキャッキャと言いながら、お祭りの中でひどい惨劇が起こる、みたいな。で、誰も話を聞いてくれない、みたいな、あの感じをちょっと思い出したりしましたね。

ぜひ、見たことない方はハーシェル・ゴードン・ルイスの『2000人の狂人』、ひどい――これ、褒めてますけどね――最高!っていうね(笑)。で、今回の『ミッドサマー』の場合、北欧という、今となってはもちろん進歩的な社会というイメージも強いですけど、古くからの土着文化も根っこにはある、という場所で。それで白夜なのもあって、一見本当にこの世の楽園風に見えるけれども……というあたりのギャップ感が、まずはフレッシュ!というのはありますよね。日本は非常にね、北欧家具なんかも人気ですしね。そことのギャップで、一見おしゃれに見えるけど……みたいなところの、ギャップもウケたんじゃないかと。

ただ、もちろんそれだけではなくて、脚本・監督のアリ・アスターさん、前作『へレディタリー』では、悪魔崇拝物という、これもホラー映画としては定番的なジャンルの形を借りて、「家族という呪い」「家族という地獄」を描くという……しかもそれは、アリ・アスター監督ご自身の個人的な体験がベースになっていますよ、という。要は、「ホラー映画としてホームドラマを描く」ということをやっていたわけですよね。ホームドラマで描かれているテーマを、ホラー映画として本当に、家族という地獄を、本当に地獄として描く、みたいなことをやってたわけです。

■ホラー映画、もしくはモンド映画としてメロドラマ、倦怠カップル物を描いたのが本作
同じく、じゃあ今回の『ミッドサマー』、実は『へレディタリー』制作前から進んでいたというこの企画もですね、まあ辺境ホラー物、もしくはモンド映画というジャンル映画的な枠組みを使って……もちろん過去作とも通じるその家族という呪いというテーマも、物語の基盤として刻印はされていますけども、本作のメインは何より、これもやっぱりアリ・アスターさんご自身の失恋体験をもとにしたという、まあ、ある末期的なカップルの関係の終わり、決定的な別れを描いた、メロドラマでもあると。要は僕の大好きな、「倦怠夫婦物」ってありますけども、いわゆる倦怠カップル物ですね。大好物なんですけども。

つまり、「ホラー映画としてホームドラマを描いた」『へレディタリー』と同様、「ホラー映画もしくはモンド映画としてメロドラマ、倦怠カップル物を描いた」作品、と今回の『ミッドサマー』は言えるという。特に主人公、もう本当に目下大活躍中のフローレンス・ピュー演じる主人公ダニーさんの視点から見れば、実はロクなもんじゃなかった彼との関係をついに清算して、晴れやかに、新たな自分と世界を受け入れていく、というですね。見方によっては超前向きな成長物語、とも取れるような話になっているわけで。特にだからここ日本で、わけてもその若い女性観客が劇場に結構詰めかけているというのをあえて分析するなら、ひとつにはこのですね、主人公ダニーからすれば、「Let It Go」、つまり「レリゴー」かつ「イントゥ・ジ・アンノウン(Into The Unknown)」でもある、という……。

これ、町山智浩さんがこの番組にお越しいただいた時にも話しましたけども、あの『アナ雪』、特に『2』もやっぱり、北欧の土着文化というのがベースにある作品だ、と言ってましたけど。とにかく主人公目線からすると、「レリゴー」かつ「イントゥ・ジ・アンノウン」、つまりその「女性が自己を開放して、新たな世界に入っていく話」という側面がウケている、っていうのもちょっとあるのかな?っていう風に思ったりします。

ちなみにさっきからですね、「主人公が最終的にそのダメな彼氏との関係をついに清算」とかですね、「ノコノコ出かけていった人たちが現地の因習の餌食になる」とかですね、それははっきりストーリー上のネタバレになるんじゃないの?っていうことをちょいちょい言っていますけど。脚本・監督のアリ・アスターさん、私がしたインタビューでも明言されていましたが、そんなことは、ジャンル映画でもある本作においてはわかりきってることなんだから、そんなことをわざわざサプライズ的にもったいぶって扱うのはやめた、っていう風に明言されているわけです。

