宇多丸『レッド・ロケット』を語る!

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』月~金曜日の夜18時から放送中!

5月5日(金)放送後記

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、日本では4月21日から劇場公開されているこの作品、『レッド・ロケット』。

(曲が流れる)

フフフ(笑)。いや、ちょっとすいません。笑っちゃって。これ、劇中で合計3プラスアルファというか、4回ってカウントしていいのかな、非常に印象的に使われる、イン・シンクの「Bye Bye Bye」という曲でございます。言ってみれば前作『フロリダ・プロジェクト』のオープニングで、クール&ザ・ギャングの「Celebration」っていうね、すごい明るい曲が皮肉に響いていたのともちょっと近いような、ちょっと異化効果があるような使われ方じゃないでしょうか。後ほどもね、ちょっとこのイン・シンクの曲に関してはね、評論中で流しながら話していきたいと思います。

『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』などのショーン・ベイカー監督最新作。元ポルノスターで今は無一文のマイキーは、故郷テキサスシティに戻り、別居中の妻の家に転がり込む。ある日、ドーナツ店で働く少女ストロベリーと出会ったことから、マイキーは再起を試みるのだが……。主人公のマイキーを演じるのは、ラッパーとしても活躍するサイモン・レックスさん。ああ、そうなんだ。ストロベリー役は、監督が映画館でスカウトした、新人のスザンナ・サンさんです。

ということで、この『レッド・ロケット』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「少なめ」。まあ、公開規模があまり大きくない。回数もすごい少なかったんで。ただ、賛否の比率は、褒める意見がおよそ9割。主な褒める意見は、「最低の主人公。登場人物たちも全員ダメ。なんだけど、どこか爽やかで温かさを感じる映画だった」「撮影が美しくロケーションもよかった」などがございました。一方、否定的な意見は、「最後まで成長しない主人公のダメっぷりにイライラ」「カメラワークの意図もわからず、何を伝えたいのか、わからなかった」などもございました。

「最低なんだけど面白い人間賛歌。全くブレなくて最低で最高だな!」

代表的なところをご紹介しますね。「トカレフ三郎」さん。「『『タンジェリン』『フロリダプロジェクト』と、過去のショーン・ベイカー監督作も非常に好みであったので、これは馳せ参じねばと『レッド・ロケット』も公開日に観に行きました。結論としてやはり、ショーン・ベイカー監督の作品に外れなし、だし、全くブレなくて最低で最高だな……! と笑顔になってしまう会心の作品でした。まず、主人公のマイキーが非常にポジティブシンキング……」。これ、ポジティブシンキングっつーのかな?(笑)。

「……自分の欲望にひたすら忠実で身勝手なのに、そこに陰りや後ろめたさがまるでない故に、不思議な爽快感がある点です」。で、ちょっと中にネタバレ的なことが書いてあるので、これはちょっと伏せさせてもらいますね。この主人公マイキーの傍若無人さというのを中心に……ちょっと省略しますけどね。「……限りなく「普通」の範疇からしたらズレている……だろうけど、彼らは彼らなりに一生懸命に生き方を模索している人たち。それを見つめる目線はかなりシビアでドライ、だけど不思議な温かみがある作風に、僕は前作からの筋の通り方を感じて、グッと来てしまいました。

併せて、とにかく撮影、構図や照明の気持ちよさにも魅了されました。マイキーが街中を自転車でぶらつくだけでも何故だかグッとくるカラフルな壁やトタンの印象、広大な高速道路の映し方だとか、急な人物へのズームイン等、キレキレな撮影の中でも、特にストロベリーとの仲が進展しているのを実感して夢見心地なマイキーが、真夜中、自転車に乗りながら喫煙する時の夜間撮影にしびれてしまいました……。長々となりましたが、『レッド・ロケット』、ここまで突き抜けた、最低なんだけど面白い人間賛歌な映画も初めて観た気がします。観てよかった、し、これからもショーン・ベイカー監督作を絶対に追いかけていこうとなりました」という。

