加藤浩次、佐久間Pにドラマ『GTO』出演辞退の真相を語る「正直じゃないというか、あれはかっこ悪い」

佐久間宣行さんがパーソナリティを務める、ニッポン放送『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』。9月9日(水)の放送は、極楽とんぼ・加藤浩次さんがゲストで登場! 佐久間さんが演出を担当した番組の思い出話、加藤さんの若手時代のエピソードで盛り上がりました。(ニッポン放送『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』9月9日(水)放送分)

佐久間演出『こちらササキ研究所』を振り返る

今回のゲスト、極楽とんぼ・加藤浩次さんは『スッキリ』(日本テレビ)の生放送を控えての出演となりました。加藤さんと15年ほどの付き合いになる佐久間さんは、若手時代に演出を担当した番組『極楽とんぼのこちらササキ研究所』(2006年、テレビ東京)にまつわるエピソードを語りました。

佐久間:僕と加藤さんの関係性でいうと、加藤さんと番組を始めた時に、加藤さんに育てられたスタッフ、作家の大井洋一とかオークラとかが『極楽とんぼのこちらササキ研究所』で一緒に入ってて。チーフが鈴木工務店さんだったの。

だから、そのチームに僕だけ入っていった時に、「佐久間、加藤浩次の事どんだけ知ってんだ」っていう空気があったのよ(笑)。要は、『極楽とんぼのバスコーンだろ!!』(テレビ朝日)チームがいる中で、僕だけ局員で演出に入ったから。

加藤:テレ朝で番組やってて、その作家陣だったからね。さらに言ったら、鈴木工務店は極楽とんぼの事、大好きだから。好き過ぎるの。

佐久間:好き過ぎるんですよ。

加藤:最近ちょっと鬱陶しいんだよ。

当時、『極楽とんぼの吠え魂』(2000年~06年、TBSラジオ)の放送前に企画書を持ち込んでいた佐久間さんは、加藤さんとも繋がりの深い放送作家・鈴木工務店さんによる"鈴木工務店ブロック"が凄かった事を明かしました。

佐久間:工務店さんに無理言って、「これ(企画書)持っていってもいいですか?」って言って。工務店さんが「こっちは見える、こっちは見えない」って言って、「ああ、わかりました」って持っていって。7割ぐらい合ってるんですけど、たまに工務店さんが「めちゃくちゃ見える」って企画を俺が自信満々で話したら、加藤さんにバンバンに穴突かれた時があって。その時に横を見ると、工務店さんは知らないふりするんですよ。

加藤:ふははは(笑)。そこ、ダメだね! そこを工務店は「いや、加藤さん。こういう事だから、これ僕は面白いと思いますよ」って、やっぱりそこはグッと防波堤にならないとダメだよね。

加藤、殺伐とした雰囲気の若手時代を語る

トークの話題は、加藤さんの若手時代の話に。「上の人がむっちゃくちゃ怖かった」と振り返る加藤さんは、レギュラー出演していた『殿様のフェロモン』(1993年~94年、フジテレビ)で、今田耕司さんの楽屋を訪れた時のエピソードを語りました。

加藤:楽屋に挨拶しに行ったら、真っ暗なわけ。俺、「いねえのかな?」と思って、(ドアを)パッと開けたら、真っ暗な中に今田さんが居るんだよ!

佐久間:ははは(笑)。始まる前に? あんな華やかな生放送が始まる前の?

加藤:そうよ! 楽屋真っ暗にして、胡坐かいて腕組んで目ぇ瞑ってんだよ、ずっと!

