宇多丸『かがみの孤城』を語る!

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』月~金曜日の夜18時から放送中!

1月6日(金)放送後記

「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、昨年12月23日から劇場公開されているこの作品、『かがみの孤城』。

辻村深月さんの同名小説を、映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』や『カラフル』などを手がけた、原恵一さんが監督をつとめて劇場用アニメーション化。鏡の向こうにある謎の城に集められた七人の中学生は、願いを叶えるために、城に隠された秘密の鍵を探すことになる。声の出演は、當真あみさん、北村匠海さん、芦田愛菜さんなど、でございます。

ということで、この『かがみの孤城』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」。まあでも、どうだろうね、そんなに派手な公開のされ方をされている映画じゃないし……やっぱり原恵一監督作となれば、(それでも)こんぐらいちゃんと行っていただける、ってことでしょうか、健闘している方だと思いますけどね。だって(今、おそらく同じシネコンなどでは)『アバター』とか、やってるんだからさ(笑)。

で、賛否の比率は、褒める意見が6割。主な褒める意見は、「子供たちの問題を誠実かつ丁寧に扱った作品。大人にとっても大切な作品になりうる」「ミステリー的な仕掛けに疑問がないわけではないが、そこを補って余りある魅力がある」などがございました。一方、否定的な意見は、「前半はよかったが、後半に失速」「ある秘密に登場人物たちが気づかないのはさすがに不自然。他にも考えたらおかしい設定がいくつかある」とか、「結局、オオカミさまは何かしたかったの?」などございました。

「大人にとっても大切な作品になりうるよう、丁寧に誠実に作られている」

代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「エフエフ・アイ」さんからいただきました。

「映画『かがみの孤城』、正月三が日に観てきました。親子連れの来場者がかなり多いようでした。子どもたちのために作られた映画であると同時に、大人にとっても大切な作品になりうるよう、丁寧に誠実に作られているなと感じました。孤城に集められた7人の子どもたちはみな、自分に降り掛かってきてしまった理不尽さと戦っています。すべての子どもたちが等しく生き延びることは、できないのかもしれない。けれど、先人たちが悔しさや悲しみとともに開いてきてくれたおかげで、どうやら少しずつ、世界は前よりもよくなっている。この、最高とは言えないけれど、決して地獄でもないはずのこの世界を私たちもどうにか前に進めていこう。そう思わせてくれる作品でした。

それにしても、アニメーションの芝居の精密さがすごかったですね。『ここでその場所も動くの?』と驚かされるシーンが何度もありました。『THE FIRST SLAM DUNK』『犬王』『すずめの戸締まり』など、素晴らしいアニメーション映画はいくつもありますが、アニメ表現の目指す場所はひとつだけではないのだなと感じました」。ああ、これ、いいですね。要は、派手な方向ばっかりじゃない、っていうかね、もちろんね。「この映画が、観に来ていた子供たちにとっても大切なものになっていくと思います」というような方でございました。ありがとうございます。

一方、ちょっとダメだったという方。これ、結構いろいろ細かく書いていただいたので、要約してご紹介させていだきます。ラジオネーム「あぽかり」さん。

「最終盤の怒涛の展開は良いと思いますが、原作がそもそも抱えていた矛盾や弱点を悪い形で顕在化し、大きくてしまったのが今回のアニメ版なのではないか、という気がしてなりません。以上、不満点を大きく3点にわたって整理しました。

1、現実世界の問題が何も解決しない。いじめっ子は、いじめられた側に負わせた傷に気がつかないまま被害者を増やしており、学校には問題が温存されたままであることにモヤモヤ感が募ります」。問題が解決されてない、という。

「……とあるキャラクターについては、他の子供たちと異なり、学校ではなく家庭内に問題があることが示されますが、作中では城に集まった仲間にも共有されてすらおらず、この問題は放置されます。最終盤にこの事実を知らせられて、その後すぐに大団円というラストは、観客としては受け入れがたいものがあります」というご意見。