一方、ダメだったという方。「モツモツ」さん。「「レッドロケット」観てきました。この番組で取り上げることがなければ、おそらく二度と鑑賞することがなかったであろう作品でした。正直、微妙でした。落ちこぼれの主人公が成長する話かと思えばそうではなく、ラストまで変化は見受けられません」。そうなんですよね。「……だだからといって、主人公の周囲が彼の影響によって変化するわけでもなく、むしろ状況は悪化しています。最初から、あまり見栄えのよろしくなかった登場人物たちが、終盤あたりから主人公の影響によって見るに耐えない状況や醜態を晒す事態に陥ってしまいます」。まさにそういう映画だけど(笑)。

「急にアップになったりするカメラワークもよく意図が組み取れませんでしたし、いやに強調されてた工場を風景にした移動シーンもエモーショナルに感じられなくはないですが、主人公は成長せずクズのままですし、その周りも対して変わらずなので、どのシーンもよく分かりませんでした。結局、この作品は一体何をしたいのが、汲み取れませんでした。ストロベリーちゃんは可愛かったのと、マイキーの丸出しシーンはよかったです。個人的な趣味に合う作品ではありませんでしたが、このコーナーのおかげで、こういう作品もあるのだと新たな体験ができました。ありがとうございます」というモツモツさん。観ていただき、ありがとうございます。ショーン・ベイカー監督も、いろいろこうやって、意見がわかれる映画をむしろ作りたい、というようなことをね、おっしゃってるぐらいなんで。こういうご意見なんかもすごく、いいんじゃないでしょうか。

ということで『レッド・ロケット』、私もヒューマントラストシネマ渋谷で2回、観てまいりました。ゴールデンウィーク中ということもあるのか、本当に満席でしたね。で、本当に場内、笑いが漏れるような雰囲気でございました。もちろんね、あの『フロリダ・プロジェクト』のショーン・ベイカー監督最新作だから、というのもあるでしょうが。なによりやっぱり、「面白い!」っていうのがね、大きい感じがしますけどね。そこが評判になってるという感じがしますが。

厳しい現実を扱いながらも「本質的に世界は美しい」。それを撮り続けてきたショーン・ベイカー監督

ということで、その前作、ショーン・ベイカーさんにとっても一大出世作となった『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』。このコーナーでは2018年5月26日に取り上げまして、私も最大級に高く評価させていただきました。

その評の中でも言いましたが、このショーン・ベイカーさん、作風というのはかなり一貫しておりまして。言ってみればですね、なかなかスポットを当てられることのない、社会の片隅で生きる人々を……たとえば、ショーン・ベイカーさんは意識的に描いているとおっしゃっている、セックスワークに就いている人たちとか。彼らをですね、なんだかんだ明るく楽しそうな面とか、一方で、決して褒められたもんじゃないという面も含めてですね、決して大上段からジャッジしたりせず……とある社会問題を扱うためにこの人たちを描いている、というような、要するに道具として扱うというようなやり方をせず。つまり同時にそれは、解釈や議論の余地というのは大いに残しつつ。

「本当にそこでその人がそのように生きている」としか思えないほどの自然さ……本当に「そういう人たち」にしか見えないですよね? 一方で、実は周到に練り上げられたストーリーテリングの力によって、ユーモアと批評性を同時に高く持ちながら、活写していく。生き生きと描いていく。そういう作品を一貫して作ってる方ですね、ショーン・ベイカーさん。

で、たとえばその自然さというのはですね、本当にこれは道でたまたま見かけたくらいの人、演技未経験者を、大胆かつ巧みに配するキャスティング、そこから醸されるものだったりもしますし。そもそも共同脚本家のクリス・バーゴッチさんという方と、念入りなリサーチを重ねていたりもするという、それゆえのものでもあったりする。

その一方で、ショーン・ベイカーさん、自ら編集も手がけているため、一見ドキュメンタリックに撮られた、ただ無造作にも見えるような会話シーンなどひとつひとつのパーツが、しかし最終的には、実は伏線にちゃんとなっていたんだ!とか、見事な構成がされていたりする。

また、そのように一見ドキュメンタリックなタッチながら、先ほどのメールにもあった通り、画面構成や色使いなどがとにかく美しいのもこれ、ショーン・ベイカーさんの腕でございます。たとえば今回の『レッド・ロケット』だと、撮影監督にですね、『WAVES/ウェイブス』などトレイ・エドワード・シュルツ監督作でおなじみ、ドリュー・ダニエルズさんという方が今回、起用されていて。で、使われているのは16ミリフィルムですね。16ミリフィルムのざらついた質感。で、時にですね、「意図がわかんない」とおっしゃってましたけど、おそらくあれ、要するにアメリカのポルノ画風の、荒っぽいズーム使いですね。安っぽくて荒っぽいズーム使い。ポルノ映画調みたいな、そういうのも込みでですね、非常に16ミリフィルムの、言っちゃえば70'sな感じというかな……を、活かしまくっていたりすると。

