藤澤一就「世界で闘う未来の棋士を育てたい」

TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」毎週日曜夕方5時から放送中!

9月25日(日) 放送後記

藤澤一就さん(Part 2)

1964年、東京都出身。父で名誉棋聖の藤澤秀行さんに師事し、1981年に日本棋院初段、現在は囲碁棋士八段。2007年には強いプロを育てる天豊道場を開設し、長年にわたって棋士育成に努めていらっしゃいます。

出水:お子さん時代はどんな子どもでしたか?

藤澤:その辺を走り回って、友だちと銀玉鉄砲を打ったりしてました(^^)

JK:でもお父様がたいへんな方だから、厳しい?

藤澤:大正生まれなんですが、いわゆる明治の男みたいな感じで怖かったですね。家に帰ってくるときは、お酒を飲んで酔っ払ってることが多かったです。

出水:お父様は棋聖戦6連覇や史上最年少でのタイトル保持など輝かしい記録をもっている伝説の棋士ですね。

藤澤:まぁ伝説の中には借金がたくさんあったとか、大酒飲みだったとか・・・そこはマスコミに取り上げられやすいところですね(^^;) 一晩でウィスキーをボトル1本以上とか。飲んでない時はまじめで静かなんですけど、1杯飲むともう大変な感じでした。

JK:お子さんのころから囲碁には興味持ってたんですか?

藤澤:いや、最初は碁会所に通わせてもらったんですけど、劣等生で全然強くならなかったんです。それで1回辞めて、そろばん塾や進学塾似通った後、6年生になる春休みに父が急に「お前、碁やりたいだろ? プロになりたいだろ?」って言いだして。怖いからいやだとも言えなくて、「明日から毎日やれ」みたいな。目指し始めると「俺はプロなるんだ」という意識が出てくるんですが、まだ弱いんで、思っていたより大変だったんですけど。

JK:いつから自信は?

藤澤:僕の場合はプロ試験の数か月前に、初めてハードルをクリアして上位10人に入ったんです。その時に初めて真剣にプロを意識しました。当時は試験が1年に1回だったんで、「この試験を逃したら、自分は次の1年何をすればいいんだろう」って。そこから必死に数か月間、一番勉強したかもしれませんね。それで1回でプロ試験に通って。

JK:1回で! その時何歳?

藤澤:16歳です。

JK:いま最年少者っているじゃないですか。何歳?

藤澤:つい最近男の子が入ったんですが、9歳です。特例ですね。

出水:えーっ(@w@)

JK:うわ~! 私初めて教えていただいた時に、女性の棋士の方がいらっしゃいましたよね?

藤澤:仲邑菫さん。彼女は13歳かな? めちゃくちゃ強いですね。

JK:私全然プロだと思わなくって! 勝手に20歳かなと想像してたんです。でもかわいいんだけど、バシッ!と上から目線。褒めてくれたりするんですよ!

出水:実力社会なんですね(^^)

藤澤:囲碁歴も長いですからね。4歳とかからやってますから。すぐタイトルに手が届くぐらい強いですね。

JK:プロになると、賞金って変ですけど、その辺はどうなんですか?

藤澤:今の女子ですと、藤沢里菜さんと私の弟子の上野愛咲美が二分していて、2人は年間2~3000万ぐらいですかね。スポーツに比べると少ないですが、囲碁の場合スポーツよりも寿命が長いのでね。

出水:スポーツ選手だと体がピークを向かえる時期が来ますが、囲碁の世界は何回もピークが来たりするものなんですか?

藤澤:たとえば経営者の方は、歳を重ねて判断力があがったりするじゃないですか。囲碁の場合、スポーツでいうシミュレーション能力、「先を読む力」は20代前半で迎えるんですが、「こういう時はこんな感じだろう」という感覚は60代過ぎてからも伸びると言われています。トータルのピークは30代後半ぐらいかと思いますが、40代で強い方もいらっしゃいますし、父の場合は67歳でタイトルを防衛したので・・・人にもよりますが、感性を磨きながらシミュレーション能力が落ちないように鍛錬することによって、寿命は延びていくと思います。

JK:ご自分で「マサカ!」というような、今までの強烈な経験はありますか?