「その2として、仮想世界で過ごした1年間という時間が長すぎる。実際問題として中学校にほぼ1年通えてないことによる学業の遅れは、取り戻すのは難しく……」というような問題を指摘していただいて。あと、「知らない同年代が共通の話題を探り探り話していけば、1日かからずに気づくような内容で、不自然に感じます」という。要するに、お互いの共通項に気づくというのが遅いんじゃないか?という。

「その3として、『オオカミさま』の意図がよくわからない。オオカミさまが『不登校の7人』を集めた理由が明確にならないので、むしろ『何がしたいんだよ、オオカミさまは?』という怒りが湧いてきます」というようなご意見もございました。はい。ということで、ありがとうございます。

硬派な作家的矜持を持つ原恵一監督。今作では大ベストセラーをポップなチューニングに

『かがみの孤城』、私もTOHOシネマズ日本橋で二回、見てまいりました。お正月としては入りはそこそこ、といったところでしたが。まあ、他に強力な作品が揃っているということを考えれば、入っていた方かもしれない。で、本来のメインターゲットであろう、中高生っぽい子たちのみならず、小学校低学年ぐらいのお子さん連れがちょいちょいいたのが、印象的で。

というのも本作、いわゆるヤングアダルト的な内容ゆえにですね、僕の感覚だと、少なくとも小学校高学年くらいまでは、「これ、ちょっと小さい子供に見せていいのかな?」と感じられるような、わりとハードな、「ある現実」の描写があるので。詳しくは後述しますが……もちろん、主に子供が観るものだからといって、絶対に甘ったるいものにはしない、むしろ世界のダークサイドをこそしっかり描こう、というのこそ、原恵一監督作品の、まさしく矜持の部分でもあるわけですが。

原恵一さんがどういう作り手なのか、という説明、ここで詳しくする予定はありませんが、とにかくいずれ劣らぬ傑作群を世に送り出してきた、名匠……2018年に、アニメーション監督としては高畑勲、大友克洋に次ぐ三人目となる、紫綬褒章授与もされているという、まさしく名匠でございます。

あと、この僕の映画時評コーナーで(原恵一作品に)ガチャが当たったのは実はこれが一回きり、というね、2013年6月20日にやりました、今のところ唯一の実写作品……木下惠介監督の青年期を描き、ラストでは、それはそれは鮮やかな「木下惠介メガミックス」(笑)で観る者を圧倒してみせた、『はじまりのみち』という、これまた素晴らしい一本もあったりします。

で、さっき言ったような、言ってみれば硬派な作家的矜持も含めてですね、どこか反時代的と言いましょうか、時流に媚びない、孤高なスタンスの作り手さんでもありますので。ぶっちゃけ、見た目そんなにキャッチーじゃないというか、少なくともいわゆる「アニメファン層」に訴求はしづらい感じの作品にはなりがちであって、ですね。

そのあたりを……たとえば今回の『かがみの孤城』でもビジュアルコンセプト、あとはお城のデザインや劇中の童話イラストなどを担当されている、ロシア出身のイリヤ・クブシノブさんにキャラクターなどのビジュアルデザインを任せた、2019年の前作『バースデー・ワンダーランド』。この作品で、もうちょい華のある方にチューニングを始めたな、という感じがあったりしました。ちなみにそのタイミング、2019年4月23日には、原さんにこの番組にお越しいただいたりもしましたね。

その意味では、今回の『かがみの孤城』はですね、なにしろ原作自体がね、辻村深月さんの、本屋大賞受賞、170万部以上売れているベストセラー、既に漫画化も舞台化もされている、という一大コンテンツなわけですし。原恵一さんご自身ですね、監督の打診を受けた当初は、過去作で言うとやっぱり、2010年の『カラフル』という作品との共通点の多さを気にはしつつも……まあ、悩める中学生が、非常に超現実的な体験を通して成長し、救われていく。そのファンタジー的設定の向こうにある、「実は……」なハードな現実の問題など、たしかに共通する項目が多いんですけども。

