森高千里「見事なまでに"二匹目のドジョウ"はいなかった」ブログ詞誕生の裏側を松崎真人が渾身解説

"無敵の一曲"ジェンダーフリーの萌芽か ©STVラジオ

シンガーソングライターで"選曲家"の松崎真人が、日本の曲・日本語の曲を中心に"厳選かけ流し"(イントロからアウトロまでノーカット)でお届けするSTVラジオ『MUSIC☆J』。今週からは5週続けて「日本語ロックの8人・補講」を特集でお届けします。1回目のテーマは「森高千里〜"阿久悠的なるもの"へのアンチテーゼ、"ブログ詞"の誕生」です。特集1曲目は、1987年5月25日リリースの森高千里のデビュー曲から…。(文中敬称略)

松崎:この時のジャケット写真から、歌っている内容から全てまだ、羽化する前の状態です。プレ森高千里という感じで、後の彼女の姿を、この時に想像できた方は少ないと思います。

M20「NEW SEASON/森高千里」

松崎:作詞は、HIROと言う方で、私は存じ上げてないのですが、「ファーストフードで朝食すませ 肩をたたく友達 ほほえむ」がサビの頭で、次の「テイクアウトの昨日 のみほし」というのは、かなり文学的な表現で、これ、後の森高さんなら使わない表現ですよね。つまり、これが旧世代の腕のある作詞家が書いたちゃんとした詞というのは、こういうものだったんです。1987年当時ですね。

松崎:(森高千里)本人は、デビュー前からバンドもやってましたので、「これでいいのか」ということを、かなり考えていたみたいです。で、良かったのが、相談相手が複数いたことなんです。(この曲の)プロデューサーで作曲の斉藤英夫もそうですし、瀬戸(瀬戸由紀男=現・アップフロントグループ社長)というプロデューサーが「森高千里は詞が書ける」ということに気がついちゃうんです。それで、森高が得意とする方向へ、得意とする方向へと風を向けて、森高が型にはまらない方向へと導いていくんです。

松崎:そして、森高らしい作詞が出てきた"萌芽"の作品です。つまり「私は、自分のことをこんな風に思ってるよ」ということを、自分の言葉で書けるようになった曲だと僕は思っています。「ザ」が着いていない方、先にレコーディングされた方の曲…。

M21「ミーハー/森高千里」

松崎:この辺から、森高の「なにもかも正直に言ってしまった方がいいんだ路線」というのが始まりまして、「ミーハーなんだよ」と言ったり、あるいは「非実力派宣言」というアルバムをその名の通りに出してしまったり、いわゆる音楽ライターみたいな人からの"ツッコミ待ち"という感じで、一手先を読んでるんです。「突っ込まれたら、こう言おう。そしたら、こういう書き方になって落ち着くはずだ」みたいなセルフプロデュースが、ここで始まってわけです。わずか1年半で、この伸びはスゴイですね。

松崎:まず自分をさらけ出すというか、自分はこういう人間だと言うことを格好つけずに出すということができるようなると。そして「ミーハー」とか「ストレス」など、このあたりの楽曲で、自分が思ってることをそのまま書くという。すると、「まるでこれじゃ、女子高生の日記じゃないか」と当時、悪口を言う人もいたわけです。今までの作詞家が書いていた詞が、一編の短編小説を読み終わったかのような聴いた後のイメージを残すとすれば、(森高の詞は)ブログを読まされてる気がするかのような(イメージです)。でも、それってリスナーにとっては身近に感じると言うことだし、メッセージがその中にあれば、それが率直に届くということでもあるんですよね。

さらに森高千里が自ら楽器をも演奏していく路線へとつながっていった楽曲を紹介します。

M22「渡良瀬橋/森高千里」
M23「Yesterday Once More/カーペンターズ」

松崎:そして、本音路線と言うか、当時の世相としては「女の子がこれくらい強いことを言ってもOK」みたいな感じが出てきていて、今のジェンダーフリーな感じの萌芽です。

M24「臭いものにはフタをしろ!!/森高千里」

松崎:無敵ですよね。私も理屈をこねるのが嫌になってしまいます(苦笑)。(中略)。森高は、自分のツアーのバンドメンバーとか、スタイリストやヘアメイクさんとかと会話することをすごく好んだという話を聞いています。

 

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