マサカのデビューから60周年! 五木ひろしさん

TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」毎週日曜夕方5時から放送中!

2月26日(日)放送後記

五木ひろしさん(part 1)

1948年、福井県出身。1964年に16歳で歌手デビューし、「よこはま・たそがれ」「北坂場」「おまえとふたり」など数々のヒット曲をリリース。NHK紅白歌合戦には2020年まで、歴代最長記録となる50回連続出場を果たしました。来年で芸能生活60周年を迎えます。

JK:すごいですね、60年!

五木:デビューが早かったですからね。中学時代、近所に浪曲師がいましてね。夏になると声をかけられて一緒に巡業に行ったんですよ。その時ちゃんとお小遣いもらいましたんで、そこから数えると60年をはるかに超えます(^^)

出水:近所でも歌が上手くて評判だったんですか?

五木:はい。親父が歌が大好きで、当時はラジオの時代ですから流行歌は全部聞いてましたね。一番好きだったのは三橋美智也さん。三橋さんの曲は全曲覚えてましたね。

JK:演歌が面白いと思ったんですか?

五木:当時は演歌とか関係なく、それこそ和製ポップスも流れてきましたし、とにかく片っ端から覚えて・・・それが趣味だった。新しい曲が流れると、聞きながら1番の歌詞を書くんでしょ。それで2番、3番に合わせて歌ってすぐに覚える。学校の勉強するよりも楽しかった。

JK:でも声は枯れない? 若いころから声変わってます?

五木:キーは変わらないです。また変えないようにしてますしね。錆びちゃうとダメなんですよ。辛い時があったとしても、やるとまた元に戻るんです。大先輩の田畑義男さんはギター弾きながら歌ってましたから。あの方はずっと変えなかった。90を超えるまで。

JK:すごいですね。でも五木さんの声って語っているというか、お話してる感じもしますよね。

五木:僕はメロディを歌うことよりも、歌っていうのは歌詞だと思うんです。言葉が相手に伝わるか、それを一番大事にしてるんで、そういう意味ではおっしゃる通りだと思います。

JK:ご自分の心を伝えるんですね。伝わってきますよ、本当に! この前もTVで見てたけど、心から伝えたいっていう歌い方だから。

五木:ありがとうございます。でもTVって一番怖いんですよ。ステージは音響がいたり、その日の調子だとか残響音で自分にも聞こえてきますから。でもTVってそういうつながりがない。どういう人が見てるのかもわかりませんし・・・聞きたくて見てる人もいれば、なんとなく見てる人もいるので、意識は強くなりますね。

JK:でもヒット曲があまりにもすごくて・・・出し過ぎってくらい(^^)

五木:おかげさまで・・・プロになった以上はね、ヒット曲を出さないことには。

JK:それもたいていどこかの土地の名前ですよね。その県の人はすごく得ですよね?!

五木:いわゆるご当地ソングですよね。歌だけなんですよ、勝手に歌えるのは。勝手に取り上げて、長良川演歌を歌った後に岐阜へ行けば喜んでくれる(^^)

JK:地方にとっては宝ですよね。地方活性化には一番ですよ。

五木:ある時さいたま市長がね、「横浜とさいたまは何かにつけて競い合ってる、でもひとつ大きく負けてるものがある。それは歌がない」って。それでさいたまって言葉じゃなく、さいたまを代表するものはないかなって考えたんですけど、いまだに実現していない(笑)JK:五木さんはどこのご出身?

五木:僕は福井です。福井の歌もありますよ、もちろん。「ふるさと」もそうですし。故郷を含め、いろんなご当地の歌を歌ってます。

出水:五木さんといえば、2020年までNHK紅白歌合戦に50回連続出場を果たしていますが、これもすごい記録ですよね!

JK:なんでおやめになったんですか? ご自分から言い出したんですか?

