ガレッジセール・ゴリ「根拠のない自信は強い」

黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、お笑い芸人ガレッジセールのゴリが出演。吉本興業に入った経緯について語った。

ニッポン放送「あさナビ」

黒木)今週のゲストはお笑い芸人、ガレッジセールのゴリさんです。高校まで沖縄にいらしたのですよね?

ゴリ)そうですね。

黒木)大学での専攻は映画ということですが。

ゴリ)はい。日大芸術学部の映画学科、演技コースです。僕は役者を目指していたのです。

黒木)それはいつからですか?

ゴリ)受験勉強をして来なかったので、2浪しました。2浪目は東京の下宿でやっていたのですが、大学の目標もないし、寂しいし勉強も伸びないし、辛くてもう帰ろうと思いました。そんなときに下宿の仲間が、「神様に何にでもならせてあげると言われたら、何になりたい?」と聞くのです。映画が好きだし、「インディー・ジョーンズになって、馬に乗りながら悪者をやっつけたり宝を探したり、ヒロインとロマンスがあったりということをやってみたい」と冗談で言ったら、「それなら日芸に行けば?」と言われたのですよ。日芸の存在を知らなかったので、映画学科があると聞いて「大学で映画を学べるの?」と。そのときは役者になろうと思ってはいませんでした。「いいところに入った方が将来的にもいいだろうな」という、単純な考えです。「そこに行って4年間楽しく学べて、卒業の資格が取れるなら」ということで、初めてやる気が出たのです。

黒木)目標ができて。

ゴリ)そうしたら成績が伸びた。楽しそうなので、入りたいから。実際に入ると楽しかったのです。映画の授業だったり、演技の授業でバレエがあったり、日舞の授業があったり、即興演技の授業があったり。

黒木)楽しそうですね。

ゴリ)監督コースの人と一緒に映画を撮るのですが、遊びみたいな感じですよ。僕はもともと人を笑わせるのが好きだったので、人前でコントをやっていたら、「お笑い芸人になればいいのに」と同級生に言われました。さんまさんにしろ、ダウンタウンさんにしろ、お笑いもやればドラマも映画も出る、歌もやる。オールエンターテインメントではないですか。芸人さんになったら、オールエンターテインメントができると。「そうだ」と思って、「だったら沖縄で一緒にバカをやっていた、川田とコンビを組んでやろう」と、スパッと大学を辞めました。「入り方がわからない、どうしよう」と言ったら、雑誌に「渋谷公園通り劇場が4月オープン」と出ていたのですよ。吉本の劇場ができるということで、「入れてください」と直談判しに行きました。

黒木)それで入れたのですか?

ゴリ)入れないです。「NSC」という専門学校があるから、そこに行ってくれと言われました。

黒木)そうなのですか。

ゴリ)どうやって入るのかを聞くと、「1週間前に終わったから、また来年」と。僕らはすでに23歳だったので、24歳からなんて待てないのですよ。渋谷公園通り劇場の壁に「ボランティアスタッフ募集」と書いてあったので、「タダで劇場で働くので、舞台袖から本番中の先輩方の芸を勉強させてください」と言いました。そうしたら「タダで働く奴が来た」と、逆に注目を浴びてしまいました。

黒木)その熱はすごいですね。

ゴリ)舞台袖で見て、それ以外は掃除をしたり呼び込みをしたり、チケットのもぎりや弁当を買って来たり、雑用ですよ。夜中に相方と社員にネタを見てもらって、「おもんない、作り直して来い」と言われて…ということを続けていたら、徐々にネタが面白くなって来て、半年で舞台デビューしました。半年でこれなら新人のイベントに出せると言われて、「珍しい横入りだけれども、吉本所属にしたるわ」ということになりました。僕らは珍しい所属の仕方なのですよ。

黒木)そうですか。

ゴリ)僕は学校のなかでも、いちばん面白い奴だったわけではない。でも、いちばん面白いと言われていた奴は芸人にはならない。案外、根拠のない自信が大事だなと思いました。僕はネタの作り方もよくわかりませんでした。でも「やりたい、こうなりたい」という憧れの気持ちが強かったので、勝手に自分の背中を押して、実力をつけてくれたのではないですかね。悩んでいる人には、よく「根拠のない自信はけっこう強いよ」と言います。体験しましたので。

ニッポン放送「あさナビ」

ガレッジセール・ゴリ/お笑い芸人・俳優・映画監督

■1972年5月22日生まれ。沖縄県那覇市出身。本名は照屋年之。
■沖縄県立首里高等学校卒業。日本大学芸術学部映画学科中退。
■1995年、中学時代の同級生・川田広樹とガレッジセールを結成。吉本興業に所属し、渋谷公園通り劇場などで活躍後、テレビを中心に活躍。『笑っていいとも!』『ワンナイR&R』など数々のバラエティ番組に出演。
■俳優としてもドラマ・映画で活躍し、NHK朝ドラ『ちゅらさん』や映画『忍者ハットリくん THE MOVIE』など数々の作品に出演。
■映画監督としても活動し、2009年には『南の島のフリムン』で監督デビュー。2019年には本名の照屋年之名義で監督を務めた『洗骨』が公開。モスクワ国際映画祭のアウト・オブ・コンペティション部門にも出品された。
■2014年には自らがプロデュースする「おきなわ新喜劇」を旗揚げ。沖縄の劇場をベースに全国ツアーを実施するなど人気を博している。