佐久間:はははは(笑)。殺し屋じゃないですか、もう(笑)。

加藤:ほんとよ! 人殺す前よ! そんだけ凄かったんだもん! もう、ピリピリしてるし、みんなもう「俺が行くぞ」って。んで、「俺が行くときに協力してくれよ。協力してくれたらお前が行った時にも協力するからな」みたいな。こう、何ていうのかな……。何だろうなあ……。反社的なノリだよね(笑)。

佐久間・スタッフ:はははは(笑)。

加藤:反社の良い部分、良い部分はねえか。反社には良い部分ない。

佐久間:要は、本当に『仁義なき戦い』的な。「ここ勝つぞ」っていうのと、あとは中山(秀征)さんがその時の……。

加藤:中和剤。

佐久間:対極のテレビタレントとしてトップの人みたいな感じな。

加藤:で、優しかったし。でも、芸人サイドはもうピリッピリ。だから、ナインティナインもよゐこも俺らも、一緒に何かやるかっていうか「自分が」みたいな。だから当時、何にも出来なかった覚えあるよ。何かやると怒られるし。

相方・山本の素顔「痛いとか努力とかするのを本当に嫌がる」

佐久間さんは、山本圭壱さんが『ササキ研究所』の収録で、プロレスラー・中西学さんから背中に受けたビンタの激痛に耐え切れず、楽屋に立てこもってしまったエピソードを明かし、加藤さんが補足する形で相方・山本さんの素顔について語りました。

加藤:あいつ、昔からあるの。痛いとか努力とかするのを本当に嫌がるの。あのキャラならやっぱりいじめられた方が面白いじゃない、山本さんは。それを1番嫌がるからやらせると、だから面白いっていうのがあるのよ。

佐久間:そうですね、本気があるからですね。嫌がりに。

加藤:嫌がりに「痛い、止めてくれ~」とかっていうのが嘘でおいしいと思ってたら、そのリアクションにならないわけよ。だからそこが面白さはあるんだけど、本当にあるの。

1回ね、番組でハンガリーに行った事があって。ジャグリングをやるって。ハンガリーって、なんかサーカスがメッカではないんだけど、吉本が大道芸人みたいなのをNGKに入れるみたいな、そこの視察みたいなのでそういう番組の企画になってて。山本がジャグリングを練習してハンガリーに行って、できるようになって本番に行くっていうのがあって。途中でね、あいつね、「もう無理だなあ……」って。

佐久間:「無理だなあ」(笑)。ハンガリーまで行ってるのに!?

加藤:「俺、もうジャグリング無理だなあ」。

佐久間:ジャグリング自体が無理(笑)。この技が無理とかじゃなくて?

加藤:「ジャグリング無理だよ」つって。いや、無理だじゃないんだよ。お前練習するしかねえだろって。今、ある時間一生懸命練習してな、本番で失敗するにはいいんだよって。ただ、今一生懸命やってるっていう時間が大事で、本番はどっちに転がってもいいからって言っても、「いやあ、無理無理無理」って。

佐久間:はははは(笑)。

山本さんの態度に頭に来てしまった加藤さんは、「お前の方が点数良かったら代わってやるよ」と、ダーツによる1本勝負を提案し、収録関係なしのガチンコ勝負に挑みます。

加藤:もう俺、気合入れてBULLぶち込んでやった。これは忘れもしないの、もう。

佐久間:BULLぶち込んで、山本さんに(笑)。

加藤:で、山本が「おい、やるよぉ……」とか言って(笑)。んで、実際にジャグリングをそこからまた練習して、本番に臨んだっていう。もう、そういうのがね、本当に嫌なの。だから、嫌ってなったらもう嫌なの。

佐久間:いや、わかります。だって俺、未だに憶えてるのが、『ササキ』の事件があって、その後番組を閉じる時に、加藤さんに最後に挨拶に行ったら、(加藤さんが)タバコを吸いながら、「佐久間くんさあ……。あの立てこもった山本を俺が本気で怒ってたら、何か変わってたと思う?」って。いや、「俺は変わらないよ」と思ってたけど(笑)。

加藤:がははは(笑)。うわあ~!