あと、プロダクションデザイナーのステフォニックさんという方。これは実はショーン・ベイカーさんの妹さんだそうですけども。そういうのも使ってですね、非常に色彩設計とか画面構成も、美しいです。つまり、厳しい現実を題材に取っていながらも、「本質的に世界は美しい」ということを、常に提示もしているような映画。で、最後にそれまでの「リアル」から、一気に映画全体が飛躍するような仕掛けが、一個用意されてたりもする、ということですね。

そんなこんながショーン・ベイカーさんのこれまで一貫した作家性と言えますし、今回の『レッド・ロケット』も、その意味ではまさにドンズバな一作、と言えるんじゃないでしょうか。

『レッド・ロケット』というタイトル。その意味は「発情した犬の……」

『レッド・ロケット』というこのタイトル、僕はちょっと知らなかったんですけど、今回改めて知りましたけど、『レッド・ロケット』って、「発情した犬のぺニス」を意味する、スラング的表現だそうです。

それは言うまでもなく、このサイモン・レックスさんが、本当にこういう人だとしか思えないレベルで「体現」している本作の主人公、落ちぶれた元ポルノ男優、マイキー・セイバーという人。彼が全編にわたって振りまく──僕の表現で言うとこうですね。「ハリボテの男性的イキり」。滑稽なまでの必死さでアピールされる、「男らしさ」のイメージ。その象徴ということですね、この「発情した犬のペニス」っていうのは。

そしてそれは、本作の時代設定……2016年です。アメリカ大統領選において、ドナルド・トランプがグイグイと台頭してきた、まさにその時期であることが要所で示されるわけです。要は、ドナルド・トランプというあの人物に集約される、アメリカ的イキり、ハリボテの強さアピール。そういう、男性がイキり散らかす……すごく中身は空っぽなのに、イキり散らかす、っていう。これは別にアメリカに限らず、一種普遍的でもある精神性というのものとも、重ね合わせることができる作りになっている、ということですね。 別に(そういう象徴的意味などを)はっきりとは言いませんよ? 話の中に、そういう「選挙期間ですよ」っていうのが織り込まれたりする、ということですよね。

ちなみに、この主人公像というのはですね、これはパンフレットとかにも載っている監督の発言によると、ピエル・パオロ・パゾリーニがですね、1961年……ずっとそれまでもね、文筆家とかとして活躍してたんだけど、映画を初めて撮った、映画一作目、『アッカトーネ』という作品。これが非常に影響大だと言っていて。僕はね、この『アッカトーネ』を観れてないんです。なんだけど、あらすじとか概要を見るに、完全に今回の『レッド・ロケット』的。ポン引きの話だし、もっと言えばそのキャスティングのやり方とかもショーン・ベイカーっぽいというか、ショーン・ベイカーが影響を受けたっていうのも(理解できる)……「ああ、なるほどな。パゾリーニだったんだ」っていう、そんな感じがございました。

主人公のダメ男マイキー。現実のシワ寄せは周りに押し付け、自分はバックレまくり!

ともあれ、そんなダメ男マイキー……といってもですね、自分ではそのダメ性みたいなものには、決して向き合うことはないです。どんだけダメな状況になっても、自分がダメだとは自分自身「思わないようにできちゃう人」っていうか。自分自身を偽ってでも、己を高く、デカく見せたい……逆に言えば、己を高くデカく見せられ「さえ」すればいい。別に本当に自分が高くデカくなる気はないんですね。高くデカく「見せられればいい」っていう人。

で、現実にあるしわ寄せ、いろんな大変さとかは、全部周りに押し付けて、バックレまくってゆく!っていうね。おそらくはこれまでの人生、それの繰り返しであったろうマイキー、というのがですね、間違いなく例によって何かをやらかし、前にいた場所にはいられなくなったのであろう、というムードで、故郷であるテキサスの工業地帯、テキサスシティというところに戻ってくる。