まあ今回は、「職業監督に徹しようと思った」という……要するにその原作というのを、できるだけアニメとして活かす、というか。そういう風にインタビューなどで仰っている通り、制作は、まさにいまどきアニメのド真ん中……特に、たとえば『心が叫びたがってるんだ。』とか、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』など、青春物というのにも定評がある、A-1 Picturesというところが手がけており。キャラデザなども、たとえば主人公・こころの髪や目の色をですね、「青」ベースにする……原さん的には、青というのは今までの自分の作品ではちょっと考えられなかったらしいんですけど、そういうような、なんていうかポップなチューニングがされていたりする、ということで。

観客に向けて本気で直接手を差し伸べている。ここまでの志で作られている作品、あんまりないんじゃないかな

その結果ですね、特にこの作品、届くべきところにより届きやすいような作りになっている、という風に思います。つまりですね、今まさに10代で、様々な理由から、居場所のなさや生きづらさを感じてる人たち……あるいはまあ、「かつて」でもいいんですよね。この作品、実はその若者限定で救いの手を差し伸べてるわけじゃなくて、かつて、そういう若い時とかに傷ついたことがある人たち、大人にも、実は救いっていうのを提示していて。実は射程がさらに広い作品でもある、と思うんですが。そういう、傷ついたことがある、あるいは居場所のなさを感じていた/いる当事者たちに向かって、直接手を差し伸べている。

つまり、観客に向けて直接手を差し伸べているような、原作品ならではの、強い……「厳しい」と言ってもいいようなメッセージ性と、その射程を伸ばすポップさというのが、同時にバランスよく共存しているような、非常に志が高い一作になっている、とまずは結論を言っておきたいと思います。

10代を主人公にして、10代のお客を集めよう、というようなアニメ作品。それはもう、それこそ星の数ほどあるわけですけど……これほどまでに真剣に、たとえばアニメを、小説を、「物語」を最も必要としている人たち。まさしくその人にとっての「かがみの孤城」、それを切実に求めている人たち……特に子供たちとか、に対してですね。本気でその子たちの……あるいはそれを経た大人たちでもいいです、かつての子供たちの、救いのきっかけになろうとしている作品。他に、ここまでの志で作られている作品、あんまりないんじゃないかな、って思ってしまいます。

オープニング。その丁寧さ、周到さに本当にうならされる。まあ、よくできている!

もちろんその志というのは、辻村深月さんの原作小説が元々持っていたもの、でもあるでしょうが。元の小説は、上下巻550ページ越えの、非常にボリュームがある小説なので……この映画版では、原監督とは『カラフル』以降継続して組んでらっしゃる、ベテラン脚本家の丸尾みほさんが、主人公・こころの視点を中心に、それはそれは本当にうまく、本質を損なわず、整理・シンプル化して。その分、もちろん映画ならでは、アニメならではの演出で表現している、という作品になっている。

オープニング、タイトルが出るあたりまで、からして……特に僕、二回観ましたんで。その丁寧さ、周到さに、本当にうならされてしまいます。まあ、よくできている! 

まずですね、皆さん……ド頭から、油断ならないです! 本当に。皆さん、最初に映るものをちゃんと覚えている方、実は率としては意外と多くないかもしれません。最初に映るのは、こういうものです。なにやら、真っ白いシーツの中で眠っていた少女が、今見たばかりの夢を思い出しているかのように、クスッと笑う。こういう画が示される。これが最初のシーンですね。

ただこの時点では、彼女が誰だとか、これはなんなのか?って、観客も当然、全くわかんないし。なんならその後も、特にこれ、別に説明ないんで。ぶっちゃけ、そういうシーンが頭にあったことも、忘れている観客の方も多いと思うんですが。これ、最後まで観終わってから、改めてここを思い返すと、要は劇中の、かがみの孤城……様々な理由から学校に行けないでいる中学生たちが集められている、海上の城ですね。この「海の上の岩場にある」というビジュアルイメージは、もちろん映画オリジナルなんですけども。そのかがみの孤城自体の成り立ちが、このド頭で、既に暗示されている、というか……このド頭で、作品全体が包まれている、というか。そういう作りになっていることに、後から気づくわけです。

映画というのはですね、全部観終わってからそれぞれの観客が「思い出す」、そこに立ち上がってくる何かのことだ、と私はいつも言ってますけど。原監督は、これがよくわかっているからこその、この作りではないでしょうか。