佐久間:加藤さん、なんか「あの時めちゃくちゃ説教してたら、山本のあの事件起きなかったんじゃないか」って、謎の後悔してましたよ!

加藤:そんな事言ってた!? だからもう、その時いろんな事を考えてたんだろうね。

ドラマ『GTO』出演辞退の真相

架空の番組企画書を募集するコーナー「企画書は、ラブレター…」で、リスナーからドラマ『GTO』(1998年、フジテレビ)の冴島龍二役での出演を断った事を後悔しているエピソードを弄られた加藤さん。出演依頼が来た当時の真相を語りました。

加藤:今だから正直に言うけど、自信がないから「やんねえよ」って言うのよ。

佐久間:ああ、わかります!

加藤:本当に。僕なんか小心者だし、自分に『GTO』の警官役をやれる自信がないから。でも、現場のマネージャーとかは年下だから「加藤さん、こんな話来てるんですけど」って言われた時に、「いや、俺自信ないから。ちょっと無理だわ、今」って言えなかったわけだよ、やっぱり。その当時っていうのは。お恥ずかしながら。

佐久間:結果、どういう言い方したんですか? マネージャーには。

加藤:「やんねえよ! 漫画だろう!!」って(笑)。

佐久間・スタッフ:はははは(笑)。

加藤:当時、漫画原作とか無かったわけ! 『GTO』は面白いのよ? 『GTO』は面白い漫画なんだけど、漫画をドラマ化っていうのは、「そりゃないだろう」っていう時代だったから。今みたいに漫画原作がドラマ化したら絶対に当たるみたいな時代じゃなかったから、それを言ったんだよね。だから本当にねえ、正直じゃないというか、あれはかっこ悪いね。

佐久間:あれ? その後、漫画原作のドラマをTBSで結構やってますよね?

加藤:そうだよ。そっから漫画だと思ったんだから。こっちは。

佐久間:はははは(笑)。

加藤:こっちはそれを断ってるから、「もう漫画だ」と思ってるんだから。「絶対漫画だよ」と思って。

佐久間:『クロサギ』、『ブラックジャックによろしく』。ははは……(笑)。「漫画だ! しまったー!」と思って(笑)。

加藤:やっぱり、漫画を断って大失敗したというのがあるからね。自分の中で。漫画に食いつく癖があるよね。

佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)
放送局:ニッポン放送
放送日時:毎週水曜 27時00分~28時30分
出演者:佐久間宣行(テレビ東京・プロデューサー)、ゲスト:加藤浩次(極楽とんぼ)
番組ホームページ
公式X

Twitterハッシュタグは「#佐久間宣行ANN0」

※放送情報は変更となる場合があります。

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自動車修理工場の女性社長が「自動販売機のハンバーガー」を開発

トラックなどのドライバーさんのなかには、昭和の頃は、よく幹線道路沿いにあった自動販売機のハンバーガーで、お腹を満たした経験がある方もいらっしゃることでしょう。じつは最近、令和版の「自動販売機のハンバーガー」がじわりじわりと増えているんです。今回は、この自動販売機のハンバーガーを手掛けている自動車修理工場の方のお話です。

ハンバーガー自販機と小林さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京・新宿から中央道の高速バス、または新幹線と飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで、およそ4時間の長野県飯田市に「ガレージいじりや」という自動車修理工場があります。敷地内には、トヨタ・パプリカ、マツダ・シャンテをはじめ、昭和の車がズラリ。しかも、工場の前にある懐かしい自動販売機コーナーが目を引きます。

お店の代表・小林由季さんは、埼玉県出身の41歳。小さい頃、ちょうどミニ四駆が大人気だったこともあって、クルマに興味を持ちました。19歳でオートマチック車限定の運転免許を取ると、街を颯爽と駆け抜けていった、白い「マツダ・RX7」に心躍ります。