で、やはり元ポルノ女優、おそらく、なんていうんですかね、麻薬常用者でもあるがゆえに、子供の親権を取り上げられている、という……で、おそらく、別居中なのはもうこれは単に、マイキーが勝手に音信不通になっただけだったりするんじゃないかな?って私は想像しますが。妻、ブリー・エルロッドさん演じる、レクシーの家に(マイキーが)転がり込んでくる、というところから話が始まるわけです。この、転がり込んでくる最初んところからして、最高ですよね。「いやー、元気だった?」「何? 何……最悪! 何しに来たの?」「いやー、俺も会いたかった! 俺も会いたかったよー!」みたいな(笑)。「えっ、何? 本当にマジ、最悪なんだけど……」「いやー、俺も嬉しいよ!」っていう。会話がもう、成り立ってない、みたいな(笑)。

登場人物たちの背景を自然に「浮かび上がらせる」ショーン・ベイカー監督の巧みさ

でね、さっきから「おそらく」っていう言葉を加えて僕、話すことが多かったと思うんですけど、これこそ、ショーン・ベイカーさんの作劇の、巧みさの部分でして。つまり、登場人物たちの背景、バックボーンみたいなものは、説明ゼリフではなく、あくまで自然に、「浮かび上がってくる」というような作りになっているわけ。だから「おそらく」なんですね。

だからたとえば、マイキーとレクシーの関係もですね、これ、「バックヤード・コム」というところのインタビューで、ショーン・ベイカーさん自ら語っているところによると……これ、すごく面白かったんすけど。この二人、マイキーとレクシーの夫婦について。「彼らはいわゆるハイスクール・スイートハート(高校時代のカップル)で、おそらくマイキーがレクシーを説得してポルノの世界に入り、そのことが彼女の人生にネガティブな影響を与えていたのではないか」っていう。つまりこれ、マイキーが劇中で再びやらかそうとしていること、そのものなんですよね、ということ。

で、監督は続いてこんなことも言っている。「二人とも貧困層出身者でもあって、ポルノの世界に入るということも、経済的な理由だったのではないか」。「レクシーは明らかにポルノ業界に吸い尽くされ、吐き出されてしまった人です。残念ながらアメリカのポルノ業界における女性のキャリアの寿命は、男性の何分の1にも満たないんです」という。こういう二人の背景、二人の関係というのが、説明ではなく、「読み取れる」という作りになっている、っていうことですね。

しかもですね、こういう今言ったような構造が背後にある、ということを踏まえれば、途中、違う相手と二回繰り返される、あの「ポルノ業界のアワードで、オーラル賞っていうのを獲ったんだよ」みたいなくだりで……要するに「あんた、オーラル的な性的サービスを受けただけの男側が、なんで賞を獲るわけ?」っていう議論をしますよね。つまり、そこでもやっぱり、まさに「レッド・ロケット」な男たちが仕切るこの社会、というのに対する、作り手側の批評的な意識というものが、はっきりと込められていることがわかるわけですね、より明確に。

「ハリボテの男らしさ」の対極。たくましい女性キャラクターたち

一方で、マイキーに代表される「レッド・ロケット」な男たち、ハリボテの「男らしさ」のイメージ、そうやって振る舞うのにもう必死!みたいな人たち、そんな男たちの世界っていうのがあるんだけども……地元の元締め的ファミリーのボスである、お母さんがいて、その右腕たる娘、っていうのがいて。そこに象徴的なように、そのストリートの、草の根的なコミュニティを真に仕切っているのは、女性たち。先ほど言った「バックヤード・コム」の監督の言葉を借りれば、家父長制ならぬ「家母長制」的な、コミュニティ内での互助システムっていうがあって……ということが描かれているというのも、面白いですよね。

で、そういうたくましい女性キャラクター、という意味ではもちろん、第二幕から登場する、もうすぐ18歳の、ドーナツ店でバイトする美少女、スザンナ・サン演じるストロベリー、という女の子がいるわけです。これ、ちなみにですね、スザンナ・サンさんは元々シンガー・ソングライターをやっていて。劇中で、さっきかけたイン・シンクの「Bye Bye Bye」という曲を、(バックで流れている)このピアノの弾き語りで歌うんですよね。「ああ、なんかすごいいい感じで歌い出すな」と思って聞いていくうちに……「イン・シンクかい!」っていう(笑)。それもすごい面白いんですけど。

