3月1日、森永卓郎さん(モリタクさん)が亡くなってからは初めてとなる開館日に、モリタクさんのコレクションを展示した施設「B宝館」に伺いました。
多くの方が展示されたコレクションを楽しみながら、「垣花正 あなたとハッピー!」やモリタクさんの話をしている……、あたたかい時間が流れていて、あっという間に閉館時間になっていました。
私は今回初めて訪れたのですが、B宝館は楽しむことも、そして学べることも沢山! すでに何度も行ったことがあるという方、そしてこれから行ってみようと思っているあなたへ、
今日は、私から見た注目ポイントを3つ取り上げてご紹介していきます。
B宝館は2014年10月、埼玉県所沢市にオープンしました。「普段の暮らしの中で使っているものの中にこそ美しさがある」をコンセプトに、森永卓郎さんが60年間集めた様々なコレクションのうち、2024年時点では13万点を超えるコレクションを所蔵しています。
森永さんが亡くなってから、ご子息が2代目館長として守っていく、と発表された際、心から嬉しく、足を運びたい! と思ったのは私だけではないと思います。
そんなB宝館について、HPに大きく掲げられているのは「ビンボーでおバカだけど、ビューティフルな博物館」という言葉。
トミカをはじめ数々のおもちゃや空き缶、お弁当に入っている醤油入れ、つまようじ、お菓子のパッケージやポケットティッシュ、お菓子のパッケージ……。
「自分も集めていたなぁ~」と懐かしくなるものから、「こういったものが販売されていたんだ!」と様々な世代で話が咲くようなもの、思わず「わぁ~!」と声が出てしまう展示ばかりで一緒に行ったスタッフと帰り道も盛り上がりっぱなしでした。
時代に合わせて変わってきた“グリコのおもちゃ”
グリコのおもちゃは、どの世代の方も関わったことがあると思います。自分の世代のおもちゃは知っていても、どんな変遷をたどったか、ご存じの方はなかなかいないのではないでしょうか?
第一次世界大戦後の1921年に販売されたグリコ。そこから「食べる、遊ぶは子どもの二大天職」という考えから1927年にグリコのおもちゃが発展し、時代に合わせて変っていきました。
当初は西郷隆盛や豊臣秀吉などの偉人や兵隊をデザインしたものでしたが、第二次世界大戦の際は物資不足の影響で紙や陶器でできたものへ。
空襲によって焼失した工場が1947年に生産を再開してからは木や紙のおもちゃ、クレヨンや消しゴムなど実用的なものに変わっていった後はミニチュアやレトロポップなパステルカラーのおもちゃ、最近では小さな絵本、精工なフィギュアなどに変わっていきました。
時代と共に姿を変え、子供たちにずっと愛されてきた歴史をたどることができるコーナーでした!
