PEOPLE 1は「中毒性のある楽曲」をどう生み出すか? Deuが語る、影響を受けたシンディー・ローパーの楽曲

PEOPLE 1のDeu(Vo, G, B, Other)が、自身のルーツとなる楽曲、そして新曲『YOUNG TOWN』に込めた思いを明かした。

Deuが登場したのは、J-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』内のコーナー「RECRUIT OPPORTUNITY FOR MUSIC」。オンエアは6月15日(水)、16日(木)。同コーナーでは、アーティストたちの自身の楽曲に込めた想いと、彼らのアーティスト人生に大きく影響を与えた楽曲との出会いの話を通じて、音楽との「まだ、ここにない、出会い。」をお届けする。

曲作りで大切にしている中毒性

東京を拠点に活動する3人組バンドのPEOPLE 1。メンバーはDeuのほか、Takeuchi(Dr)、Ito(Vo, G)。6月に新曲『YOUNG TOWN』をリリースした。

『YOUNG TOWN』は、Deuが作詞・作曲を手がけている。NHKの夜ドラ『カナカナ』の主題歌として書き下ろしたポップな楽曲だ。どんな自分たちらしさを込めたのか。

Deu:僕は曲を作るときに中毒性を大事にしていて。ドラマが月曜から木曜で毎日15分ずつ放送されると聞いて、それならばより中毒性のあるものをと、そっちに振り切って作ってみました。ポップなんですけど、無限に聴ける作品を目指したというか。

この曲における自分らしさは、まず歌詞がおかしいですよね(笑)。こういうポップな曲にあてはまる歌詞としては、いびつさがあるというか。この曲に限ったことではないですけど、僕の曲は“その言葉を使うんだ”っていう部分がすごく多いと思います。そもそもサビで<ああこんなもののために>という部分を繰り返さないことだったり、このあたりは極めてひねくれ者というか、裏を狙ったポップですよね。そうなってくると、もはやストリングスの音もわざとらしく聴こえるという。でもこの曲はItoくんの声に合っていると思うし、彼は優しい声なので、多少派手なサウンドでもいいんですよね。

この曲は、ギターソロに工夫がある。

Deu:Itoくんが「OK〜ギター!」って言いながら、ギターソロに流れ込むんですけど、ギターを弾くのはItoくんなので、自分自身で完結させているっていうね。そして、そのギターソロが、実はギターを弾いてないっていう。

実はあれ、声なんですよ。ギターっぽい声を出しながら、エフェクターをかまし、アンプを通したものを録音しているんです。「OK〜ギター!」という声で、みんなギターソロに聴こえるという、マジックをかけているんです。そこはちょっと面白いものになっていると思うので、ぜひ聴いてみてください。

歌詞の話に戻ると、サビでは<ああこんなもののために>と、皮肉めいてるというか、自虐的なことを歌っているけど、こんな瞬間はみんなにもあると思うんですよね。『カナカナ』というドラマ自体は、根源的な愛をテーマにしている作品なので、そこは意識しつつ、“愛ってなんだ”ってことを考えて、そこをどう言語化していくかみたいなことには拘った記憶があります。そんなところに注目して、ぜひ永遠に聴いてください!

“ポップだけど小難しい”音楽に惹かれる

Deuは“本質的にわかりにくいもの”が好きなのだという。それでいて、ポップさや中毒性も重視するという音楽性だ。どんな楽曲との出会いを経て、今の方向性になったのか。

Deu:僕らはけっこう曲調がバラバラなところがあるので、新曲の『YOUNG TOWN』に紐づけて、ルーツとなる1曲を選ばさせていただきました。Cyndi Lauperの『Money Changes Everything』です。

そもそも『YOUNG TOWN』は、Cyndi LauperやPrince、Madonnaなど、70〜80年代のポップスをルーツにしている楽曲です。『Money Changes Everything』にいつ頃出会ったのかは覚えていないんですけど、いいなと思ったのはここ数年の話。音楽を始めるタイミングから歌詞を書き始めて、そのときにいろんな楽曲を研究していたんです。そんな中で、“Money Changes Everything”=“お金が全てを変える”って歌詞を見て、ツッコミそうになったのと同時に、尖りを感じて、グッと引き込まれました。

自分の音楽のルーツはガレージロックなんですけど、ポップスも好きなんです。それと、本質的に“わかりにくいもの”が好き。ポップなんだけど、ちょっと小難しいことを言っていたり、演っていたりするとグッときますね。その中の一例が、Cyndi Lauperです。

『Money Changes Everything』もポップなんだけど、攻撃的なメッセージが含まれています。当時のアメリカの社会情勢なんかが歌詞に反映されていると思うんですけど、ポップさの中にいびつなものを入れ込みたくなるのは、こういう作品から影響を受けていると思います。

PEOPLE 1の音楽の“わかりづらさ”は長所であり、短所でもあると思っています。あんまりそういう作品ばっかり生み出してもしかたがないので、もっとポップなものにしたいんですよ。ちゃんとサビをJ-POPなものにしたくて。最近、新曲を作っているんですけど、僕らには“サビ苦手問題”というものがあって(笑)。古いファンからしたら、「こんなサビを作るなよ」と思うかもしれないけど、俺はそういうのを1回作りたいと思っているので、頑張って挑戦します。そしていつかそういう曲を世の中に出します!