で、この彼女はもうすぐ18歳ってことで、まだ17歳なんですけど、テキサスではどうやら、17歳でもお互いの合意があれば、そういう大人の男との付き合いというものも合法、らしいんですが。ただ、どう見たっておっさんのマイキーがですね、彼女に狙いを定めて落としていく、というプロセスは、明らかにこれ、ダメでしょう!っていう感じがもう、プンプンですし。まあその、近づき方のやり方がセコすぎて、本当に笑っちゃう。で、笑っちゃいながら、「これ、でも笑ってる場合じゃないよな」っていう感じがする、っていう。

当然、マイキーはですね……(このように、女性をポルノ業界に売り込んで利益を得ようとする男性を)いわゆる「スーツケース・ピンプ」って、アメリカで言うんだそうです。スーツケース・ピンプとして、彼女にいずれ寄生し、搾取する気、満々なわけですね。彼女に乗っかってもう一回返り咲こう、という気が満々なわけですけど。同時にでも、そのストロベリー、彼女側も、主体的な欲望や野心というのも、しっかりあって。要するに、単に流されただけでこうなっているわけじゃない……それと、でもまだやっぱり子供だよなぁっていうのが見え隠れする瞬間の、この両者の危うさのバランスをですね、スザンナ・サンさん、撮影時に23歳とからしいですけども、本当に見事に演じられている。

たとえば途中、同級生のナッシュっていう男の子とキスしているのを、マイキーに見られて。で、マイキーが「おい、なんだ、あれ?」みたいに問い詰めるんだけども。「っていうかお前、どんな立場なんだよ?」っていうことなんだけども(笑)。「さっき、キスとかしてたけどさ……」みたいな。いい歳したおっさんが。「ちょっとさ、あんなの、彼氏じゃないって言いに行こうぜ!」みたいなさ(笑)。「お前、何なの?」って感じなんだけども。そのマイキーのイキりも、言っちゃえば、「のび太の夢がガキ大将」(という『ドラえもん』内のエピソードに近いノリ)っていうか……大人になったらガキ大将になりたい、みたいな。要するに、子供相手ならイキれる!っていう(笑)。ロリコンっていうよりは、そういう感じなんだよね。こいつはね。

で、とにかくそこのところでストロベリーが、「いや、ええとその、プロムの後にちょっと口でしてあげたら、ちょっとなんか……」みたいな、ちょっとだけ背伸びしつつ、でもモジモジ子供っぽい、みたいな。あのバランスは本当に見事なものがありましたよね。あと、でもこの二人の関係性が、すごく歪んでる、いびつだけど、二人ともなんというか、お互いに希望を見てる、っていう部分は、嘘ではないので。そこには切実さがある、っていうのもなんかちょっと、まあかわいらしくっていうかな、ちょっと「まあ、わかんないでもない」っていう風に見える感じではあるわけです。

隣人ロニーとの関わりから生まれた最低ゼリフ。「神様、ありがとうーっ!」

一方このね、「レッド・ロケット」な、つまりハリボテの「男らしさ」を必死で誇示しようとするばかりの男たち、というのがいて。特に悲哀にあふれるのは、やはりこれ、レクシーの隣人の、イーサン・ダーボーンさん演じるロニーという男の子がいて。途中で出てくる、彼の「軍歴」を巡るエピソードは、まさに「男らしさ」が過剰に勲章となる社会、その悲しい裏返し、と言えますよね。つまり、本来あんまりマッチョ的でない彼は、さぞかしこのコミュニティでは、孤独だったんだろう、ってことです。

だから、そんな彼にとって、要は華やかなスターカップルに見えていたマイキーとレクシー。で、マイキーが帰ってきて、時ならぬ交流を……マイキーはロニーのことを覚えてもいないんだけどね。その時ならぬ交流は、そのロニーにとっては、心から誇らしいものだった、ってことですよ。きっとね。

でも逆にマイキーにとっては、ただ単に、まあそんな実態もないような自慢話を、本気で感心して聞いてくれるやつが……しかも車まで持ってくれていて。「ああ、便利だ」みたいな、そういうことでしかないんだけど。

