和田彩花がミロの魅力を解説 ~「和田彩花の夢見るミロ展」東海ラジオ
和田彩花
アイドル活動を続ける傍ら、大学院でも学んだ美術にも強い関心を寄せる和田彩花が、4月29日から愛知県美術館で開催される「ミロ展──日本を夢みて」に合わせて、ミロの魅力を語る全5回シリーズ。
今回の展示はジュアン・ミロ(1893-1983)の140点の作品と資料が一堂に会するもので、国内でこれほどの規模の回顧展は20年ぶりとなる。スペインを代表する巨匠として、日本でも永く愛されてきたミロだが、その創作活動の裏には日本文化への深い造詣があったという。この展覧会に合わせて、美術に造詣が深いアイドルである和田彩花がその魅力を語る「和田彩花の夢見るミロ展」が東海ラジオで、4月25日(月)より毎週、5回シリーズで放送される。
放送を前に和田彩花は「ミロと聞くとミロらしい不思議なイメージを描く作品を単純に思い浮かべてしまいましたが、ミロの人生はすごく長く、初期から晩年にまで画風が変化しています。変化するミロの画業をこの機会に見ていただけたら嬉しいです。」とコメントを寄せている。
■番組名:東海ラジオ『和田彩花の夢みるミロ展』
■放送日時:2022年4月25日(月)〜5月23日(全5回)
16時43分頃〜16時47分頃
(「源石和輝!抽斗(ひきだし)!」番組内)
<関連情報>
展覧会名:「ミロ展──日本を夢みて」
期間:2022年4月29日(金・祝)~7月3日(日)
会場:愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
※該当回の聴取期間は終了しました。
イラン問題から探る、シーア派とスンニ派の違い
ニュースキャスターの長野智子がパーソナリティを務める「長野智子アップデート」(文化放送・月曜日15時~17時、火~金曜日15時~17時35分)、3月11日の放送に毎日新聞論説委員でノンフィクション作家の小倉孝保が出演した。イランの新最高指導者モジタバ・ハメネイ師がイスラム教シーア派の聖地・マシャドで生まれであることに関連し、イラン問題、シーア派とスンニ派の違いを語った。
鈴木敏夫(文化放送解説委員)「イランの最高指導者を選出する権限を持つ『専門家会議』は、殺害されたハメネイ氏の後継に、その次男であるモジタバ師を選出した、と発表しました。イラン革命防衛隊もモジタバ師への忠誠を表明しています。そのモジタバ師、シーア派の聖地であるマシャドという街で生まれた、という情報も伝わっています」
長野智子「シーア派について改めて教えてください」
小倉孝保「僕は2000年から2005年までカイロを拠点に、モロッコからイランまでカバーして。イランは大きな国で、およそ5年弱の間に10回ぐらいは取材し、長期滞在していました。エジプトはスンニ派の国なんです。イスラム教徒が多いけど、シーア派の人はほぼいないと思います。でもイランに出張すると8割がたシーア派の人たちです。スンニ派とシーア派の人たちって、同じイスラム教なのにこんなに違うのか、と感じさせられます」
鈴木「どういう点で?」
小倉「なぜシーア派とスンニ派がいるのか、ということから言うと、預言者ムハンマドがイスラムをつくって、亡くなったあとに後継者争いになる。ムハンマドの教義をよく理解した人間で、あとを継いでいこう、と考えたのがスンニ派。これがいまの世界の多数派です。シーア派はどういう人かというと、ムハンマドの家族、血を重視して、その血を継いでいく考え方を重視した人たち」
長野「はい」
小倉「ムハンマドの娘婿でいとこでもあるアリという人が中心となって、その人の子どもたちや子供のきょうだいなどで継いでいったものがシーア派なんです。一方でスンニ派が血は関係ない、ムハンマドの考えをいかに理解しているか、ということを重視して。自分たちが後継者だ、と。いまスンニ派、シーア派と呼ばれている人たちの跡目争いが対立を生んだ」
長野「はい」
小倉「そこで7世紀初めぐらいからだと思うけど、かなりの戦争状態になる。イランを見るとき『あれ、イラン人ってこういうマインドがあるんだ』と思わされた出来事がいくつかあって。カルバラ、というシーア派の聖地がイラクにある。カルバラで、ムハンマドの後継者とされていたアリの息子、フサインの軍がウマイヤ朝、いまのスンニ派につながる朝の軍とぶつかって虐殺されるんです」
長野「フサインさんがね」
小倉「フサインのぶつかった場所、遺体の埋められている場所がカルバラで。シーア派の人にとっては非常に思い入れのある、聖地になっているんです。簡単に虐殺というけど、フサインは(軍に)70人ぐらいしかいなかった。それで4000人の軍に挑んで、女性と子供以外は全員、殺されたといわれています。フサインは体をいったんダマスカスに送られて。殺された、というのを確認してカルバラに戻されて、埋葬されたといわれます」
長野「うん……」
小倉「カルバラの悲劇、カルバラの戦いといわれます。西暦680年のことですが、いまもいろいろなところでイラン人がこの話をするんです。するというのは、雑談ではなく、モスクに行ったときのモスクのイスラムの聖職者(法学者)たちが、この話をもう日本人でいえば『平家物語』ってこうだったのかな、というぐらい滔々と上手に物語にしていく。そこで聴いている人が、ものすごく真剣なわけです」