民間だからこそ現地で信頼された中村哲さんの功績

ニッポン放送「飯田浩司の OK! Cozy up!」(12月9日放送)にジャーナリストの須田慎一郎が出演。中村哲さんのご遺体が帰国したニュースについて解説した。

【アフガンから中村さん、遺族ら帰国】成田空港に到着した医師でペシャワール会・中村哲さんの棺=2019年12月8日午後、成田空港 写真提供:産経新聞社

中村哲さんのご遺体がアフガニスタンから帰国

4日、アフガニスタン東部のナンガルハル州ジャララバードで何者かに銃撃され亡くなった医師・中村哲さん(享年73歳)が8日夕方、成田空港に到着し、出迎えた人たちが黙とうを捧げた。

飯田)ご遺体は妻の尚子さん、娘の秋子さんと共に帰国したということです。9日、出身地の福岡に着き、11日に告別式の予定です。

米国同時多発テロ事件をうけ帰国 アフガニスタンとパキスタンの国境周辺で医療支援活動を行っていた民間団体「ペシャワール会」の中村哲・医師 アフガニスタンから帰国、会見でアフガンの現状について語る=2001年09月17日 千葉県・成田空港第2旅客ターミナルビル 写真提供:産経新聞社

中村さんがアフガニスタンの人たちに信頼されていた理由

須田)かけがえのない人を亡くしました。中村さんは国や政府ではなく、民間ベースで医師として診療所を運営していました。ある日、医薬品が足りなくなったということで、米軍が中村さんのところを訪れたそうです。ところが、アフガニスタンの人たちは米軍に対して反発する感情しかないので、医薬品を渡さなかった。もし中村さんが米軍に医薬品を渡したならば、信頼を一挙に崩してしまったでしょう。それを地元の人たちが見ていて、中村さんへの信頼が深まったということです。もしこれが民間ではなく、日本という国が運営する診療所だったら、米軍に医薬品を渡さなかったということで、外交問題に発展していたかもしれない。民間だからこそ、地元の人たちに寄り添ったアクションが取れたのだと思います。そういう点で言うと、先頭に立っていた中村さんが亡くなって、地元の人たちの草の根に根差した活動を、今後も継続して行くことは簡単ではないと思います。

飯田)事件直後にペシャワール会の人たちのコメントが出ていましたけれども、中村さんに負っていた部分が大きかった。継続して同じことができるかどうかはわからないけれども、できるだけやって行きたいとありました。

アフガニスタンで中村医師襲撃を受け、記者会見するペシャワール会の広報担当理事、福元満治さん(左)=2019年12月4日午後、福岡市中央区 写真提供:産経新聞社

民間だからこそできたこと

須田)テロの背景には経済的な貧困があるので、豊かにして行かなくてはならない。そのために井戸を掘ることや、灌漑をしたわけです。とても時間がかかるし、農業が活発になったらゲリラやテロがなくなるかというと、保障されるものではありません。それを地道にやるということは、相当な労力が必要だと思います。

飯田)灌漑などの援助を考えると、日本から高性能なポンプなどを持って行ってと考えがちですが、それだとポンプが故障したときに、地元の人たちが直せないので、あえて原始的な技術でやったというところもすごいなと思います。

須田)ODA(政府間援助)になってしまうと、いま言っていた高性能ポンプを持って行くようなやり方になります。とは言っても、人の手で井戸を掘るということは、政府間援助のなかでは難しいのですよ。だいたい、どの企業が入って、どの機械を持って行ってという話になりますからね。ただ、それも必要とされていることだけは間違いない。この辺りをどう支援して行くのかというところを、もう1度考えてみる必要があるのだと思います。個人の善意だけに頼らないような体制作りが必要なのではないでしょうか。

飯田浩司のOK! Cozy up!
FM93AM1242ニッポン放送 月-金 6:00-8:00

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16kg以上の“重い軽石”発見「広い視野で自然を学び、感じてほしい」

3月18日付の琉球新報に、こんな記事を見つけました。『国内最大級、軽石なのに“重い!”でっかい! 巨大さに「びっくり」 沖縄の「海中道路」で親子が発見』。

2025年2月18日、丸谷親子が発見した60cmの巨大軽石(撮影:丸谷由さん)

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

この巨大な軽石を発見したのは、沖縄県中城村に住む丸谷由さん(44歳)と、娘の夏瑠沙さん(7歳)。丸谷さんは、沖縄に移り住んで今年で25年になります。もともと東京都の出身ですが、自宅が町田市の郊外にあって、自然豊かな環境の中で育ちました。