ちなみにこのロニーとの関係で言うとね、これはネタバレしないようにしますが、途中でマイキーがですね、「神様、ありがとうーっ!」みたいに言うんですけども。そこがもう、最低!(笑) 「お前、マジで最低だな!」っていうところがあったりするんですけどね。

最後まで一貫してクズのマイキー。「お前はもうそれでいいよ……」(観客)

事程左様に、本作『レッド・ロケット』の主人公マイキー……皆さんメールにね、「嫌だ」って言ってる人も「面白かった」っていう人も、言ってることは同じで。要は、マイキーという人はですね、「実はこういういいところがあって」とか、「本質としては優しいやつで」みたいなことは、ないんです(笑)。「本当はいいやつ」とかでもないんです。とにかく一から十まで、ただただ本気で利己的なだけだし、調子がいいだけで、人を利用することしか考えてない。マジで本当にクズなんすよ。マジで、徹底して、そこはもう、貫き通されています。改心などはしないし、懲りもしません。

にもかかわらず……ここが本作の、真に驚くべきところですけども。周囲に必然的に迷惑をかけ、負のサイクルに引きずり込む、この疫病神的人物に、それでもどこか思い入れ、あまつさえちょっと応援したり、痛快に感じる自分、っていうのにも気づかされる。それはまず何より、演じるサイモン・レックスさん自身のチャーム、というのもやはり大きいだろうし……まあその、チャーミングだからこそ、一見こういう魅力的な人物こそ、悪質なんだ、というのも、両面あるわけですけどね、当然。

あとはね、さっき言ったような、自然に浮かび上がる各キャラクターのバックボーン、って言いましたけど、その中でも、実はこのマイキーだけですね、たとえば両親とかの存在感が、一切ないんですよね。だって、故郷に帰っているはずなのに……どうやって、誰に育てられたのか、わかんないんですよね。

そんな風に無条件で頼れるホーム、みたいなものがそもそもない、そんなのはないのがデフォルト、っていう感じがする……つまり、他人を利用し続ける彼の生き方というのも、ひょっとしたら彼なりの、一人でこの世をサバイブするための術、それ以外なかった、それ以外は思いつかなかった、ってことなのかな、っていうのもある。

なので、そういうマイキーという人物の、何も持たずに、一人で何とか渡り歩いてきた感。すなわちですね、劇中、さっき言ったように3回プラス1回……その1回は、逆回しがラストでね、かかるんで。そのイン・シンクの「Bye Bye Bye」に乗せて、クライマックス、文字通り「男、裸一貫!」での疾走(笑)。これ、残念ながら、なんか似合うし、「もう、お前はその調子で行け……走り続けろ!」みたいな感じがする、という。

なのに、それだけひょっとしたら悲しい生き様の人なのかもしれないんだけども、まあはっきり言って、どこまでも明るく前向き……といえば聞こえはいいけど、どこまでも薄っぺらなので(笑)。なんか「お前はもう、それでいいよ……」っていう、なんか気持ちよさもあったりする、というところなんですよね。そしてもちろんですね、彼のその小狡さ、しょうもなさというのは、僕や皆さんのたぶん中にも、はっきりあるものですからね。ということですよね。

ショーン・ベイカー監督は現代アメリカの「長屋物」の名手!? いつか「説教上映」やりたい!

こういう風に、人間のダメさ、しょうもなさを、教訓に落とし込んだりせずに、丸ごと受け止め、笑い飛ばしつつ見つめていく、というこの感覚。これ、すごく、「落語っぽい」と思うんです。どこか落語的、と言えるようなスタンスじゃないでしょうか。言ってみればショーン・ベイカーさん、前回の『フロリダ・プロジェクト』とか『タンジェリン』とかもそうだけども、現代アメリカにおける「長屋物」の名手、という言い方ができるんじゃないでしょうか(笑)。長屋物の名手。

しかもラストには、やっぱりショーン・ベイカーさんならではの、一個、飛躍があるんです。ショーン・ベイカーさんのラストの飛躍はだから、落語における、無理やり「お後がよろしいようで」って、最後に無理やりオチをつける、みたいな(ものかもしれない)。でね、さっき言ったようにイン・シンクの、ここは逆回しなんですよね。この「Bye Bye Bye」が逆回し、っていうのも、ちょっと意味深。これは歌詞の意味なんかも考えて、それぞれに解釈してもいいかもしれない。