で、それに続いてですね、ここからが本題というか、薄暗い泥道のようなところを歩いている、主人公・こころの足元を、横から見ているショットですね。歩いてる足元。で、これは実は、こころの心象風景的描写で。実は、お母さんに連れられて、皮肉にも「心の教室」という名前の、いわゆるフリースクールに連れてゆかれている、その途中の道だったことがわかるわけですけども。

このショットもですね、本編ラストのラスト、エンドクレジットになる手前の、本当に最後のショットと、完璧に呼応しているんですよね! オープニングで、あれほど重かったこころの足取りが、ラストのラストでどう変化したのか? それがもちろん、言葉ではなく、純映画的に示されて、パンッ!と終わる、という。僕はここ、思わず拍手してしまいたくなるような、見事なリズム、見事な作り、という風に言えるかと思いますね。

オープニングの話、まだもうちょっと続きますけど。そのフリースクールに連れて行かれる、まずその最初の通りのところで、明らかにこころは、同年代の女子たちを避けようとしている様子、なんてのが描かれていてですね。で、フリースクールの中の個室で、劇中非常に大きな役割を果たす、これは宮崎あおいさんが声を演じている、喜多嶋先生という人と対峙する。その受け答えの、薄暗さというか、「閉じた」ニュアンスでですね、彼女の傷つきやすい、というか既にかなり傷ついているであろう内面というのが、観客にも既にしっかり伝わってくるわけです。

これ、ボイスキャストの當真あみさん。原監督が「こころを見つけました」という風にね、原作者の辻村さんに伝えただけあって、まさにこころというのを「体現」する、非常に完璧なハマりっぷりを見せていると思います……というか、「聞かせて」くれていると思いますが。

ちなみにですね、これ、「Bezzy」というサイトで掲載されていた……これは(原恵一監督に)インタビューしているのは、庄村聡泰さん。これ、元[Alexandros]ドラマーの、庄村聡泰くんだよね! 今、いろんなことやっていて……いろいろあってドラマーをやめて、そう(いろんな活動をしていると)聞いているんだけど、これがいいインタビューだったんですよね。

このインタビューの中で、原さんが、それぞれのキャストをあえて個別にレコーディング、個別に演出を付けていった、という手法について、語られている。これ、めちゃくちゃ……なぜそれをやるのか、のロジックもめちゃくちゃ面白かったんで。これ、庄村聡泰さんのインタビュー、すごくよかったんで、Bezzyというサイト、見ていただきたいんですけど。

主人公こころと、あるキャラクターの「手」を介しての演出……めちゃくちゃうまい!

特にですね、喜多嶋先生が、「自分も同じ中学出身なのよ」という風に言うところ。表面上は一応こころさんも、「はぁ」って返事するんだけど、机の下では、そのタイミングでグッと拳を握るような……で、そこからこういう画が繋がってくる。まず、そびえ立つ、下から見上げる、非常に威圧的な校舎。そして、教室の中の様子。誰一人、おそらくはそのこころのであろうその席、欠席で空いてる席の、不在を気にしていない様子の教室、生徒たち。どころか、奥にいるその女子たちの様子から、うっすら悪意すら漂う、その教室のイメージ。その上に乗る、原作小説でいうと頭に来る、こころの独白などによってですね……要はこころが、その中学でどんな目に遭ってきたのか? で、先生が同じ中学出身ということが、むしろネガティブな効果を彼女に与えたんだ、ということが、やっぱりこのやり取りの、そのセリフによる説明ではなく、映画的な演出によって、しっかり観客に伝えられるわけですね。

しかもこのシーンですね、冒頭のそのシーツの中の少女と同様、本作のラスト近くでも、さっき言った「机の下の拳」っていう「手の演出」込みでですね、完全に、意味が反転するんですよね! やってること、言ってることは完全に同じなのに、手の演出……しかもこの手の演出は、クライマックスで……ああ、これはネタバレになっちゃうな!(笑) クライマックスで、あるキャラクターとこころが「手」を介してするそのアクションとも、呼応していて。めちゃくちゃうまいんですよね! これね、本当に演出として。