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16kg以上の“重い軽石”発見「広い視野で自然を学び、感じてほしい」

3月18日付の琉球新報に、こんな記事を見つけました。『国内最大級、軽石なのに“重い!”でっかい! 巨大さに「びっくり」 沖縄の「海中道路」で親子が発見』。

2025年2月18日、丸谷親子が発見した60cmの巨大軽石(撮影:丸谷由さん)

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

この巨大な軽石を発見したのは、沖縄県中城村に住む丸谷由さん(44歳)と、娘の夏瑠沙さん(7歳)。丸谷さんは、沖縄に移り住んで今年で25年になります。もともと東京都の出身ですが、自宅が町田市の郊外にあって、自然豊かな環境の中で育ちました。

幼い頃から自然の中の生き物に興味を持ち、将来は「生物」の研究をしたいと思っていましたが、当時、環境教育が注目され始めていたこともあって、琉球大学の教育学部に進学。大学院では生涯教育を専攻しました。

在学中に、自然環境のサークル「ネーチャー・エデュケーショナル・カフェ」(通称・ネコ)を立ち上げ、野外教育に携わった経験を活かして、現在は「一般社団法人 ネコのわくわく自然教室」を運営しています。

この教室では、沖縄の豊かな自然の中で遊んだり、キャンプをしたり、さまざまな体験が楽しめるプログラムを、年間を通じて開催しています。

そんな丸谷さんの人生を大きく変える出来事が起こります。

左:2021年10月25日 沖縄に漂着した大量の軽石の帯、右:2021年に丸谷親子が発見した大型軽石(43cm、福徳岡の場由来。沖縄県立博物館へ寄贈)(撮影:丸谷由さん)

2021年10月、沖縄の海に大量の軽石が押し寄せ、大ニュースになりました。海面を覆い尽くす軽石……、青い海を灰色に変え、漁船やフェリーが出航できず、テレビのニュースは、軽石を“悪いもの”として報じていました。「本当に軽石は悪いものなのか?」丸谷さんは首をかしげました。

軽石の大量漂着は国内では100年ぶりの現象のため、多くの人が驚きました。この時に流れ着いた灰色の軽石は、福徳岡ノ場という小笠原諸島の海底火山からのものでした。日本では、海底火山は伊豆諸島や小笠原諸島に多くあり、陸上の火山は、日本各地にあります。その火山から噴出するマグマが軽石の素になっています。

軽石が最初に流れ着くのは、沖縄を中心とする南西諸島で、さまざまな海底火山から日常的に少しずつ軽石が流れ着いていることは、あまり知られていません。それに大量の漂着は稀な現象なので、専門的な研究があまり進んでおらず、一般にもほとんど認知されていない自然現象の一つでした。

「海底火山の噴火で生まれ、海の流れに乗って旅をする、そこに軽石の魅力を感じました」と語る丸谷さんは、独自に軽石の研究を始め、地元のラジオやYouTubeなどで情報を発信し、娘の夏瑠沙さんと沖縄周辺の海岸で軽石の調査を行っています。

左:軽石が誕生する仕組みを説明する丸谷さん、右:自作の絵本で軽石の誕生を説明する丸谷さん(撮影:丸谷由さん)

今年2月18日のこと、沖縄県うるま市の海岸で軽石を探していると……

「パパ、あれ!」

海岸に、ひと抱えほどもある大きな黒い石を見つけました。表面に無数の穴が空いていて間違いなく軽石ですが、重くて持ち上がらない。大きさは60cm、重さは16kg以上もありました。やっとのことで車に積んで持ち帰った丸谷さんは、国立科学博物館の知人に連絡し、その巨大軽石を送ることにしました。

調査の結果、「平成以降に漂着した軽石の中では国内最大級」だと判明します。

海底火山の噴火で誕生した軽石は、マグマの成分によって色や模様、形が異なるため、どこで生まれたのか、ある程度、特定することができます。今回の巨大軽石は、2023年10月、小笠原諸島・硫黄島の噴火によって生まれたものと考えられています。

「マグマが噴出した直後の軽石は、乗用車ほどの大きさのものもあるんです。軽石は海を数千km、数ヶ月漂流することがありますが、その過程で細かく砕け、10cm前後の大きさになります。そうした中で、60cmもの大きさを保ったまま、1年半も海を漂ってきた軽石は、学術的にも貴重なサンプルになるので国立科学博物館に寄贈しました」

左:ネコのわくわく自然教室(沖縄県中城村にて子ども達の海の体験)、右:軽石の上で半年以上かけて大きく育ったサンゴ(撮影:丸谷由さん)

丸谷さんが運営する「ネコのわくわく自然教室」では、「軽石から学ぶ体験プログラム」が人気講座となっています。

「沖縄に大量の軽石が押し寄せたとき、軽石は海を汚す悪いもの、といった報道ばかりでしたが、よくよく考えてみると、それは人間の都合なんですね。海に漂う軽石は、貝やカニ、小さな魚などの生き物を遠くに運ぶという役割も果たしています。海岸に流れ着くと、やがて砕けて砂になり、島の一部となります。ペットボトルやビニールとは違い、軽石漂着は地球の営みの一環なんです。子どもたちには、そうした広い視野で自然を学び、感じてほしいと思っています」

1000km以上離れた場所から、海を渡って沖縄にやって来る軽石。そこには、子どもたちが自然環境を学ぶ教材としての可能性が、たくさん詰まっています。

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