藤井フミヤが「これがなければチェッカーズはなかった」と語る映画は?

J-WAVEで放送中の番組『SEIKO SOUND STORAGE』。この番組は、ミュージシャンやスポーツ選手など、各界で活躍するゲストがマンスリーで自らの音楽遍歴を語ります。7月はミュージシャンの藤井フミヤさんが登場。藤井さんは、7月10日(水)にニューアルバム『フジイロック』をリリースしました。

12日(金)のオンエアでは、子どもの頃に聴いていた音楽やチェッカーズ結成のきっかけとなったアーティストについて話しました。

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■矢沢永吉に大興奮だった青春時代

藤井さんは小学5〜6年生の頃、カセットレコーダーでFMラジオのランキング番組で音楽を聴いたり録音したりしていました。

藤井:井上陽水さん、吉田拓郎さん、小田和正さんのオフコースとか、だんだん歌謡曲から、フォークやニューミュージックにいくんですよね、ちょっとませた感じで。風の『22才の別れ』を聴いて「22歳ってどんな大人なんだろう」と思いましたけど、自分が22歳のときはガキンチョもいいところでしたけどね(笑)。

その後、中学生になり、ステレオを手に入れてレコードを聴けるようになったと言う藤井さん。最初に買ったのは、矢沢永吉さんが所属していたバンド・キャロルの日比谷野外大音楽堂での解散コンサートのライブレコードでした。藤井さんがバンドを組んだきっかけも、テレビで観たキャロルの解散コンサートだったそうです。

藤井:初めて動く永ちゃんを観て、ものすごく興奮しました。革ジャン、リーゼント、バイク、喧嘩、ロックンロールみたいな、少年の心は鷲掴みですよ。それで「ギターを買わなきゃ」って思ってバンドを組みました。

はじまりはロックンロールでした。「初めて買った洋楽レコードも、矢沢さんが憧れたThe Beatlesがリーゼントをしていた時代、ロックンロールを歌ったアルバム『With the Beatles』だった」と振り返ります。

そうして大きな影響を受けたキャロルの楽曲を、藤井さんはのちに、まるごとカバーしたアルバムをリリースすることになります。

藤井:全曲キャロルのカバーアルバム『MY CAROL』を出しました。これは全部イギリスで録音されていまして、ギターは土屋昌巳さん、ドラムは屋敷豪太さんだったんですけど、「当時、こういう音を出したかったんじゃないか」という音を作りました。同じように日比谷野外大音楽堂で全曲キャロルのライブをやって、キャロルがラストライブでやったカバー曲『Good Old Rock'n'Roll』とかも全部やりました。

そのとき、こんな嬉しいことが。

藤井:矢沢さんのファンが観に来てくれて、うちのファンと一緒になって歌って、その後、矢沢さんのファンとうちのファンが仲良くなりました。最初に怖かったのは、俺のライブなのに始まる前に永ちゃんコールが起きたんですよ(笑)。「どうなっちゃうんだろう」と思ったけれど、非常にウエルカムな感じでライブはうまくいきました。


■チェッカーズに影響を与えた映画

藤井さんは、中学生のときに文化祭のために「ポパイ」というバンドを組み、その後、高校の軽音楽部の先輩とバンド「カルコーク」を結成。出身地である福岡・久留米の街でダンスパーティーが流行ったことから、ロックンロールで踊るパーティーで月に2回ほど演奏していたそうです。

藤井:男の子も女の子も50'sのコスプレをして踊りに行くのが流行りました。カルコークのあとにチェッカーズを組むんですけど、ドゥーワップバンドとして確立していくんです。

チェッカーズに大きな影響を与えたのは、監督をジョージ・ルーカス、製作をフランシス・フォード・コッポラが務めた映画『アメリカン・グラフィティ』に登場する音楽でした。

藤井:50年代のハイスクールの話で、映画に出てくる音楽が聴いたことのないような音楽ばかりでした。当時の50年代アメリカではヒットチャートにのぼった曲ですが、全然知らない曲ばっかり。サントラ盤なんですけど、いわゆるドゥーワップグループの曲がいっぱい入っていて、「なんだこれ?」って感じで1曲1曲のグループを掘り下げて、チェッカーズはドゥーワップのカバーを始めるんです。『アメリカン・グラフィティ』がなかったらチェッカーズはなかったのではないかと思います。

次回、7月19日(金)の『SEIKO SOUND STORAGE』では、藤井さんが趣味やアートについて語ります。お楽しみに!

