引退、撤回、復帰の真相は・・・橋幸夫さん

ファッションデザイナー:コシノジュンコが、それぞれのジャンルのトップランナーをゲストに迎え、人と人の繋がりや、出会いと共感を発見する番組。

橋幸夫さん

1943年、東京荒川区生まれ。1960年に「潮来笠」で日本ビクターからデビューし、日本レコード大賞新人賞を受賞。舟木一夫、西郷輝彦とともに『御三家』として一時代を築きあげました。一度は舞台を退いたものの、2024年から歌手活動を再開しています。

出水:橋さんにぜひお伺いしたいのが、引退撤回&現役復帰のお話。2021年10月、80歳の誕生日を迎える2023年5月に引退すると発表して、全国100カ所以上でラストコンサートを回りましたが、1年も経たず2024年4月に引退を撤回!

橋:そうなんです、大変みなさんびっくりされて「辞めちゃうの?!」って。ずーっと忙しくなって地方公演行き過ぎていて、声もしわがれてきたんで、ちょっと休みたいなといったら、どこかの週刊誌が書いちゃったんですよ。「引退じゃなくて休みたいんですよ、僕は辞めませんよ」って言ってもなかなか聞いてもらえないんですよ。怖いですね、マスコミって!

JK:ファンって根強いんですよ。辞めるなんて聞いたら・・・

橋:相当非難されましたよ。「橋さん辞めたら私たちどうするの?! 私たちがいったいいくらお金を出してると思ってるの!」って。ここまできちゃったんですよ。本当にごめんなさいばっかりですm(_ _)m 撤回したら「ああ、良かった~」って言ってましたね。

JK:歌えるところまで歌い続けてください! その間病気とか寝込んだりとか、大きな事件は?

橋:全然ないです。丈夫なんですよ。ただ少し休みたいっていうのが「引退」っていう記事になっちゃって。

出水:世間が大騒ぎしている間に、「2代目橋幸夫」を決めようというプロジェクトが発足して、YH2というグループがデビューしました。

橋:今の事務所の夢グループの社長がね、「若い奴がいるから、歌手デビューさせる」っていうのがあれなんですよ。

出水:1000人以上からオーディションして選ばれたメンバーは、小牧勇太さん、進公平さん、徳岡純平さんの3名。

橋:ところが全員歌が上手い子でもないし、一生懸命がんばれよっていつも言ってレッスンしてるんだけど・・・あんまり上手いとは言えないんだよね、僕から見ると(^^;)「そんなんじゃ売れねえぞ」っていつも言ってるんですけど。重荷かもしれないですが、「がんばります」って言ってがんばってますよ。だんだん楽しくなってきたみたい。

JK:育ての親をやってるわけですね。歌の内容は橋さんの歌?

橋:ええ、2代目だし、私の歌を主に歌った方がいいよって社長が言うから、いろいろ出してきて・・・でも正直、あんまり上手くないんですよね(笑)

JK:そんなことないわよ! 橋さん、いっぱいあるでしょうけどマサカは?

橋:マサカっていうと、僕が大学に入ったことですね。京都芸術大学。誰が入ってもいいっていうことで、僕が入ったら志願者がすごく増えたんですって。

出水:2022年ですね。

JK:橋さんみたさに(笑) 何科?

橋:通信教育です。だから自宅にいていいから、僕もそっちの方が楽だねって。僕も高校しか出てないんで、「大学」って名前に憧れたわけ。だから大学に入ろう!って。

出水:志望動機は何だったんですか?

橋:若い時は絵を描くことが好きだったんですよ。絵を描かせたら上手かった。

JK:どんな絵か見たい!

橋:書画なので筆で描くんです。テーマはいろいろありますけど、例えば・・・なんだろな、いっぱい描いたから忘れちゃった。学校にあげちゃったんだよね。たいしたことは描いてませんけど、絵と書と。

出水:今年でデビュー65年ですけど、歌手生活でのマサカはありましたか?

橋:いろんなことがマサカで来た私ですから今さらドッキリはしないんですけど、ただやっぱり、いまだに歌の世界はやっていけばいくほどすごいなぁって。ステージでも言うんですけど、こんな寒い時期に何百人が私が歌うのを見に来てくれるのはありがたいなぁって思うんです。書画のほうは芸術性のあるものは描けないけど、歌に関しては本職だから、そういう意識でやってるんです。

JK:書道で歌詞を書くとか? 素敵ですよ! これから本気でやりたい!ってことは? 例えば武道館とか、絵でもいいし。

橋:絵も個展を出したことはあるんです。会場で実際に販売もしてます。結構喜ばれるんですよ。おかげさまで、コンサートのロビーで売ったりもしてますし。

JK:ファンの方にとったらそりゃ嬉しいですよ! 書を舞台の背景にして、歌を歌うとか。私もだんだんイメージ湧いてきちゃった(笑)

出水:他に出会った方で印象に残っている方は?

