【ラジオな人】TBC(東北放送)アナウンサー・名久井 麻利さんが語る。出産・育休を経て生まれた「しゃべり手」としての変化。

TBCラジオ(東北放送)で平日の9時~12時に放送されている情報バラエティ『COLORS』。水曜日を担当するのは、東北放送アナウンサーの名久井 麻利(なくい まり)さん。出産・育休から復帰後、初のレギュラー担当となりました。飾らない語り口で人気の女性アナウンサーに、決定当時の心境や、パーソナリティとしての意識の変化を伺ってきました。

最初の2週間は、初心者のようなミスを連発

――産休、育休から戻って来て、「『COLORS』をお願い」と言われたときはどう思いましたか?

『COLORS』って、ベテランのしゃべり手がずーっとやってきていたんですね。ただ、私より先に産休・育休を取った女性アナウンサーがパーソナリティ陣に入っていたので、私なりの『COLORS』もありなのかなと思いました

でも、先輩たちのトークを聴いていると、自分には到底できない、生活に根ざした話のオンパレードで。独身時代は、「結婚したり出産したり、いろんな経験をしないと、メールの1通にコメントもできないぞ、私」とずっと思っていて。だけど、私も子どもを産んだし、母業も妻業もあるし、その中だったらできるのかなぁ……みたいなところからのスタートで すね。

――いざ、メインパーソナリティとなったときはいかがでした?

2016年12月に育児休暇から復帰して、2017年4月からの『COLORS』がラジオ・テレビともに産後初のレギュラーだったんです。しかも生放送なので、まず生放送の感覚を取り戻さなきゃいけなくて。最初はオープニングトークをして、曲紹介、ニューススタジオに振るっていう流れすらもたどたどしかったです(笑)。
毎時、時報に向かって決まった時間に締めなきゃいけないじゃないですか(※)。でも、その「時報に締める」こともトークに夢中になりすぎて抜けていて。
※時報に合わせるため、決まった時間になると強制的にCMが流れる

――勝手にバツッと切れる、みたいな(笑)。

そうなんです。本当に初心者みたいなことをして。最初の2週間ぐらいは、思い出したくもないです(笑)。

リスナーとの信頼関係を築きたい

――出産される前は、ご自身のことをお話しされないイメージがありましたが……。

基本的に局アナなので、「誰が私の話を聴いて面白いんだろう」という思いはずっと根底にあります。ただ、今は自分の話に共感できる人が増えたんじゃないかなぁとも思うので、自分の話をしているかもしれないですね。

――意識して変えたのですか?

うーん、番組で子どもの話をすることに対して、賛否両論あると思うんですよね。私もそこは悩みどころではあるんですけれども、実際に子どもを産んでみて、本当に大変なんですね。「子どもと一緒の幸せエピソード」といった内容だったら批判もあるかもしれないけど、「今日、朝からこんなことがあって」とか、そういう話だったら共感を呼ぶんじゃないかと思いました。
他のママ友ともしゃべるんですけど、例えば子供が犠牲になる事件とか、子どもに手を出してしまう人の気持ちもすごく分かるし……。もちろん、我が子に危害を加えることはないけれど、「あ、こうやってそういう道に進んでいってしまうんだな」って入り口は見えるんですよ。そういうニュースも見ますし、メンタルのバランスを崩す人も大勢いるし。これだけ多くの人が悩んでいるんだから、別に子どもの話はタブーではないんじゃないかなぁって。お母さんたちに「1人じゃないよ」と伝えられるかもと思ったので、意識的に子どもの話はしていて。
ただ、日々の生活の中で番組をやっているんで、8割から9割は子どもの話になってしまって。多すぎかなとは自分でも思うので、そのバランスを若干減らそうかなと。今後はどうなるか分からないですけど、塩梅を見ているところです。

――1年やってみて、意識が変わったということですか?