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【番組情報】
番組名:『SEIKO SOUND STORAGE』
放送日時:毎週金曜 24時−24時30分
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/soundstorage/

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研究者に転身の日テレ・桝太一アナ 「『最大の脅威』と羽鳥慎一さんが絶賛」と明かす橋下徹

元・大阪府知事で元・大阪市長の橋下徹氏が1月24日、ニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」に生出演。日本テレビを他社して研究者へ転身することを発表した桝太一アナウンサーについて、辛坊とともに語った。

【映画「竜とそばかすの姫」大ヒット御礼舞台挨拶】 司会を務める、日本テレビの桝太一アナウンサー =東京・日比谷 撮影日:2021年09月11日 ©産経新聞社

辛坊)(桝アナの日テレの)先輩で羽鳥(慎一)くんというのがいるのですよ。羽鳥くんは一緒に番組をやっていましたよね。

橋下)一緒にやっていました。

辛坊)親しいよね。あのクラスは、何というか、非常に性格がいい人が多いのですよ。フリーになる人はなんとなく性格悪そうなイメージがあるのだけれども、羽鳥も性格がいいし、桝くんは直接の接点はないのだけれど、噂を聞くといい人みたいですよ。

橋下)羽鳥さんが絶賛していて、何年か前なのですけれども「最大の脅威は桝さんだ」と羽鳥さんが言っていました。

辛坊)桝くんがうまいなと思うのは、日テレのいまの給与事情から見ると、あの年であれだけ頑張っている人が日テレの給料でやっているのは理不尽だなと思うので、たとえフリーになると言っても私などは応援したいと思うのです。でも世間の受け止め方は、なんか「金が欲しくてフリーになったのか?」みたいなイメージが付きまとうのですよ。ところが彼は助教。助教というと、一昔前でいう助手なのですね。研究者のヒエラルキーのなかでは一番底辺なのだけれども、そんなことは世間にはわからないわけです。そうすると「研究員になります」と言っても助教では絶対に食えないから、たぶんタレント活動を継続されると思うのです。そういう意味では、フリーでアナウンサーをやるということより、研究員になるのだという印象が先行するというこのやり方は、桝はすごいです。やはり。

橋下)いや、そんな腹黒いことは考えていないです(笑)。純粋に研究をしたいという。

橋下徹、増山さやかアナウンサー、辛坊治郎

橋下)でも、アナウンサーの人が独立してフリーになるという事情がなんとなく分かったのは、この間辛坊さんの読売テレビの後輩の女性アナウンサーが、私と古市(憲寿)さんのイベントの司会をやるということで挨拶しに来てくれたのです。以前だったらそういうイベント業のギャラというのは全部自分でもらってたいたのでしょう。だからそういうものは読売テレビに「辛坊ルール」というのがあるはずなので?、全部(ギャラを)自分で取れるのではないですか?と聞いたら、いまはできないと。

辛坊)もう全然。もうもうだいぶ前からですよ。だから私は会社を辞める直前ぐらいからものすごく厳しくなっていて、本もだめです。私が読売テレビ時代に出した本は、言っては何だけど、自分で書いていますから、印税はだいたい10%なのですよ。ところがそれ以降というか、いまは確か、本人に1%くらいで、全体の印税の9割くらいは会社が持っていきます。

橋下)結婚式の司会もだめなのですか。

辛坊)結婚式の司会などをやっている人はいないのではないかな。

橋下)いまは会社への届け出とか、そういうものが全部自分の○○と。辛坊さんの時代などは税金も払っていなかったでしょう(笑)?

辛坊)税金はフルで払っています。何てことを言うのだ! 自慢じゃないけれども、節税は一切やっていませんから。これは何回も言っていますけれども、US-2は買えないです。あれは150億円しますから。だけど小型飛行機3機ぐらい買えるだけの納税はしているから。

橋下)私は税務署ではないから大丈夫です(笑)

辛坊)本当だって。何てことを言うのだ!

増山)納税しているということです。

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