橋:尊敬する人にビクターのフランク永井とか松尾和子とかたくさんいたんですよ。でもその辺の先輩は亡くなっちゃったんで寂しい限りなんですけど・・・やっぱり天下の美空ひばりですよ! お嬢ですね。僕がデビューした時も「あんたビクターだよね。なかなかいい歌を歌うじゃないの。がんばんなさいね」って。「いや、僕はお嬢さんの歌が好きなんですよ」「何でも言いなさい、何でもやってあげるから。幸夫が歌手になってくれてうれしいのよ。まずは食事しようよ」って。そこからスタートです。「じゃあ家に来てくれるか、家の近所かどっちかですね」「どっちだっていいわよ、酒飲めればいいから」って言って、年中家に来てくれた。お嬢の家にも行ったし、美味しいお店も探してくれたし。そういう風に先輩として、歌手の弟分ができたみたいに、すっごい可愛がってくれた。

出水:橋さんのヒット曲「絆」が、韓国人歌手のZEROさんとのデュエットとして4月24日に新たに生まれ変わるそうですね。

橋:そうなんです。ZEROくんが日本に来てることを僕は知らなかったんです。いろんな曲を歌うし、「日本でいろんなことを学んで帰りたい」って言っていて。仕事で会った時に、彼自身も私の歌を聴いて発見をしたんですよ。「僕の故郷ではこの歌が大ヒットしてるんですよ。歌っているのが橋さんだったなんて! いやぁ~うれしい!」って。

JK:あっら~!! 今度は韓国デビューどうですか?

橋:今度そうするんですよ。じゃあ1回一緒に歌おうよって。「本当ですか?! ぜひ橋さんやりましょう!」ってZEROが俺にずっと付きまとってしょうがないの(笑)でもあいつ真剣に頼むんでね、「本当にやろう、確約するから」って実現するんです。

JK:韓国ブームですし、今年は日韓国交正常化60年ということで、日本からも行きますよ!

出水:実はここでYH2の進公平さんがスタジオに遊びにきてくれました!

橋:一番ヒマなやつが来たな(笑)

進:よろしくお願いします! 僕実は橋幸夫さんのことを知ったのが「いつでも夢を」で、「あまちゃん」のドラマで知ったんです。その話をオーディションでもして、目の前で歌いました。めちゃくちゃ緊張しました!

出水:橋さんから指導も受けているそうですね。

進:コンサートでもご一緒させていただいて、リハーサルで橋幸夫さんにチェックしていただいて指導いただいたりしています。

JK:第2の遠藤実さんになり切ってますね(笑)

橋:そうですね、若い子がこうやって歌ってくれるのはうれしいですよ。

進:橋幸夫さんの曲はたくさんあるので、それを僕たちが歌い継がせていただけるっていう・・・それを今の世代の人たちにも聞いてもらえるよう、がんばって活動しています!

橋:私がどうの、売名がどうのっていう話じゃなく、こういう若者が出てきて私の歌を歌ってくれること自体がうれしいですね。

(TBSラジオ『コシノジュンコ MASACA』より抜粋)

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新浜レオン“野球少年”から演歌の道へ…「若い人にも演歌・歌謡を聴いてもらいたい」演歌歌手を志した当時を振り返る

アーティストの「こっちのけんと」がパーソナリティをつとめるTOKYO FM のラジオ番組「G-SHOCK presents THE MOMENT」(毎週金曜17:00~17:25)。さまざまなゲストをお迎えし、生まれてからこれまでの時間のなかで、人の心に刻まれている「人生が変わった瞬間」=“MOMENT(モーメント) を探ります。

2月28日(金)と3月7日(金)の放送では、新浜レオンさんが出演。この記事では3月7日(金)の放送の模様をお届けします。大学生時代に出場した「ミスター大東コンテスト」での歌唱エピソードなどについて語りました。