『カッコいい!あのクルマに乗りたい!!』

そう思った小林さんは、知り合いの自動車関係者に相談すると、軽くあしらわれました。「RX7? アンタ、あのクルマ、マニュアルだし、ロータリーエンジンって知ってるの? 乗りたいなら、自分で自動車が整備出来ないと、まず無理だよ」

愛車のマツダ・シャンテと小林さん

マニュアルもロータリーエンジンも、全くチンプンカンプンだった小林さんですが、乗りたい思いが高まって、マニュアルで免許を取り直し、自動車整備士を目指します。男社会の自動車修理工場で、厳しい試練を乗り越えて、見事、整備士資格を取得。縁あって信州に移り住むと、趣味で借りたガレージで、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤへの履き替えを請け負ったことをきっかけに、2010年、自ら自動車修理工場を立ち上げました。

やがて、工場のスタッフが昭和43年製・スバル360の修復を成し遂げたことから、小林さんも古い車に興味を持ち、旧車が続々持ち込まれて、車雑誌にも注目されます。あれよあれよと、旧車好きならまず知らない人はいない工場に成長。小林さんは雑誌連載企画で、旧車でレトロな自動販売機巡りをすることになりました。

ところが、ここで小林さんは大変なことが起きていたことに気付くんです。

『大きな道路沿いにたくさんあったハンバーガーやうどん・そばの自動販売機コーナーがどんどん無くなっている……』

24時間営業のコンビニエンスストアが増えた一方で、自動販売機は経年劣化、オーナーさんの高齢化も進んで、自動販売機コーナーは次々と姿を消していたんです。そんな折、小林さんはお祖父さまを亡くしたことで、小さい頃、自動販売機のハンバーガーをなかなか買ってもらえなかった記憶がよみがえりました。

『あの思い出の、自動販売機のハンバーガーを残したい。ならば、ハンバーガーを作っている食品メーカーを助けよう!』

自動販売機コーナー

そうひらめいた小林さんは、さっそく自動販売機用のハンバーガーを仕入れます。自動車工場の前に冷蔵機能付きの自動販売機と電子レンジを設置して販売を始めると、ちょうどコロナ禍と重なったことで、テイクアウトのニーズをつかんで大繁盛。各地のレトロ自動販売機で売れたハンバーガーのおよそ4倍を1台で売り上げました。

小林さんはもうイケイケドンドン、自動販売機を増やして各地で大人気となりますが、あまりの売れ行きにハンバーガーメーカーのほうが悲鳴を上げてしまいます。安定した納品が出来ないので、もう勘弁してくれませんか、と言われてしまったのです。代わる製造業者も無く、困り果てた小林さん、思い切りました。

『ハンバーガーを作ってくれる会社が無いなら、自分の会社で作ってしまおう!』

もちろん、小林さんは自動車整備士ではありますが、食品の知識は全くゼロ。体当たりで、様々な食品製造に関する許可や食品衛生を、片っ端から学んでいきます。食品部門の「いじりやフードサービス」も立ち上げ、ハンバーガーを作ってみましたが、パンはパサつき、肉の脂は溶け出し、レタスなどの生野菜は安全性の面で使えません。しかも、自動車修理工場と食品工場の二刀流で、睡眠時間3時間の日々が続きました。

ふんわりバンズのチーズバーガー

それでも試行錯誤を繰り返し、味やソースにもこだわったチーズバーガーに辿り着いて、安定した製造、出荷も出来るようになりました。今は、全国で39台の自動販売機が元気に稼働中。自動車修理工場生まれの自動販売機とハンバーガーは、各地域で話題になっています。

「気合と根性でやってきました」と笑う小林さんですが、やりたいことはいっぱいです。

「レストランもやってみたいですし、クルマのテーマパークがあっても面白いですよね。ハンバーガー片手にみんなに巡ってもらって。夢は大きく持てば、きっと叶います!」

「RX7に乗りたい」から始まった小林さんの夢、今はまだ、その途中です。

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