幼い頃から自然の中の生き物に興味を持ち、将来は「生物」の研究をしたいと思っていましたが、当時、環境教育が注目され始めていたこともあって、琉球大学の教育学部に進学。大学院では生涯教育を専攻しました。

在学中に、自然環境のサークル「ネーチャー・エデュケーショナル・カフェ」(通称・ネコ)を立ち上げ、野外教育に携わった経験を活かして、現在は「一般社団法人 ネコのわくわく自然教室」を運営しています。

この教室では、沖縄の豊かな自然の中で遊んだり、キャンプをしたり、さまざまな体験が楽しめるプログラムを、年間を通じて開催しています。

そんな丸谷さんの人生を大きく変える出来事が起こります。

左:2021年10月25日 沖縄に漂着した大量の軽石の帯、右:2021年に丸谷親子が発見した大型軽石(43cm、福徳岡の場由来。沖縄県立博物館へ寄贈)(撮影:丸谷由さん)

2021年10月、沖縄の海に大量の軽石が押し寄せ、大ニュースになりました。海面を覆い尽くす軽石……、青い海を灰色に変え、漁船やフェリーが出航できず、テレビのニュースは、軽石を“悪いもの”として報じていました。「本当に軽石は悪いものなのか?」丸谷さんは首をかしげました。

軽石の大量漂着は国内では100年ぶりの現象のため、多くの人が驚きました。この時に流れ着いた灰色の軽石は、福徳岡ノ場という小笠原諸島の海底火山からのものでした。日本では、海底火山は伊豆諸島や小笠原諸島に多くあり、陸上の火山は、日本各地にあります。その火山から噴出するマグマが軽石の素になっています。

軽石が最初に流れ着くのは、沖縄を中心とする南西諸島で、さまざまな海底火山から日常的に少しずつ軽石が流れ着いていることは、あまり知られていません。それに大量の漂着は稀な現象なので、専門的な研究があまり進んでおらず、一般にもほとんど認知されていない自然現象の一つでした。

「海底火山の噴火で生まれ、海の流れに乗って旅をする、そこに軽石の魅力を感じました」と語る丸谷さんは、独自に軽石の研究を始め、地元のラジオやYouTubeなどで情報を発信し、娘の夏瑠沙さんと沖縄周辺の海岸で軽石の調査を行っています。

左:軽石が誕生する仕組みを説明する丸谷さん、右:自作の絵本で軽石の誕生を説明する丸谷さん(撮影:丸谷由さん)

今年2月18日のこと、沖縄県うるま市の海岸で軽石を探していると……

「パパ、あれ!」

海岸に、ひと抱えほどもある大きな黒い石を見つけました。表面に無数の穴が空いていて間違いなく軽石ですが、重くて持ち上がらない。大きさは60cm、重さは16kg以上もありました。やっとのことで車に積んで持ち帰った丸谷さんは、国立科学博物館の知人に連絡し、その巨大軽石を送ることにしました。

調査の結果、「平成以降に漂着した軽石の中では国内最大級」だと判明します。

海底火山の噴火で誕生した軽石は、マグマの成分によって色や模様、形が異なるため、どこで生まれたのか、ある程度、特定することができます。今回の巨大軽石は、2023年10月、小笠原諸島・硫黄島の噴火によって生まれたものと考えられています。

「マグマが噴出した直後の軽石は、乗用車ほどの大きさのものもあるんです。軽石は海を数千km、数ヶ月漂流することがありますが、その過程で細かく砕け、10cm前後の大きさになります。そうした中で、60cmもの大きさを保ったまま、1年半も海を漂ってきた軽石は、学術的にも貴重なサンプルになるので国立科学博物館に寄贈しました」

左:ネコのわくわく自然教室(沖縄県中城村にて子ども達の海の体験)、右:軽石の上で半年以上かけて大きく育ったサンゴ(撮影:丸谷由さん)

丸谷さんが運営する「ネコのわくわく自然教室」では、「軽石から学ぶ体験プログラム」が人気講座となっています。

「沖縄に大量の軽石が押し寄せたとき、軽石は海を汚す悪いもの、といった報道ばかりでしたが、よくよく考えてみると、それは人間の都合なんですね。海に漂う軽石は、貝やカニ、小さな魚などの生き物を遠くに運ぶという役割も果たしています。海岸に流れ着くと、やがて砕けて砂になり、島の一部となります。ペットボトルやビニールとは違い、軽石漂着は地球の営みの一環なんです。子どもたちには、そうした広い視野で自然を学び、感じてほしいと思っています」

1000km以上離れた場所から、海を渡って沖縄にやって来る軽石。そこには、子どもたちが自然環境を学ぶ教材としての可能性が、たくさん詰まっています。

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