新浜レオンさん、こっちのけんと



1996年生まれ、千葉県出身の新浜さん。2019年にシングル「離さない 離さない」でデビュー。「第61回日本レコード大賞」新人賞を受賞し、翌年は「第34回 日本ゴールドディスク大賞」ベスト・演歌/歌謡曲・ニューアーティストに輝きます。他にも、サンリオとコラボキャラクターを制作するなど幅広く活動。2024年は、木梨憲武さんがプロデュース、所ジョージさんが作詞作曲を手がけた楽曲「全てあげよう」が大ヒット。同年の「第75回NHK紅白歌合戦」にも出演しました。



――この番組では、ゲストの方の人生が変わった瞬間“モーメント”を伺っていきます。新浜さんの1つ目のモーメントは「野球を始めて、あだ名が『変更』になる、2つ目のモーメント「野球部のキャプテンになる」でした。3つ目のモーメントは?

◆昭和の演歌歌手を目指した大学生時代

こっちのけんと:先週は小学生の頃のあだ名のお話から、高校で野球部のキャプテンになった話などを伺いました。それでは、新浜レオンさんの人生が変わった瞬間、3つ目のモーメントは何でしょうか?

新浜:「大学3年生 『ミスター大東コンテスト』でグランプリ獲得」!

こっちのけんと:大東文化大学のミスター大東コンテストでグランプリをとったということですが、どういったきっかけで応募したんですか?

新浜:そもそも、自分は自身の容姿に自信がなかったんですね。体重の話で言うと、大学3年生の頃のほうが今より25kgぐらい多いんですよ。

こっちのけんと:そうなんですか!?

新浜:趣味が筋トレで、当時の自分は「男は体がでかくて色黒で、刈り上げだろ!」と思っていたんです(笑)。

こっちのけんと:真っすぐだったんですね(笑)。

新浜:高校3年生で野球を引退したときから、「演歌・歌謡曲の世界で歌手になりたい」と志していました。そこから、「一体どんな演歌歌手になりたいのか」という自己プロデュースしていたんです。

こっちのけんと:素晴らしい。

新浜:当時、演歌歌手だけど茶髪にしていたり、ピアスを開けていたりと、それまでとは違う雰囲気の若手が続々と出てきていました。それを大学生時代の僕は冷静に見ていたんです。

こっちのけんと:なるほど!

新浜:「このままだと埋もれちゃう!」と思って、目立つためにいろいろ考えました。せっかく野球をやっていたし、体も大きいので山本譲二さん、いわゆる原点の演歌歌手を(目指そうとしました)。ザ・昭和というか、色も黒くて髪も短い、ガチっとして刈り上げて、スーツでネクタイをビシっとして歌う演歌歌手。これだなと思いました。黒のイメージのかっこいい感じで演歌に行ったら、逆に目立つのではと思ったんです。

こっちのけんと:めっちゃいいですね。

新浜:ミスター大東のコンテストには、「若い人にも演歌・歌謡を聴かせたい」という気持ちで出場しました。僕が小さい頃から父は演歌歌手だったのですが、「いい曲があるのに、演歌というだけで聴かれないのは悔しいな」って思いながら生きてきたんです。ミスターコンテストに出れば、自己PRコーナーで若い人たちの前で演歌・歌謡を歌えると思ったんです。

こっちのけんと:なるほど!

新浜:審査員はみんな学生だったので、歌えるチャンスがあると思って出場しました。自己PRコーナーでは、森田公一とトップギャランの「青春時代」を歌いました。

こっちのけんと:おお! 昭和も昭和の曲ですね。これを伝えたいという思いがあった?

新浜:はい。歌いながら会場を歩いて握手するシーンがけっこうあったのですが、それを学生の前でやったらどうなるのかと考えました。ある種の挑戦です。イントロが流れて階段を降りたら、周りはざわめきました。

こっちのけんと:キャーってよりは「なに? なに?」って感じですよね(笑)。

新浜:学生と握手しながら歩きました。そうしたらけっこう盛り上がって、グランプリをいただいたんです。

こっちのけんと:すごい!

新浜:そのときに、聴いてもらえたら「歌謡曲もいいね」と言ってもらえるんだと思いましたし、ある種の自信にもなりました。調べると当時の写真っていっぱい出てくるんですけど、出さないでほしい(笑)。

こっちのけんと:これはこれでかっこいいですよ!

<番組概要>
番組名:G-SHOCK presents THE MOMENT
放送日時:毎週金曜 17:00~17:25
パーソナリティ:こっちのけんと
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/moment/

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