あとはですね、劇中いろんなロケーション……まあ、テキサスシティで撮ってるんですけど、地域によって、経済格差がガッツリ目に見える形であったりするのも、これも非常に興味深かったりしました。なにより、ショーン・ベイカーさんの作品ですから、それでも全編、常に世界の切り取り方は、なんかやっぱり、「美しい」んですよね。

ただまあ今回は、主人公がなんぼ何でも、ダメさがエグいので(笑)。まあショーン・ベイカー作品の中でも、かなり人を選ぶ方かもしれません。『フロリダ・プロジェクト』みたいに、基本的に主人公がかわいらしくて同情できる人物、というわけではないので。イライラ、ムカムカが勝つ人がいても、これは当然かと思います。

ただ、僕はやっぱり、めちゃくちゃ面白かったです! これ、2021年のね、10月にアメリカでは公開されてる作品で。結構時間が経っていてですね。その間にショーン・ベイカーさん、次作を既にクランクアップ済み、ということなんで。すぐ、最新作も届くかもしれませんね。いやー、間違いない作家、本当にアメリカのインディペンデント映画界の奥深さ、層の厚さというのを思い知らされる、ショーン・ベイカーさん、流石でございました。これ、コロナ禍ですごく条件が限られた中でも、こんな面白い映画を撮っちゃうんだから、ということで、『レッド・ロケット』、めちゃくちゃ面白かったです! ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。(映画館で)笑いに包まれて観るのがおすすめです!

(中略)

ちなみに今日の『レッド・ロケット』、ディレクターの簑和田くんが、「応援上映とかしたら盛り上がりますかね?」って言っていたけども、「いや、応援上映じゃなくて、『説教上映』だろう」って(笑)。『レッド・ロケット』説教上映、いいかもね! 「お前、なに言ってんの?」とかね(笑)。すごい盛り上がって、みんな声がガラガラになる可能性、ありますね(笑)。

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「離党しなくていいの?」石破総理が商品券10万円配った騒動に言いたいこと

寺島尚正アナウンサーがパーソナリティを務めるラジオ番組『おはよう寺ちゃん』(文化放送・月曜日~金曜日 午前5時00分~9時00分)が3月14日に放送。金曜コメンテーターで郵便学者の内藤陽介氏が、石破総理の商品券騒動について意見を交わした。

寺島アナ「石破総理が今月3日に当選1回の自民党衆議院議員15人と総理公邸で懇談した際、石破総理の事務所関係者が出席議員それぞれの事務所を訪れて、各10万円分の商品券を配っていたことが分かりました。自民派閥の「政治とカネ」の問題を野党が追求する中で、総理側の行為には与野党から批判の声が出ていまして、新年度予算案の国会審議に影響する可能性があるとしています。石破総理は取材に応じて、自らの指示で配布したことを認めた上で「会食のお土産代わりに出席議員のご家族へのねぎらいなどの観点から、私自身のポケットマネーで用意した」と述べました。政治資金規正法では、政治家個人の政治活動に対する金銭などの寄付は原則として禁止されていますが、石破総理は「政治活動に関する寄附ではない」などとして、今回の配布は「法的には問題がないと認識している」と強調しました。内藤さん、これはどうご覧になりますか?」

内藤「2つあって、1つは旧安倍派のパーティー券の不記載ですよ。違法性がない単純なミスと認定されているものに対して離党勧告しちゃったわけでしょ。それよりもよりストレートにやってるわけだから、離党しなくていいの?って話ですよね。彼らのロジックで言うならということですよ。

もう1つは、新人議員を集めて10万円ってしょぼくないですか?それが良いか悪いかは別にして。今はもう派閥は解消されたという風になってますけれども、かつては派閥の親分が盆暮れその他に、特に新人議員なんかに100万単位で渡したわけですよ。それは別に好き勝手に飲み食いしていいとか使っていいっていうことじゃなくて、例えば政治資金なんかで、それこそポスターを作るんだって、おそらく国会議員だったら100万円やそこらはかかるわけじゃないですか。ポスター代ぐらいこれでなんとかしろよって昔はおそらくポンと渡してたのが10万ですか。渡すにしてもしょぼいし、なんだかなって感じですよね。」

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