藤澤:私の弟子の上野が、日本人で初めて女流の世界戦で優勝したんですね。僕にとっては目標にしてたことなんですが、ビックリでした。

出水:今は中国や韓国が強い中で、日本勢が押し返してきたんですね。

藤澤:この数年少しずつ頑張っているんですが、やっぱり壁は厚い。これから日本も頑張っていかないと。

JK:強い人って、子どもでも大人に見える。不思議ですよね。姿勢もビシッとしてて。

藤澤:今の子どもたちは集中力も高いし、まじめですね。とくに最近はコロナもあって人付き合いも少ないせいか、昔よりも集中するっていうのがありますね。昔は先輩に遊びに連れてもらったりと、脱線する人も多かったですが、今はそういうのも少ないですね。

JK:囲碁の礼儀というか、ルールみたいなのもありますか?

藤澤:始まるときは武道と一緒で「よろしくお願いします」とあいさつして、終わった後も「ありがとうございます」とあいさつする。

JK:着物もいいですよね。私はペア碁のベストドレッシャー賞の審査をやってるんだけど、世界の方々は皆さん民族衣装を着られますね。やっぱり国を背負って代表できているから、というのもあると思うんですけど、なかなか面白いですね。

出水:藤澤さんは棋士の育成にも尽力されていらっしゃいます。2000年には新宿に子ども囲碁教室を開設しているんですが、当時35歳。なぜ教室を開こうと思ったんですか?

藤澤:囲碁は大陸から来たんですが、江戸時代以降は日本が世界で一番高いレベルを保っていたと思われるんですが、このころ世界戦でだんだん韓国・中国が台頭してきて、日本が勝てない時期が始まってたんです。世界で戦えるような子どもたちを育てたいなと思いました。

JK:始まってから22年、みなさん続いてます?

藤澤:大人になって辞めちゃう子も多いと思いますが、いまだに教室に顔を出してくれる子もいたりして。つい先日も、最初に通っていた生徒が「司法試験に受かりました」って報告をしてくれました。

出水:現在はいくつぐらいのお子さんが何人ぐらい?

藤澤:プロを目指している子を別にすれば、4歳から16歳ぐらいですかね。個人差があってなかなかできない子もいるんですが、5歳とかで熱心な子は夏休み期間、10時から4時まで6時間やってたりします。集中力が尽きますね。

JK:すご~い! どんな大人になるんだろう。

藤澤:だいたい親御さんは「無理です」って言うんですけど、実際子どもはできたりするケースがあります。大人は難しいと思っても、子どもはできたり。夢中になるって大事ですね。

出水:今プロを目指しているお子さん、実際にプロになったお子さんはどのぐらいいるんですか?

藤澤:いま13人ですね。何人かは日本代表として世界戦に出させていただいています。

JK:日本中に囲碁教室ってたくさんあるんですか? プロもそれぞれ?

藤澤:たくさんあると思います。ただプロは少ないですね。東京圏でいうと、1年で3人しかプロになれない。女子が1名、男子が2名と決まっているんです。

JK:成績いいだけじゃプロになれないのね!

出水:同世代に怪物みたいな子がいたら、なかなかプロになれないってことですね?

藤澤:そういう運も多少あります。

JK:そういう人たちって学校のお勉強もすごいんでしょうね。

藤澤:集中してやった場合はいいことが多いんですけど、実際僕の教室の子も、進学校に入学したり国立大学に行ったりする子も多いです。勉強をやろうと思ったときに集中する時間が長いんだと思いますね。

出水:それは大人になってからも養えますかね? ぜひ身に着けたいんですけど(^^;)

JK:どういう教え方をしてるんですか?

藤澤:世代によって違うんですが、子どもの場合はお話が長くなると気が散ってしまうので、簡単なルールだけ教えて打つ。打ってる間に、「これってどういうことだろう?」って考えながら、だんだん難しいルールもわかってくるんですね。大人の場合は理屈が分からないと手を出してくれないので、説明を先にすることが多い。

JK:じゃあ私は子どもですね(^^;)

藤澤:感性が素晴らしいので、子どもはどんどん打ちますね。難しいルールは「これっておかしいんじゃない?」と、逆にルールについて質問してきたり。あとは個性を大事にする。戦いが好きな子、守りが好きな子、字を書くのが好きな子、大ぶろしきを広げるのが好きな子・・・本当にいろいろタイプがあるので。

JK:私は何タイプ?