ポップでありながら、尖っている。Cyndi Lauperの音楽に含まれるスパイスが、PEOPLE 1の楽曲に影響を与えているようだ。
アーティストの話を通じて音楽との「まだ、ここにない、出会い。」をお届けするコーナー「RECRUIT OPPORTUNITY FOR MUSIC」は、J-WAVE『SONAR MUSIC』内で月曜~木曜の22時41分ごろからオンエア。Podcastでも配信しており、過去のオンエアがアーカイブされている。

【PEOPLE 1 出演回のトークを聞く】

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https://www.j-wave.co.jp/original/sonarmusic/opportunity/
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目の不自由な防災士、防災には「近くの人同士で助け合う“近助”を」

ニッポン放送では、3月8日から14日まで「防災ウィーク」をお送りしています。期間中は、ニッポン放送の各番組で、様々な防災に関する放送や企画を実施します。この「あけの語りびと」の時間に、ひとつお話をご紹介します。兵庫県神戸市にお住まいの、目の不自由な「防災士」の方のお話です。

榊原道眞さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

兵庫県神戸市で鍼灸院を営む榊原道眞さんは、1953年、岡山県生まれの71歳。榊原さんは、目の病気によって視力を失いましたが、すでに20年以上にわたって、防災に関する活動を、ライフワークとして続けていらっしゃいます。

30年前の阪神・淡路大震災では、同じ兵庫県の西宮市にお住まいで、阪急・西宮北口駅近くにあったお勤めの会社の社宅で、激しい揺れに見舞われました。

「枕の下のほうからドーン! という音がしたんです。途端にガタガタガタッときました」

幸い、奥様と当時小学生だった2人のお子さんは無事で、家の電気も比較的早く復旧。阪急神戸線は、梅田から西宮北口まではすぐに運転が再開されたこともあって、榊原さんも地震の翌日から、大阪の勤め先へ出勤することができました。

ところが震災によって、夜に街の灯りが消えたことで、榊原さんは目の異変に気付きます。

『あれ、今までより、モノが見えにくい……、どうしてなんだろう?』

翌年には、文字がゆがんで見え始めたことで、榊原さんは病院に駆け込みました。診断は「網膜色素変性症」、だんだんと視力が落ちていく進行性の難病でした。

そこで榊原さんは、勤めていた会社を辞め、鍼灸師の資格を取る勉強を始めます。2000年には、神戸市内に自らの鍼灸院を開業しました。

数年後、阪神・淡路大震災から10年の節目を前に、メディアで様々な特集が行われると、榊原さんは大きな不安に襲われました。

『もしもまた、阪神・淡路と同じ揺れがきたら、あの時より視力が落ちている自分は、一体どうしたらいいのだろうか?』

不安を少しでも解消したいと、榊原さんは「防災」に関心を持つようになります。榊原さんは障害のある方をはじめ、様々な事情を抱えた方と一緒に、防災の専門家を招いたり、ワークショップやシンポジウムなどを開催していきました。

しかし、ある時、榊原さんはハッと気づきました。

『イベントはあれこれやっているのに、自分は何一つ、防災の勉強をしていないじゃないか』

そう思った榊原さんは、自ら行動を起こします。

2019年、榊原さんは、「ひょうご防災リーダー養成講座」に通い始めました。この講座に8割出席できれば、「防災士」の受験資格が得られるといいます。

最初は「防災士」の資格にあまり興味がなかった榊原さんですが、自宅から片道およそ2時間をかけて講座に通ううちに、ちょっぴり欲も出てきました。

『もしかしたらイベントでも、防災士資格のある視覚障害のおっちゃんがしゃべったほうが、みんな聴く耳を持ってくれるんじゃないか』

そう思った榊原さんは、講座の受講と並行して防災士試験の受験勉強も始めます。ただ、試験を受けるためには、およそ350ページの本を読み込まなくてはなりません。主催する団体と交渉して、パソコンに取り込んで読み上げられるデータにしてもらうと、なんと500ページを遥かに超える膨大な量となりました。

それでも、榊原さんはおよそ半年間の猛勉強を経て、防災士の試験に臨みます。ほかの受験者とは別室で、試験官の方が読み上げて答える試験に対応してもらいました。榊原さんの手応えは、もちろん十分!

2020年春、榊原さんに届いた防災士試験の結果は……、見事合格! 自然と嬉しさが込み上げてきました。

それから5年、榊原さんは今、各自治体が防災対策として作っているハザードマップを目の不自由な方に合わせて、理解できるものにする活動に取り組んでいます。たいていのハザードマップは、災害が起きたら危ない場所が危険度に合わせて色で塗り分けされていますが、目の不自由な方には、エリアも危険度も分かりません。

「究極の防災対策は、ひとりひとりがハザードマップをよく知ることなんです。ハザードマップを読めば、災害が起きたときに、自分が何をすればいいかが分かります」

そう話す榊原さんは、とくに目の不自由な方には、「確認」の大切さを訴えます。自分のいる場所から避難所まで移動にどれだけかかるのか、自宅に留まった方が安全か、非常食の作り方、防災グッズ、トイレの使い方など、紙の説明書を渡されただけでは読むことができない以上、事前に体験して、体が憶えている状態にしてほしいと言います。

その上で、榊原さんはこう話してくれました。

「防災は地域が世代を超えて繋がることができます。よく自助・共助・公助といいますが、自助と共助の間に、ぜひ近くの人同士で助け合う“近助”を加えて下さい」

目の不自由な方、耳の不自由な方、車いすの方、認知症の方、赤ちゃんと親御さん……。いろいろな人が避難所に集まることを思い浮かべて、近所で助け合える関係を作るため、榊原さんの防災への取り組みに終わりはありません。

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