それどころかですね、この……まあ『へレディタリー』もかなりそうでしたけど、本作『ミッドサマー』はその前作以上にですね、後に起こる展開が、前の方で、いろんな形で……たとえば絵だとか、さりげない会話だとかで、はっきり予告されていたり、逆に前の方で起こったことが、後ろの方に別の形でこだましていたり、ということで。要は、全てはあらかじめ仕組まれていて、こうなるしかなかった……全ては予告されていたし、全ては計画通りに進んでこうなった、というような、要はアリ・アスターさんの作品独特の、運命論的ストーリーテリングと言うのかな、結局こうなるしかなかった、主人公や登場人物たちに選択肢はなかった、というようなストーリーテリング。その哲学についても、インタビューでね、軽く語ってらっしゃいましたよね。というのが、全編に緻密に張り巡らされている、というわけなんですね。

■耐えがたい悲劇を経験した主人公、なのに誰も救ってあげられない……というOP
なにしろ今回のその『ミッドサマー』に至ってはですね、もうド頭です。冒頭。ファーストショット。(スタッフに向かって)さっきの音楽、もう1回かけて。ファーストショットのあの絵。10秒ぐらい映し出される、ある絵があるわけですね。

(音楽が流れる)

フフフ……(笑)。あの最初の絵で、ちょっと絵巻物形式というか。右から左に時間経過していくような絵なんですけど、あの最初の絵でもう、「その後、こうなりますよ」というストーリー展開が、あらかた提示されているんです。最初に「はい。こうなってこうなってこうなります!」っていうのが……まあ10秒程度しか出ないんで、最初に見た時には意味がわかんないんだけど、という。で、細かくこの絵を見たいという方は、おなじみ大島依提亜さんデザインの、超絶凝りまくったパンフレット。その表紙裏に、この絵が大きく印刷されてますので。ぜひこれ、鑑賞後にね、ご覧いただくといいんじゃないでしょうか。

で、その絵が紙芝居風にスルスルと開いて……つまり、前作のオープニングのドールハウス同様、全ては外側からコントロールされて、外側から監視されて、メタ的な視点で見たような話ですよ、というような始まりになっている。ちなみに、前作でトニ・コレットさん演じるあのお母さんが、自分の体験を、キツいものも含めて作品に落とし込んでいる、っていうドールハウスですね。つまりこれ、アリ・アスターさんご自身の姿でしたね。今、考えればね。「自分の体験を作品に落としこむことで……」っていうのは。

で、そのスルスルと紙芝居のように絵が開いて、本編に入っていく。あれはたぶん、最初に映し出されるのは、冬の、おそらくはそのスウェーデンのホルガ村。つまり、実は劇中では陽光が常に輝く白夜の期間が描かれていますけども、そうじゃない、普段の、1年間のほとんどのホルガ村の、つまり冷たい顔というか、劇中では見せていない冷たい顔が最初に映るんだ、という風に私は解釈してるんですけどね。だと思う。で、そこから同じく雪に覆われた、冬のニューヨーク。その物語の発端となる、ある悲劇が起こるわけですね。

で、この始まりの時点ですでに、主人公のダニーと、『デトロイト』に引き続き優柔不断ゆえにずるずると道を踏み外していく男、という感じが絶品な、ジャック・レイナーさん演じる彼氏のクリスチャン。ちなみにこの「クリスチャン」というネーミングも、恐らくはわかりやすく、やっぱりその「クリスチャンに対して非キリスト教的な信仰が……」というような構図を、わかりやすく象徴してるネーミングかと思いますが。まあとにかく、ダニ―とクリスチャンの断絶が、すでに修復不能なレベルに達していて、ということが示される。