ずらっと並んだソフビ指人形
様々なキャラクターの指人形は思い出に紐づくものだと思います。B宝館には、様々な指人形が棚にずらっと陳列されていて、その姿だけでもワクワクしてしまいますが、ひとつひとつ見てくと、モリタクさんのコレクション魂を感じることができました。
例えばポケモンのソフビ人形「ポケモンキッズ」
同じ種類のポケモンが並んでいるように見えるかもしれませんが、少しずつデザインが変わっていたり、スケルトン仕様になっていたり、1996年発売当初のポケモンから新しい世代のポケモンまでが並んでいます。
発売時期が違うソフビ人形も全て集めていらっしゃる初代館長、さすがです!と感銘を受けると共に、ガラスケースの前であれこれ話をしたかったな、と感じた場所でした。
懐かしのグッズも発見、ニッポン放送ブース
ここはリスナーのあなたにもぜひ見ていただきたいブースです。
数々の放送局のグッズたちを見ると、モリタクさんがいかに様々な場所でご活躍されていたか、改めて感じることができるのですが、その棚に、見慣れたサインやマークが……。
ニッポン放送のグッズたちも並んでいました! 「垣花正 あなたとハッピー!」のステッカーや垣花さんが描かれたグッズのパッケージと写真(B宝館の「B」が大きく胸元にプリントされている、オレンジ色のメイド服を着た垣花さんと森永さん)
ラジオカーの模型やポケットラジオ、アナウンサーの缶バッジなど、私も始めて見るグッズの数々は、いちニッポン放送リスナーとしても食い入るように見てしまいました。記憶に新しい、ガチャガチャの森とコラボした、ニッポン放送ミニチュアラジオブースも。
こうしてB宝館のコレクションの一つに、ニッポン放送が入っていることが、とても嬉しく、リスナーさんとも共有したい想いでいっぱいになります。
忘れられない、1年目の思い出
私事になってしまいますが、忘れられない、大切なモリタクさんとの思い出のひとつとして、「入社1年目の時に描いた上り龍のイラスト」があります。
新人の頃、「垣花正 あなたとハッピー!」内で、同期の熊谷アナウンサーと私が、メールを送ってくださったリスナーさんのもとへお邪魔し、お話をお聞きした様子をスタジオでレポートする、というコーナーがありました。
右も左も分からずスタジオでも縮こまっていることが多かった私に、「絵、上手なんだって? よかったら描いてみてよ~」と、スタジオにあった原稿を片手に声をかけて下さったモリタクさん。
昇り龍のイラストに「龍」と筆をイメージした文字で書き加えたものを、恐る恐るお渡しすると、「すごい!! B宝館」と、とても喜んでくださりました。
ニッポン放送のグッズや有名人ダジャレグッズの棚のすぐ近くの柱、目に触れやすい位置に展示してくださっていたのだと知り、これからもその優しさに恥じないように頑張らねば! と思った時間でした。
B宝館オープン時、初代館長の森永さんはこうコメントしています。
私が50年かけてコツコツ集めた、数万点のモリタク流「B級コレクション」の世界をこの度、地元の所沢で皆様にご覧いただける事になり、とても嬉しく思います。
ここにしかない芸能人だじゃれグッズを始め、ミニカー・戦前からのグリコのおもちゃ・ブリキのおもちゃ・ドラえもんのノベルティ・コーラやお茶の空き缶・ドリンクのおまけ・なつかしい牛乳ビンのふた・AKBグッズ等々。
ここに展示してあるモノは、普通ならゴミとして捨てられてしまうものが、ほとんどです。ただ、そうしたゴミでも、時間をかけて、系統立てて集めていくと、歴史を語り、そして一種のアートになっていくことを感じて頂ければ、幸いです。
「B宝館」初代館長 森永卓郎
今までB宝館に伺えなかったことをずっと後悔していて、直接コレクションについて教えてもらいたかったな、と何度も考えていました。今、森永さんに会って、直接お話をすることはできなですが、B宝館を訪れるとモリタクさんの心意気を名一杯感じられた気持ちになります。
ホームページには2代目館長の素敵な言葉も。
館長の言うとおり、エンターテインメントというものは、生きること(衣食住)と直接的には関係しないかもしれません。ただ、『楽しい社会』を作っていくという点においては、社会に対して大きく貢献できるものであることは間違いないと考えていますし、これからも、そのような存在であり続けられるよう、B宝館という大切な場所を守っていきたいと思います。
(中略)
館長は生前『バットは振り抜け』『フルスイングで生きる』という人生のテーマの話をよくしていました。
館長はその言葉どおり、バットを振り抜いて逝ってしまいました。最期まで「森永卓郎」を貫き、人生をフルスイングして生きたと思います。
そんな館長を支え、愛して下さった皆様に、心から感謝の意を伝えたいと思います。
素敵な愛を。
B宝館 2代目 館長
これからも足を運んで、2代目館長にコレクションについてお話をお聞きしながら、モリタクさんの言葉やかわいらしい姿を思い返したいと思います。
モリタクさん、また会いに行きますね!