さらにそこにもう一個、これはそのラストの方のところですけど、「鏡」的な、窓ガラスに反射する、という、まさにかがみの孤城……かがみの孤城の中も、床の大理石とか全てに、きれいにいろんな反射というのが、演出上、加えられてますけども。たぶんあれ、絵を描くのに大変な手間がかかるわけですけど。その「反射」によって、ある種「答え合わせ」がされる、というような仕掛けも、ちゃんと用意していたりもする。

あとはですね、その後も……タイトルがね、それで出て。なんかね、「もうフリースクール、やっぱり行けない」っていう風に言ってるのに、お母さんの言い方……お母さん、言ってること自体は別に普通のことなんだけども、言い方のニュアンス、あとは絵のニュアンスだけで、こころの「責められている感」が痛いほど、わかってきたり。いちいち話してるとキリがないほど、とにかくアニメとして、まずはやっぱり本当に丁寧に、動きとかがそんなに大きくなくても伝わってくる、っていう、本当に見事な演出の数々。

原恵一作品ならではの冴えを見せる「悪意」の描写

ちょっとね、残り時間も限られてるんで、ポイントを二点だけ絞ってお話をさせていただきたいと思うんですが。 

原恵一監督ならではの作品性、として言うならば、やっぱり「悪意」の描写。ここにこそ冴えを見せる! これがやっぱり、原恵一作品の真骨頂かな、と思います。たとえばですね、早い話がこころさんは、いじめというか、ハブられているわけですね。で、家にまで押しかけてくる同級生たち、というのを、室内のガラス越しに、こころの視点から描く。しかも、向こうは被害者気分満点で来る!みたいな。ここの怖さですね。

悪気ゼロの……しかも、何人いるかもわかんない。なんならガチャガチャガチャガチャ(ドアを開けようとして)、入ろうとしてくる。で、慌てて窓を閉める……なんか本当に「うわっ!」ってなるような恐怖感でしたね。しかも、相手は全く、悪意どころか被害者意識で来やがるから。「ひどい! 卑怯だ!」とか言って。「どっちがだよ!?」っていう……恐ろしいわけですね。ホラー的描写。ここのすさまじさもありましたし。で、最終的にその、なんていうかな、悪意の対象である、そのいじめてくる子たち、というのに関して、多くのこういうティーンエイジャー作品とかにあるような、決着めいたものというか、「和解」などは、安易に描かない。ここの誠実さですね。

実際とかく、僕も含めてですけど、大人たちというのはなんていうか、そういう「決着」というのを無理やりつけようとして、それがまた無神経な暴力性を発揮してたりする。それを体現してるのがですね……これは、担任の声を演じているオリラジ藤森さんの、「あの声の感じ」がすごくいいの。「ああ、こいつ、なんにもわかっていない」っていうのが、声の感じで一発でわかる(笑)。藤森さん、すごくいい仕事されていたと思います。そんな感じだと思います。

あと、先ほどのメールにもあった、そういった問題……現実にある問題の解決が、作品内で見られない、ということですけど。これは、その問題の解決を(現状の)彼女たちがするのは不可能な上に、(解決しなければならないのは)彼女たちの責任ではない、ということですよね。どちらもね。なので、それは大人たちとか、社会でやっていくべきこと、という……この作品全体が働きかけてる方向のことなんで。だからこそ、喜多嶋先生みたいな人が登場する、という。あれがある種の「解決」なわけですよね。なので、もちろんその、「ある人物」が喜多嶋先生になるんですが……それは小説にちゃんと、もっと詳しく書かれていたりする部分ではあります。そこが端折られているのはたしかですけども。