彼は彼で、やはり『デトロイト』に引き続き、嫌な感じに傲慢な白人青年を演じさせたら本当に絶品ですね、ウィル・ポールターさん演じるマークを始め、男友達間のホモソーシャルな同調圧力というかね……お互いなんかね、「やっちまおうぜ!」みたいな話をしてるんだけど、ホモソーシャルな同調圧力に、まさにずるずると流されるばかり。しかもそのホモソーシャルな同調圧力も、そんなつながりはいかに脆い、表面的なものでしかないか、友情ですらないっていうかね、それは次第に、物語が進むにつれて明らかになっていくわけですけど。

一方、ダニーさんはダニ―さんで、あまりに不条理な、耐えがたい悲劇を前にしてですね……またあの死に方のね、嫌なこと!っていう感じですよね。顔は灰色になっちゃってね。目なんかこんななっちゃってね。それを前にして、要はその、他者とのコミュニケーション、心からのコミュニケーションが難しい状態に……まあ無理からぬことなんだけど、どんどんなっていってしまう。あそこでその、「ギャーッ!」って彼女が、まあ当然泣き叫ぶわけだけど、やっぱりその、あまりに異常な悲劇が降りかかった人が異常に嘆き悲しんでると、それ自体が、これは本当に申し訳ないけど、ちょっとコミュニケート不能な、「怖い」存在に見えてしまう、というのは、『へレディタリー』にもあった描写ですよね。「ギャーッ! 私はもう生きていたくない!」っていう、あのくだりとか。

だから、「アリ・アスターさんは、実人生で一体何を見てきたんだ?」っていう風に思わざるを得ないようなね、そういうディテールだったりしますけど。つまりこの冒頭、なにが恐ろしいかって、これだけ悲しい思いをしている主人公を、誰も救えない、救ってあげられる人がいない、っていう状況。絶対的なディスコミュニケーション、孤独。これが何より恐ろしい、というオープニングになってるわけですね。

■異常性がむき出しとなる「あの」場面は、黒沢清監督の『回路』を参考にしているのでは
で、オープニングタイトル後、季節が変わってですね、表面的には明るい陽が差す、ダニ―の部屋。ここでですね、皆さん注目していただきたいのですが、カメラが窓からパンしてくと、壁にかかった大きな絵に、カメラが止まります。

どんな絵かというと、結構大きな絵なんですけど、王冠を被った女の子が、大きな熊にキスをしている絵が映っています。これは、インターネット・ムービー・データーベースによればですね、ヨン・バウエルさんという、スウェーデンの画家・イラストレーターの作品、ということなんですけど。まあ『ミッドサマー』を既に見た方なら、この終盤の展開が、この絵にもやはりですね、さりげなくと言うか、でも決定的に予告されている、ということに後から気づく、というような作りになっている。そんな感じでですね、その後ろの方の展開が予告されている。あるいは前の方で起こったことが、後ろの方で、実は織り込み済みだったんだよー、みたいなことがわかる、的な仕掛け。

わかりやすく説明的なところで言えば、たとえばホルガ村のあちこちにある、あの村の儀式を描いたと思しき絵、であるとか。あるいはダニーがね、悪夢で見るヴィジョン……たとえばその、妹主導のね、一家心中ですよね。それが、なんかそのホルガ村で行われている、説かれている、その「生命のサイクル」(的なロジック)の中で読み直せる……のか? みたいな感じになっていく、みたいなあの悪夢のヴィジョンであるとかね。まあ、それは非常にわかりやすく説明的な部分。

そういうのもあれば、インターネット・ムービー・データベースには「こういうディテールがあるよ」って書いてあるんだけど、僕は見直しても、ちゃんとまだ発見できてないディテールもまだまだあって。たぶん数回見ただけでは全部は分からないぐらい、隅々までそういうのが張り巡らされているんだとは思うんです。で、そういうので言うとひとつ、僕は個人的にギョッとしたある仕掛けがありまして。それはちょっと、最後に言いますね。

