牧達弥(go!go!vanillas)が語る10代のころ
FM802のPodcast番組『マイ・ティーンズ』。
「どんな10代をすごしていたのか」をキーの質問として、毎回1人のゲストを招いてトークを繰り広げます。
どんな学生生活だったか?どんなものに影響をうけたか?夢中になっていたことは?そのころから今の仕事にも通じている部分は?など、人となりやその人の人格形成の大事なパーツにせまります。
深町絵里と同じ学校に通っていた!? / 久しぶりに帰った大分で感じた変化 / 祖父母の家で過ごした日々 / 人見知りだけどスーパーアクティブだった幼少期 / 野球を習いたかったのに入れなかった小学生時代 / 中学でバスケ部に入った理由 / 強豪バスケ部で待っていた厳しい現実 /中学で辞めるはずが高校でもバスケ部へ / バスケで感じた限界と、自分の居場所探し / 周囲と違う自分を受け入れてくれた友人たち / バスケから音楽や芸術へ。高校時代に広がっていったカルチャーへの興味 / 「へそまがり」だった17歳 / 音楽好きの年上の人たちとの出会い / 大学受験を経て東京へ。地元を離れ、新しい環境に飛び込もうとした理由 / 18歳で初めての海外へ! 高校時代に出会ったアメリカ人の友人を訪ね、ラスベガスへ / ラスベガスで出会った20歳の青年、ジャスティン / ラスベガスでの出会いが、音楽への向き合い方を変えた / 解放感と好奇心にあふれた東京での新生活 / 東京でロックやカルチャーにどっぷり浸かった日々 / ジャスティンの何気ないひと言が作曲のスイッチに / ギターが弾きたかっただけなのに、作詞もボーカルも担当することに!? / 友達に自分の内面を見せるのは恥ずかしい / 大学のサークルにもなじめなかった!? / 「自分のために作った音楽」を誰かが応援してくれる不思議 / 10代の自分に言葉をかけるなら / 今の10代へのメッセージ
DJ : 深町絵里
GUEST : 牧達弥 (go!go!vanillas)
※放送情報は変更となる場合があります。
神田の演芸場創業者が死去「非常にショックを受けた」落語家・春風亭一蔵が思い出語る
落語家の春風亭一蔵がパーソナリティを務めるラジオ番組『春風亭一蔵 ラジオマガジンフライデー!』(文化放送・金曜日午前8〜11時30分)10月16日の放送では、パートナーの水谷加奈アナウンサーとともに、気になる様々なニュースについてトークを繰り広げた。
水谷「一蔵さんが気になったニュースは何でしょうか」
一蔵「朝日新聞さんの記事で『徳島県阿南市で6人制野球が「想定外の人気」 西日本大会へ発展』という」
水谷「6人?」
一蔵「そうなんです。つまりは外野の3人を取っ払った6人で野球やろうという」
水谷「はあ~」
一蔵「これ、子どもたちに野球離れが進んでいるところから、少人数でもできるよっていうのが最初の目的で。始めたところ非常に盛り上がっているという」
水谷「内野、6人でできるものなんですか?」
一蔵「ホームランゾーンをちょっと浅くして、ここまで飛んだらホームラン。そのホームランゾーンをワンバウンドで越えたら2ベースとかすれば、6人でも全然できますし」
水谷「へえ~」
一蔵「ちょっとセカンド・ショートが深く守れば、小学生とかだったらなかなかそこまで飛ばないから」
水谷「そっか」
一蔵「これはいいな。やっぱ9人集めるって大変。サッカーも11人集めるのが大変でフットサルとか始まってるわけだから、野球もこういう見方っていうのは非常に大事だなって。これ全国に広まってほしい。6人野球の小学生の全国大会とかあったら面白いなって。6年生の部とか5年生の部とか細かく分けてできたら面白い。ボク少年野球部育ちなんで」
水谷「…はい (笑)」
一蔵「なんで笑うの?」
水谷「ごめんなさい。ゴメンゴメン」
一蔵「橋戸少年野球部で鍛えられたこのボディですから」
水谷「そうね」
一蔵「ちゃんとやってたんですよ。そういう世代からすると、野球が廃れていくより、それがいろいろ広がったことによって野球離れを食い止めるのであれば、こういうのはどんどんやっていっていいなって思います」
水谷「はい」
一蔵「新しいものを作っていくでいうと、今週、非常にショックを受けたんですけれども、朝日新聞の記事で『らくごカフェ主宰の青木伸広さん死去 若手修行の場、武道館で公演も』ということで。知らないリスナー様にお伝えしておきますと、神保町というところでマックス40人キャパの、高座が出来上がっているカフェ。それを作ったのが今から十何年前、この青木さんという方で、我々、若手噺家は本当に世話になってて。というのは、フリースペースを借りて勉強会をやる場合ですね、高座を作ったり、受付を頼んだりと、結局お金がかかるんですよ。人を使わないといけない。それを、らくごカフェの従業員のユイちゃんが全て、電話予約までやってくれて。もう、体一つ、着物を持っていけば、勉強会ができちゃうというところを作ってくれたのがこの青木さん。ちなみにワタシは二ツ目時代に、こちらで112回、独演会やりました。毎月の、このネタ卸しの独演会があったからこそ、今の落語家としての生活があるといっても過言じゃない。もう、らくごカフェがなかったら正直、今の自分はないですし、青木さんはずっと古くからの落語ファンなんですけど、とにかく若手に「落語を盛り上げていこうよ」って、もう全然お客が入らなくてもやらせてくれたりしてた方だったんで。ちなみに、宮治・一蔵・伯山の3人会を初めてやったのはこの人です。これから来るよっていう3人っていうのに入ってたら、あっという間に2人が飛び抜けていったっていう例なんですけど(笑)」
水谷「これから飛び抜けますよ」
一蔵「でも、ずっと気にかけてくれて。立川談春師匠との縁を作ってくれたのもこの青木さん。もう青木さんにね、一言、本当に「ありがとう」と伝えたいですね」