そうですね。実際、子育て中の方からもメールをもらって、「まさに同じ状況で分かります」って人もいますし、「自分の子育てしていた過去を思い出しました」というお便りも、年輩の方から頂きます。逆に、東日本大震災で子どもを失った方の中には、「子どもの話を聴くのが辛い」と感じる方がいらっしゃるのは頭の中にあります。
だから、「私は子どもの話をするスタンスでいますよ。日々、いろんな苦労をしながらマイクの前にいますよ」と、しっかり1年かけて話してきたんですね。それができた実感もあります。ただ、それで離れちゃった人もいるんじゃないかなとも思うので、その人たちにもう一度、聴いてもらえるようにしたいですね

――どうしても宮城と岩手、福島は、東日本大震災の被害が忘れられず、「子どもの話を聴くのが辛い」という方がいらっしゃいますよね。

それも事実だし、毎日大変で精神的にしんどいっていう人がいるのも本当だから、両方の人にちゃんと認められたら嬉しいですね。日々の信頼関係で「それだけじゃない」って分かっていれば、「子どもの話をされたからラジオを消そう」とはならないのではないかと思っています。「子どもの話を聴くのは辛いけど、このまま名久井ちゃんの番組を聴こうかな」と思ってもらえるだけの信頼を築こうと、心がけています。

日常のままマイクの前に座っている

――ラジオから声の聴こえる機会が多い方が、リスナーとの信頼関係は生まれやすいと思うのですが、今のレギュラーは週に1回の『COLORS』だけですよね。もうちょっとしゃべりたいな、とは思いませんか?

うーん、私の軸の1つは音楽なので、音楽番組はやりたいですが、自分で選曲をするというよりは、インタビュー番組をやりたいなと思っているんですね。アーティストにインタビューするのは、ぜひやりたいですね。

――番組を聴いていて、「お送りした曲は誰々の○○でした。さて……」とトークに行くのではなく、その後のメッセージに繋げられるようにしている、という印象を受けました。

昔、先輩から「その曲をなぜかけたかが分からないとダメだ」と言われたことがあって。自分が選んだ曲だったら「こういう気持ちだからかけた」とか、「この天気だからかけた」と、なるべく分かるようにしているので、もしかしたらそれが自然とトークに繋がっているのかもしれないですね。あえて意識してはいないですけど。

――『COLORS』では、どんな人たちをイメージしてしゃべっていますか?

子育てをしているお母さんや、仕事しながら職場で聴いている方、あとは掃除したり、夕飯の下ごしらえをしている人が聴いてださっていると思います。いろんなシーンが思い浮かびますね。「事務所で聴いています」とか、「今朝もビニールハウスで聴いています」とか、「子どもを送ってひと段落して、お茶を飲んでいます」とお便りをいただくので、それぞれのシーンがあるのかなという気がしますね。

――毎週のことなので難しいとは思いますが、どんなことを伝えたいですか?

前はしなかったんですが、今はネガティブなこともしゃべっています。前に思っていたのは、プライベートで私に何があったとしても、聴いている人には何も関係がない話なので、例えばものすごく辛いことがあったとしても、「番組では出してはいけないんだ」と思っていました。今は「しんどい」とか、「仕事がとても忙しくて疲れているんです」とか、そういうのも話しています。本当にそのまんまマイクの前に来る感じです。

――お忙しい中で、名久井さんにとって『COLORS』はどんな存在ですか?

「しんどい」とか「辛い」とかいえる場所があって良かったという感じですね(笑)。今は子どもが小さいので時短で働いていて、テレビのロケもほとんど行けないし、ラジオカーに乗っているわけでもないので、外に出る機会があんまりなくって。今、生活の中の小ネタは山ほど貯まっていきますけど、外に出ないと来ない情報とか、話せない内容もあるので。
『COLORS』のコーナーを通して知ることができるのは、自分もちょっと救われているというか、バランスが取りやすいかもしれないですね。

東日本大震災は今でも日常の中にある

――東北放送さんの放送エリア(※1)では、東日本大震災の爪痕がまだ色濃く残っていると思うのですが……

宮城では今も震災は特別ではなく、当たり前に日常にあるものなので、当たり前に意識をしているというか。例えば、私が担当する『COLORS』水曜日にはマラソンのコーナー(※2) があるので、津波被害の大きかった(宮城県亘理郡)山元町の大会を取り上げたときは、やっぱり被災地・宮城の中でも「山元の大会だ」って思いを持って紹介しました。熊本の大会を紹介したときは、被害の状況と、「今どうですか?」と尋ねたりしましたね。
以前に(福島県)相馬市の大会も取り上げたのですが、そのときは「震災の話をしますか? しませんか?」と尋ねたら「今回はしないでください」と言われたので、純粋に大会の話と相馬地域の話だけ聴きました。あえて触れないという意識の仕方も、もしかしたらあるのかもしれませんよね。触れる・触れないの判断も含めて、コーナーの中でとか、日々のお便りの中でとか、自然にできればいいのかな、と思っています。