で、まあとにかく画面もですね、非常にシンメトリカルで、アリ・アスターさんの特徴ですよね、非常にデザインされた画面の中……これも要するに、全ては計画済み、というメタな視点を感じさせる、デザインされた画面の中で、アリ・アスター監督ご自身が言っている通り、そして作品の中でも再三予告していた通り……たとえば、「あの遊び、なんて言うの?」「愚か者の皮剥ぎ遊びだよ」とか(笑)。まあそんなことを言ってるわけです。まあ主人公たち、若い英米からの旅行者たちは、まんまと、要するに計画通り、1人、また1人と、表面上の平穏さは保ったまま、姿を消していく。

一体彼らは何をされたのか?っていうあたりは、まさにこの作品の愉快なあたりなので、ご自分で楽しんでいただきたいんですが。基本的にその、ハラハラドキドキ、サスペンス的な盛り上げは、本作では基本的にあんまりしていないです。そういうサスペンス的な引っ張りはほとんどしてない。してないんですが、やはり一番感情的に盛り上がる部分は、最初にこのホルガ村の、決定的な異常性が……要はここだけは、表面上の取り繕いも何もなく、むきだしのものとして明らかになる、「あの」場面ですね。『へレディタリー』中盤の「アレ」にも匹敵する、「あの」場面なんですけど。

今回のそれはですね、キモはやっぱり、「ああ、これはひょっとしてこうなるな……こうなるな……ってマジか? 本当になるか?……なった!」っていう、要するに、最初から半ば予想はついていた酷いことが、本当に目の前で起こる、それを非常にそっけないタッチで、「目の前で起こったこと」として見せているあたり。これはキモでしたね。アリ・アスターさん、インタビューの時も黒沢清さんをフェイバリットとして挙げてましたけど、ここは間違いなく、(黒沢清監督作の)『回路』を見てるっていうことでしょうね、っていうね。参考にしたあたりじゃないでしょうかね。

■「嘘じゃねえか! もう手遅れだけど!」
で、まあそういうジャンル映画としての楽しさもきっちりと全編に盛り込みつつ、この『ミッドサマー』、お話の中心にあるのはやはり、先ほども言った通り、ダニーとクリスチャンという終わりかけカップルが、本当に終わっていく、そのやっぱり悲しいプロセスなんですね。という風に僕は思います。個人的にも、大学時代、当時の彼女とヨーロッパに1ヶ月旅行に行った時に、激しく喧嘩を重ねた時のことなどを、痛々しく思い出したりしました。たしかにクリスチャンは思いやりを欠いたダメ彼氏なんだけど、たとえばホルガ村にですね、ダニーが受け入れられていく、こっちはすんなり受け入れられていくのに対して、自分は対照的に、どんどんどんどん疎外感を強めていく、という。あの、ポツンとした寂しさとか、彼の立場っていうのも、ちょっと分からなくもない。

で、「なんだよ? オレ、疎外されてんじゃん?」って。それで隣のおじさんにも意地悪されて。「なんでそんなことすんの!?(泣)」って。まあちょっとラリってるし(笑)。というところで、「じゃあ、こっちおいで」っていう方にフラフラと行ってしまう、という気持ちも、分からないではない、みたいなね。まあ先ほどのメールにもありましたけど、クリスチャンとてやっぱり、まあある意味コントロールされてここに導かれてるわけですから。一方、主人公のダニーにとってはですね、この村の人々のあり方というのは、要はその、悲しい時はみんな一緒に悲しみの声をあげる。「あああーっ!」って。で、誰かが苦しい時は、みんなが苦しがる。「うわーっ!」って。クライマックスのところでも「うわーっ!」ってやってるとか。あるいは、気持ちいい時には……(以下略)というような感じで。