原監督十八番の「クライマックスの大団円的モンタージュ」、今回は集大成

あとですね、もうひとつ、悪意の描写。ここですね、先ほど金曜パートナーの山本匠晃さんもおっしゃってましたけど、クライマックスでですね、各人の事情というのが、次々と明らかになっていくわけです。で、その中で特に、アキさんというキャラクター。一番大人びた女の子、アキさんの事情が明らかになる。ここでまあ、さっき言った非常にハードめな、醜い現実、というのが描かれるわけです。まあ、はっきり言ってしまいますけど、性的暴力……未遂には終わりましたけども、性的暴力の暗示というか、それがされる。しかもこれ、相手は、原作を読むと、一緒に住んでいる義理の父親なんですよね……となるともう、アキさんの逃げ場のなさってどれだけよ?ってことなわけでしょう。そこでやっぱり、その(性暴力を振るおうとしている男の)顔が、グシャグシャッと消される描写、この禍々しさ。私は、今日マチ子先生の『COCOON』の、「顔のない男たち」の描写なんかも思い出しました。あと、ここでですね、印象的なのは、その男がよからぬ考えを頭に抱いた瞬間に、ギターが、「ギョワーーーン!」って鳴り出すんですよね。ここ、私は、原恵一監督過去作『カラフル』で、あるやっぱりちょっと嫌な現実を主人公が目の当たりにする時に、やおら「ギャギャーンッ!」ってギターが鳴る……なんか原さんっぽい(音楽の)演出だな、と思ったりしました。

とにかくこの、いろんな事情が明らかになるクライマックス。これ、9分半続く……あれですね、富貴晴美さん、非常に監督が信頼を寄せる音楽の方が、9分半にわたる、いろんなフェイズの音楽をずっと持続させてやっている。その中で、次から次へといろんな事情がわかってくる。こういう、なんて言うかな、「クライマックスの大団円的モンタージュ」というのか……クライマックスに一気にいろんな事情がわかって、そこでワーッとエモーションが高まる!って、元々原恵一さんは十八番だったと思うんですね。もちろん、たとえば『クレヨンしんちゃん』のお父さんの思い出しシークエンスとか、『カラフル』の真実を知るくだりであるとか、あとは『はじまりのみち』の、さっきの「木下恵介メガミックス」とか、そういうのがすごく原さんは元々得意だけど、今回はその集大成的な……これだけ長く続くのはなかなかないんで。すごいものがありました。

クライマックスはあと、井上俊之さんの作画も見事でしたし、松本憲生さんのオオカミの作画……だから、アニメとしても本当にやっぱり、要所要所、本当に日本のアニメの最上級描写の数々、というのも観られますし。

観れば観るほど丁寧に作られた上質な作品

もうちょっと時間が迫ってまいりましたので……とにかく、若者を主人公にしたアニメ、というのはもう定番的にある。「ああ、またそういう感じか」と思えるかもしれません。絵面もやっぱり、とはいえ地味な方ではあります。

ですがやはり、これほど真摯に……なんというか、傷ついた魂に届けようとしている作品というのは、そうそうないのではないか? 必要としている人に届けよう、としている作品はないのではないか? その志に、私は本当に打たれますし。観れば観るほど丁寧に作られた、上質な作品だと思います。

あの、作品的な理屈のね、納得いかなかった、っていうのはもちろん、原作由来の部分もありますが。原作を読むと、逆にそこはいろいろちゃんと説明があったりとか……あとはやっぱりその、オープニングに「あれ」を置くことで、全体を包んでるんですよね。その理屈すら……皆さん、そこのところをちょっと、思い出していただきたい。本当に良質なアニメ。今、いろんな映画がかかっていて、もちろんいま観るべき映画はいっぱいあるんですが、同じく劇場で、今!ウォッチしていただきたいと思います。

(次回の課題映画は、ムービーガチャマシンにて決定。1回目のガチャは『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』、1万円を自腹で支払って回した2回目のガチャは『非常宣言』。よって次回の課題映画は『非常宣言』に決定! ※支払った1万円はウクライナ支援に寄付します)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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「ニセ酒」撲滅運動から見えてくる中国の特権社会をウォッチャーが解説

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「不正コピー天国」「ニセモノ天国」というイメージが根強い“Made in China”。ニセモノの中でもいま、中国政府が力を入れているのが、ニセ酒の摘発だという。東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長が、6月13日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で「特別な人しか飲めない極めて高級な酒を装ったニセ酒の摘発から、中国社会、中国の官僚社会の様子が見えてくる」とコメントした。

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