――以前、別の媒体でお話を伺ったときに、「震災直後は気仙沼での経験を伝えることに意味があると思ったけど、今はどうなのか(※3)」とおっしゃっていたのが印象に残っているのですが。

私より大変な経験をしている人がいっぱいいますから、あえてあのときの話をすること はないですね。もちろん、「あの日、気仙沼にいたアナウンサー」であることは一生背負っていくんですけど、それを自分からいいたくないと思っています。「私、経験しました」とアピールするのはすごく嫌だし、そういう気持ちでもないです。しいていえば、私があの日、あの時、あの場所にいたことは、たぶん多くの視聴者がご存じのことだと思うので、話を聞くときに「あの日、気仙沼にいた名久井ちゃんにだったらしゃべってみようかな」という気持ちになるきっかけになるぐらいで十分ですね。あの話を自分からすることはないです、この先も。それを自分のキャラクターには絶対にしたくないので。

子どもが手を離れたら、話すことがあるか心配

――結婚・出産という自分の環境の変化によって、震災時の出来事の捉え方は変わりましたか?

震災が起きたのが7年前で私も若かったので、良くも悪くも根拠のない自信がいろいろあったといいますか……。ときどき思い出すのが、震災から間もない時期だと思うんですけど、閖上さいかい市場(※4)の美容室へ取材に行ったら、「ガレキの中からハサミが1本見つかって、それがきっかけで美容室を再開した」ってお話をしてくれたんですね。私も今になると、「お前にいわれたくないよ」と思うんですけど、「ハサミ1本の存在でここまで立ち上がった人がいます。私もラジオを聴いているあなたも、立ち上がれるのではないか」みたいな、そういう話までしたんです。ただリポートするだけではなくて、自分の見解を加えて。「立ち止まっていないで、きっかけを見つけて次に進もう」みたいなことを私は当時しゃべったんですけど、今思うとよくあんなことを言ったなぁ……と(苦笑)。

――いや、あのときは日本全体がそういう雰囲気でしたよ。

当時の空気が許してくれたならいいんですけど、あのときは私も独身で、仕事が終われば全部自分の時間で、フリーに暮らしていた人間が、何の人生経験もないままでよくあんなことをいったなぁと。だから、私は母親を病気で失っているんですけど、母の死と、自分の結婚、出産、仕事復帰を経て、「偉そうなことをしゃべってゴメンナサイ」みたいな後悔はあります。

――では、今後のことを。どんなしゃべり手になりたいですか?

うーん、そういうことを考えて仕事をしたことがないんですよね(笑)。もちろん今までお話ししたようなことを大事にしていますし、日々と日々の積み重ねで入社12年目になって、ひと回り下の後輩が入ってきたんですけど(笑)。
「こうなりたい」というよりは、今は子どもの話ができるけど、子どもがある程度大きくな って手を離れたら、自分に話すことがあるのかなっていう不安はありますけどね。日常を切り取ってラジオで話しているんですけど、その切り取る部分が残っているのかな……と。「自 分の話をするな」という考えもありますけど、どうしても自分の話も交えるじゃないですか。そうなったときに、「何かあるのかなぁ」と。

――以前から感じていたのですが、名久井さんは自己評価が厳しいですよね。自信がないというのか、我欲がないというのか。

「いや、局アナだし」みたいな。なぜなのかは自分でも分からないですけどね(笑)。

――名久井さんらしい締めになりました(笑)。ありがとうございました。

(※1)宮城県全域、岩手県中南部、秋田県の一部、山形県東部、福島県中東部

(※2)「麻利の走らにゃ、そんそん!」。全国各地で行われているマラソン大会の主催者や責任者に、特色や楽しみどころを聞く

(※3)東日本大震災発災時、名久井アナは「サンドのぼんやり~ぬ TV」のロケ中で気仙沼にいた。そのため、津波に襲われる街の様子を目の当たりにしている。震災発生から数日間、テレビ・ラジオでその様子を伝えていた

