【番組レポート】マキタスポーツさんの新番組!ニッポン放送『マキタスポーツ食道』

マキタスポーツさんが「食」を気楽に紹介する新番組!

4月8日(日)にスタートするニッポン放送『マキタスポーツ食道』の初回番組収録に潜入してきました。

ニッポン放送『マキタスポーツ食道』とは?

『マキタスポーツ食道』は、コメディアン・俳優・ミュージシャン・作家とさまざまな場で活躍し、才能を発揮するマキタスポーツさんが「食」に関するあらゆることを気楽に紹介していく番組。

「家で食べるごはん」、「コンビニスイーツ」、「一見さんお断りの料亭」……など、食にまつわるあらゆることをテーマに語ります。

また番組では「思い出の背景めし」を募集しています。例えば、「子供の頃によく食べていたオヤツ」、「受験勉強の時の夜食の定番」、「ひとり暮らしで、初めて作ったメニュー」など。ぜひエピソードとともに、メールで教えてください。

マキタさんとともに、とどまることを知らない“食の道”を突き進んでいきましょう!

【番組概要】
■放送局:ニッポン放送
■番組名『マキタスポーツ食道』
■放送日時:日曜日 19時20分~19時40分
(※不定期放送なので、詳細スケジュールは番組サイトをご確認ください。)
■出演者:マキタスポーツ
■番組URL:http://www.1242.com/makita/
■番組メールアドレス:makita@1242.com
■番組公式Twitter:https://twitter.com/makishoku
公式ハッシュタグは「#マキ食」。
※初回放送は4月8日(日)19時20分~。

番組打ち合わせ&初回収録スタート!

今回の収録が行われた場所は、ニッポン放送6階にある第7スタジオ。パーソナリティを務めるマキタスポーツさんがスタジオ入りし、スタッフと打ち合わせがスタートしました。

 

台本を元に、番組の流れをじっくりと確認します。

 

 

マキタスポーツさん一人語り形式のため、小さめのブースです。

 

 

台本は用意されていますが、トーク内容はほぼアドリブ! よどみないトークは、まるで目の前で生放送を聴いているような感覚でした。

 

 

途中、コーナー毎にカットし、番組ディレクターとマキタスポーツさんで打ち合わせ。より面白いものを作り上げようと真剣です。

 

 

Save Completed. 音声データで保存されます。

 

 

初回収録では、2本分を録り終えました。お疲れさまでした。

 

収録を終えて

初回収録にお邪魔させていただきましたが、マキタスポーツさんと番組ディレクターをはじめとするスタッフさんとの息がピッタリでした。20分間という短い収録枠の中で、台本にさまざまなアイデアが上乗せされ、密度の濃い番組が作られていく様子を目の当たりにして、スタッフの皆さんのラジオへの情熱をひしひしと感じました。

何より驚いたのは、マキタスポーツさんの流れるようなトーク! 誰もが経験し、共感する「食」にまつわるエピソードに、ユーモアを交えた味のあるトークがほぼアドリブで語られ、それをそばで聴いたことはとても貴重で贅沢な時間でした。そしてラジオパーソナリティという仕事の凄さ、奥深さを感じました。

また、マキタスポーツさんと番組スタッフ間ではLINEグループを作り、日夜「食」についての情報をやりとりしているんだとか。今後、そのやりとりの中で生まれた面白いネタもラジオで語られるかもしれませんね!

この後、収録した音声を編集し、番組が出来上がります。いったいどんな風に仕上がっているのか、オンエアが待ちきれません!

初回放送は4月8日(日)19時20分からです。どうぞお楽しみに!

Twitterキャンペーンも実施中!

アカウントをフォローして、対象のツイートをRT(リツイート)すると、抽選でA賞(マキ食セット)、B賞(Amazon ギフト券 3,000円分)いずれかが当たります!

 

 

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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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