というようにですね、要は自と他の区別、個と世界の区別があやふやなような……個人の命と全体の生命、っていうのさえあやふやなわけですから。というような、共感、シンクロ、個が全体にもなるようなそのコミュニティー……つまり、元にいた社会ではついぞ彼女が得られなかった「悲しみの共有」が、ついにここでは果たされる、という。だから彼女にとっては、これはひとつのハッピーエンドなのかもしれない。ただし、アリ・アスターさん、これはどこまでも油断ならない男でございまして(笑)。だからと言って、このホルガ村のコミュニティーのあり方、馴染んでしまえばオールOK、なのか?っていう……やっぱりこれはこれで、なんかいろいろとスピリチュアルな御託を唱えてはいるけど、これだってまた別の制度、つまり、またひとつのまやかしでしかないんじゃないか?っていうくさびも、きっちり打ってくる。(※宇多丸追記:前述インタビューでアリ・アスターさんも、「ホルガ村だって、非常に閉鎖された社会で、有色人種が入ってくることを拒んでいるよね。それも、人目につかないようにね」と言っていましたが、例えば同じ生贄にするのでも、犠牲者の人種によって“用途"の違いがどうやらはっきりあるっぽいのがまた、感じ悪いあたりですよね。)

その極めつけが、やはりあのクライマックス。とある建物の中でですね……まあ何が起こるかは、見てください。要は「嘘じゃねえか! もう手遅れだけど!」っていうことですよね(笑)。まさに、「肉体は僕らを無条件で裏切る」という、それのもう、一番最悪の描写。容赦ない真実を突きつけてくる。思えばダニ―も、このラストに至って、もちろんにっこり微笑んではいますが、すっかり花に覆われて……つまり、この村のシステムにすっかり「呑み込まれてしまった」ようにも思える。だからやっぱり、ハッピーエンドとも言い切れない。その複雑な印象をさらに深めるのが、エンドクレジットに流れる、こんな曲。フランキー・ヴァリ、1967年「The Sun Ain't Gonna Shine (Anymore)」。太陽はもう輝かない、月はもう登らない、あなたと別れてしまってから……みたいなことを歌う、というね。

非常に暗い歌なわけです。「太陽は輝かない」っていう。白夜の話なのに。これは、クリスチャン側の視点とも言えるし、白夜が終わり、本当の……つまり、冒頭で見せたような冷たい顔、本当の顔をこれから見せるであろう、ホルガ村のこれから、つまり、ダニーのこれからをも暗示しているのかもしれない、というこのエンディングテーマ。まずここで、「うわっ、感じ悪いな」ってなりますし。そして皆さん、さらに私、ギョッとしたのは、このフランキー・ヴァリ、この曲が入ったソロアルバムのレコードジャケット、検索して、画が出てきた瞬間、思わず「ギャーッ!」と言いました。

アリ・アスター監督、そこまで仕込んでいるか! と。もしくはここから発想したのかもしれませんが、僕の感覚としては、実世界側に……もう映画は終わって、その映画について調べてたら、そこにも『ミッドサマー』的な仕掛けがまだついてくる! みたいな感じで。「気持ちわる!」っていう(笑)。ぜひ皆さん、これね、ちょっと検索してみてください。

■「その人にしか作れない」、おかしな、面白い、変な映画!
ちなみに、ディレクターズカット版はですね、行きの車の中の会話とか、あと夜の儀式がひとつ増えていたり……で、その後にクリスチャンとの口論が増えていたりする、っていうことで、まあクリスチャンとダニ―の関係性というものが、より厚く描かれていると思いますし。あとひとつ、あのロンドンから来たという女の子、コニーがですね、どう殺されてしまったのか、というのがやんわりわかる。その夜に行われた儀式とセットで……注目は、これは本編、短いオリジナル版にも入ってますけど、運ばれていくコニーの死体が着ている、衣装に注目です。はい。

ということで、私はですね、とにかくこれは、ホラーというよりはダークコメディテイストですが、「その人にしか作れない」変な映画、っていうのはもう、それだけで大好き!っていうのがございまして。これはまさにやっぱり、アリ・アスターしか作れない、おかしな、面白い、変な映画です! 切なくもある。ぜひ劇場でウォッチしてください!

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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