Ryu Matsuyama「目指したい風景はここにあるんだ」 道標になったアーティストとの出会い

Ryu MatsuyamaのRyu(Vo, Piano)が、自身の音楽のルーツや、楽曲『I am here』に込めた想いを明かした。

Ryuが登場したのは、J-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』内のコーナー「RECRUIT OPPORTUNITY FOR MUSIC」。オンエアは6月19日(月)、20日(火)。同コーナーでは、アーティストたちの自身の楽曲に込めた想いと、彼らのアーティスト人生に大きく影響を与えた楽曲との出会いの話を通じて、音楽との「まだ、ここにない、出会い。」をお届けする。

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子どもが産まれて3年。作品づくりにも影響

ピアノスリーピースバンドのRyu Matsuyama。イタリア生まれイタリア育ちのRyuが、2012年に結成したバンドだ。2014年にTsuru(Ba)、Jackson(Dr)を迎え現3人編成となった。そんなRyu MatsuyamaはDigital Single『I am here』を5月31日にリリース。今回は『I am here』にどんな自分らしさを込めたのか、Ryuに語ってもらった。

Ryu:『I am here』は「明治ほほえみ」新WEB CMに起用されている1曲で、ぜひ映像とともに聴いてほしいです。久しぶりに爽やかで盛大な1曲ができたなと思っています。歌の最初から日本語の歌詞ですし、僕らにとってはけっこう珍しいので、日本語の部分にも注目してほしいと思っています。

子どもが産まれて3年になります。この曲は「できるだけ娘を描きたい」と思いながら書いてみました。僕は15年前にイタリアから日本に来たんですけど、そのタイミングで母親が「いつでも帰って来なさい」と言ってくれて。そのときに親ってこういう姿であるべきものだなと思って。

サビが英語詞になっているんですけど、そこでは<君の拠り所になるためにここにいるんだよ>ということを歌っています。あのときの母親のメッセージを思い出しながら書きました。

自分が親になるっていうのは、大変なことではありますけど、「自分の子どもの拠り所になるために、どの親も頑張っていかないといけないんだろうな」と、改めてこの曲を書いてて思いました。

この曲に込めた想いはそういった感じなんですけど、自分らしさがよく出た1曲だなと思っていて。Ryu Matsuyamaぽさって何だろうっていうのはずっと探っていたんですけど、結局未だにわかっていない部分はあるんですが、僕にとっては情景かなと思っていて。3人で白いキャンバスに描いた絵が、1枚の絵になって、僕らの風景になってくれたらいいなという想いで曲を書いているんです。たぶん、それが今のRyu Matsuyamaっぽさになっているのかなと思いますし、年々変わってはいってるんですけど、それはそれでいいのかなって。

最近35歳になって、大人になっていく僕らの姿を描いていけたらいいなと思っていますので、変わっていくRyu Matsuyamaも楽しんでもらえたらと思っています。

Ryu Matsuyama / I am here 【MUSIC VIDEO】

大学のときに出会って、道標になったアーティスト

イタリア育ちのRyu。そんな彼のルーツとなる1曲とは?

Ryu:僕が影響を受けたアーティストは、Bon Iver(ボン・イヴェール)です。大学の頃に出会いまして、そのときはすでに音楽を始めていたんですけど、1枚目のアルバム『For Emma, Forever Ago』を聴いてみたら衝撃的で、そこから自分のやっている音楽がバカらしくなってしまって。「もっともっと頑張らないといけない」と思ったり、「僕が目指したいと思った風景というのはここにあるんだ」という道標になったアーティストでもあります。ぜひ、皆さんにも聴いてほしいと思います。

僕らはボン・イヴェールを再現できていることはないんですけど、できるだけ近づきたいという気持ちはあるので、ボン・イヴェールっぽい楽曲を、ちょっと難しいと思うんですけど(笑)、作っていきたいと思っています。

そんなRyu Matsuyamaですが、今年続々ライブが決まっています。7月29日には『FUJI ROCK FESTIVAL '23』が控えていますし、9月に開催されるスピッツさん主催の『Spitz × VINTAGE ROCK std. presents 豊洲サンセット2023』にも出演させてもらいますので、ぜひライブを目撃してくれたらうれしいです。

アメリカを代表するシンガー・ソングライターのボン・イヴェール。Ryuはそんな彼のサウンドに出会い、ミュージシャンとして大きく成長できたようだ。


アーティストの話を通じて音楽との「まだ、ここにない、出会い。」をお届けするコーナー「RECRUIT OPPORTUNITY FOR MUSIC」は、J-WAVE『SONAR MUSIC』内で月曜~木曜の22時41分ごろからオンエア。Podcastでも配信しており、過去のオンエアがアーカイブされている。

【Ryu Matsuyama 出演回のトークを聞く】

・Apple Podcastで聞く
前編後編

・Spotifyで聞く
前編後編

・公式ページ
https://www.j-wave.co.jp/original/sonarmusic/opportunity/

(構成=中山洋平)
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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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