藤澤:まだ自在タイプですね。興味を持ったことをとりあえずやってみる。自分が興味を持ったことをやっているときが一番集中しているので、集中してやるというのが上達の近道です。でも先生は盤面のとらえ方が独特ですよね。「小さい盤がデザインできる」って。

出水:今日は扇子をお持ちですが、それは?

藤澤:これは父が最期に書いたものです。病院のベッドで、もう絶対書けないだろうと思ってたんですが、「これを売ったらお金になる」って本人が言って。「強烈な努力」はよく晩年よく言っていた言葉です。

JK:「強烈な努力」。字が強いですね! それが強烈です。必ずプロの方は扇子を持ってるんですか?

藤澤:最近の若い人はあまりないですが、昔エアコンのない時代には先生たちが仰ぎながらやっていたので、その名残で僕らの世代も、なんとなく。持ってると落ち着くというのはありますね。

JK:今後何かこれをやってみたいというビジョンはありますか?

藤澤:今までよりも多くの子どもたちに碁を楽しんでもらいたい。そういうイベントもいずれやってもらいたいというのと、男子でも世界戦で優勝できるような子を育てられればいいなと思っています。

JK:学校の部活で広まってくれたらいいですね!

OA曲

M.SINCERELY ~ever dream~ / dream

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ラブレターズのアルバイト事情。マシンガンズ「KOC決勝進出してから言うなんて遅い」

お笑いコンビ・マシンガンズがパーソナリティを務める『マシンガンズの働きタイミー』(文化放送・火曜21時30分~22時)。4月22日の放送には、マシンガンズと親交のあるお笑いコンビ・ラブレターズが登場した。

今回の放送では、ゲスト・ラブレターズの2人が、自身のバイト遍歴を語るシーンがあった。

ラブレターズ・塚本「僕はADとかやってました。元々放送作家志望で、作家塾に行ってたりもしてた関係で、テレビ局にも興味があって。初めて(キングオブコントの)決勝に行った2011年は、まだADやってたんです」

芸人であることも明かしておらず、あくまで一アルバイトとして働いていた塚本。
しかし決勝に進出したため、当時ADをしていた『オードリーのNFL倶楽部』で、MCのオードリー・春日に話しかけたという。

塚本「まずADから声をかけることがないから、春日さんが身構えて。『実は僕、芸人やってまして、今度キングオブコントに出るんです』って報告したら、『そうか……お前何者だ!?』って(笑)」
西堀「決勝決まってから言うなんて、デリカシーないんじゃないか?(笑)」

一方、溜口は神宮球場で7年間ボールボーイをしていた。
このエピソードは、お笑い好きの間では比較的有名なエピソードではあるが――

ラブレターズ・溜口「ボールボーイって時給制なんですよ。神宮球場に行って、夕方に(雨天で)試合中止ってこともある。そうすると3時間分だけ時給が出るんです」
滝沢「早めに行って待機してるの?」
溜口「待機してます。(試合前の)練習で片付けとかもするので。でも試合が毎日あるわけじゃないので、それ以外の日は大学野球のグラウンド整備とかしてました」

大学時代にヤクルトスワローズに夢中になり、少しでも関われるアルバイトを探した溜口。
ビールの売り子やチケットのもぎりなども検討したが、「しっかり試合が見られて、近くで応援できる仕事」として狙いを定めたのがボールボーイだった。

溜口「募集要項とかなかったんですけど、衝動で神宮球場のお問い合わせ窓口に電話して『ボールボーイやりたいんですけど募集してませんか?』って聞いたんですよ。そうしたら『ちょうど昨日一人辞めちゃったから、明日面接に来て』って言われて」
滝沢「どこかでバイト募集は出てるの?」
溜口「あれは関係者同士で繋いでるんですよ。信用問題なんで」

溜口もまた、キングオブコントの決勝に進出した2011年までは、ボールボーイのアルバイトを続けていた。
当時はアルバイト中、スタンドから「キングオブコントおめでとう!」と声をかけられることもあったという。

滝沢「ふたりともさ……(周囲に芸人をやっていることを)言うの、遅くないですか?」

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