(※4)宮城県名取市にある市場。東日本大震災による津波に建物などすべてが飲み込まれたが、2012年2月4日に仮設店舗で再開された。現在は日曜日に朝市が行われている

番組概要

TBC ラジオで平日の午前中に放送されている、情報バラエティ。各曜日ごとにパーソナリティが変わり、五人五色の内容になっている。また、TBCラジオ伝統の番組『希望音楽会』も内包。他曜日の担当は月曜日:大久保悠アナウンサー、火曜日:六華亭遊花さん、木曜日:佐々木真奈美さん、金曜日:藤沢智子アナウンサーです。

■放送局:TBC ラジオ(東北放送)
■番組名『COLORS』
■放送日時:月曜日~金曜日 9時~12時(名久井麻利は水曜日を担当)

出演者プロフィール

名久井 麻利
1983年、岩手県出身。2006年に東北放送へアナウンサーとして入社。高校時代に留学経験があるため英語が得意。2014年に結婚。2015年に出産、2016年12月に産休・育休から復帰した。学生時代からのラジオ好きで、邦楽を中心とした音楽好き。

インタビュー・写真

田 拓臣
1979年、埼玉県生まれ。
中学校1年生からラジオを聴き始め、ずっと聴き続けていたら、ラジオ番組の紹介記事やしゃべり手のインタビューをして原稿を書くことが仕事になっていたフリー編集者/ライター。
自称・ラジオ解説者。
著書に「ラジオのすごい人たち~今こそ聴きたい34人のパーソナリティ」(2012年、アスペクト)がある。
一般社団法人日本放送作家協会理事
特定非営利活動法人放送批評懇談会正会員

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菅井友香、振付家TAKAHIROと当時の思い出を語る!

サントリー生ビールpresents『菅井友香の#今日も推しとがんばりき』のゲストにダンサー・振付家のTAKAHIROが登場し、菅井と出会った時の印象からグループ最後の楽曲「その日まで」についてまで菅井との思い出を語った。

-TAKAHIRO「菅井さんは不器用なんです」-

菅井とTAKAHIROの出会いは2016年。欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」の振り付けの時だったという。TAKAHIROは当時の菅井について、「菅井さんはいっぱい練習する子でした。いっぱい練習しましたね。『不協和音』の立ち方だけでとか、手の引っ張り方だけで、一時間ぐらいずっとやっていた」と当時のことを振り返った。

また、リスナーからの質問で菅井のグループ時代の最後の楽曲「その日まで」の振り付けにどんな意味を込めたのかについて問われたTAKAHIROは、「あの楽曲は全部が逆再生されるように作ってあったんですが、でも、過去のことだけではなく今の菅井さんが表現できることを大切に、前に進んでいけるように。菅井さんはいっぱい背負ってきましたので。だからそのリュックを一回置いて、ただただ走って風を感じられるように。そういう思いを込めて、振り付けをさせていただきました」と語った。

そんな「その日まで」はミュージックビデオの撮影中に釣りをしている人を待つために一時撮影が中断されることもあったという裏話も語ってくれた。

さらに、リスナーから菅井のパフォーマンスに関する裏話を聞かれたTAKAHIROは、「菅井さんは不器用なんです」と断言。しかし、その不器用さ故の長所があると語った。「不器用だけど、努力するという力を持っていた。感覚でみんながやれるところを努力で全部補おうとする。だから本当にその瞬間を任せたときに、ある程度までは要領のいい人が勝つんだけれども、そこから先の努力でもっと深めることができるから、ステージに立った時に誰よりも輝く瞬間がある」

菅井は、その様にやり遂げられたのはTAKAHIROの存在が大きかったと語り、「少年のような大人でずっと誰より近くにいてくださった」と当時TAKAHIROに感じていたことについて振り返った。

その他、「キミガイナイ」の振り付けについての話やTAKAHIROが櫻坂46の振り付けを考えるうえで一番大切にしていることなど、様々な話が語られた。そちらについては是非タイムフリーで

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