五木:まぁいろいろ思いがあって、どこかで区切りをつけないといけない時もありますし、50回が一番いいかなと。

JK:でも寂しいですね。

五木:そしたら後から「五木ひろしが出ない紅白は面白くない」って。こないだも林真理子さんがコラムで「五木ひろしが出ない紅白は出ない」って書いていたらしくて。だけど時代とともに番組も内容が変わっていくじゃないですか。僕は中高年層や僕らの上の世代の人を大事にしたいと思ってるんですけど。

JK:だけど1年に1回ですよ?! 全国津々浦々見てるわけだから、若い人も日本の歌っていいな、って言うのもあると思いますよ。

五木:でも数年前から若い演歌を歌ってる人たちが、極端に短い尺になったりとか・・・割と重要視されないんですよ。こういうことしてたら歌は変わっていっちゃうなと。だから幅広く聞いてもらえたらいいなと思ってるんですよ。

JK:また出てきたら面白いんじゃない?

五木:いや、もう1回出てくださいって要求があれば、応えなくはないですよ(^^)

JK:五木さんって海外でも活躍してるけど? ブラジルなんか日系人が120万人いるから、受けるでしょ?

五木:いろいろ行きましたね。五木ひろしでデビューして10年の時に、全国100か所でコンサートをやったんです。アメリカもやり、その流れでブラジルにも行ったんですけど・・・遠かったですね~。でもその時の歓迎ぶりは半端じゃなかった! 国賓待遇です!

JK:その通りです! あの方たちは日本に来たことがなくて、日本人なのにブラジルに住んでる。だから日本の本物を見たいっていう心なんですよ。だから私もサンパウロのカーニバルの企画に参加したんです。行って見せるっていうのは、彼らにとって最高の経験になると思います。

五木:僕もいろいろやりましたけど、最大の公演がサンパウロの公演でした。1万5000人収容のところで3日間やったんです。だから4万5000人来た。これは僕の記録です。レコード店があるんですけど、僕の歌がものすごく多かったんです。人の歌をカバーしてるのもあるんで、人の歌を僕の歌だと思ってるんですよ。とにかく熱狂的でした。

JK:本ッ当に日本のものを求めてますよね! でもあれだけ皆さん喜んでくれたら、やった甲斐がありますよね。

五木:ラスベガスが最初だったんですけど、そこでは日系半分ずつぐらいでした。もちろん英語の歌もやって。エルビス・プレスリーのホームグラウンドですから。あとはシドニーのオペラハウスでもやりましたし、トルコもやりましたし・・・イスタンブールとアンカラで。国の方から呼ばれていったんですけど、そういう時は僕、必ず現地の歌を現地の言葉で歌うんです。

JK:難しそう!

五木:そうすると1曲でつかめるんですよ。そういう意味での経験は海外で積んできましたね。

JK:ご自身でマサカという思い出は?

五木:たくさんあるんですけど、最初のマサカは昭和39年に上京した時。上原げんと先生の門下生になって1~2か月した時に、コロンビアレコードの全国歌謡曲コンクールがあったんです。たまたま僕の先輩たちが予選会に行くって話になって、僕も一緒についていったんですよ。何十人も出てて、お客さんもすごい人だかりで、その中で僕が優勝しちゃった。

JK:ここが大きな運命! 他の人に悪いわね(^^;)

五木:先輩はみな何度受けても通らないのに、ついていった僕が優勝しちゃった。それで翌月日比谷公会堂で決勝大会をやったんですけど、僕は福井県出身なのに埼玉県のたすきをかけて(^^;) そこでも優勝しちゃった。だからあれはマサカ、マサカでした。

JK:埼玉県に貢献してるじゃないですか(笑) 上原先生も頼りにしてたんですか?

五木:いっぱい生徒がいましたから大稽古だったんですけど、僕が予選で優勝したって聞いた途端にレッスンしてくれました(笑)それでデビュー曲まで漕ぎつけたんです。

OA楽曲
M1. だけどYOKOHAMA(ニューバージョン) / 五木ひろし

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