サザンオールスターズの名付け親が立ち上げたイベント「湘南ロックンロールセンター」とは?

40年以上の歳月を経て復活した、湘南エリアの音楽が一同に介するイベント「湘南ロックンロールセンター」が8月25日(日)、茅ヶ崎市・柳島スポーツ公園の総合競技場で開催される。イベントの歴史や、今年の見どころとは? 立ち上げ人である音楽研究家・宮治淳一、「湘南ロックンロールセンターAGAIN」のオーガナイザー・釈 順正、茅ヶ崎をベースに活動するHermann H.&The Pacemakersの岡本洋平に話を聞いた。

【8月8日(木)『STEP ONE』の「BEHIND THE SCENE」(ナビゲーター:サッシャ、増井なぎさ)】


■「サザンオールスターズ」命名の秘話

「湘南ロックンロールセンター」は、桑田佳祐と同級生である宮治が1970年代に行っていたイベントだ。昨年、サザンオールスターズのデビュー40周年を記念して復活した。

桑田と宮治は小中学校の同級生。高校は別々になったが、宮治は3年生のときに、桑田のバンドを自身が通う学校の文化祭に招いた。このときの感動が忘れられず、大学生になって、地元にこだわった音楽サークル「湘南ロックンロールセンター」をスタート。当時は地元にライブハウスなどがなかったため、公民館などを借りて、楽器やアンプを持ち寄って活動をしていた。

ちなみに、サザンオールスターズというバンド名は宮治が命名したのだと言う。

宮治:彼が大学で新しいバンドを作ったのですが、名前を訊くと「ない」と。でも、(出演してもらうイベントの)ポスターを作らないといけないので「何月何日までに教えてくれ」と言ったんですけど、それまで連絡がつかない。しかたがないので勝手に決めて、本人に「今日はこういうバンド名だから」と言ったら「そうなの。じゃあ、それで出るわ」と。それが40何年続いてるんです。自分がでっち上げたバンド名を、未だに使っているというのは幸せですよ。

ちなみに、サザンオールスターズという名前は、当時よく聴いていたというNeil Youngの『Southern Man』と、サルサバンド・Fania All Starsを組み合わせたものだそうだ。


■サークルのライブとして始まったイベント

茅ヶ崎や湘南の風土ついて宮治は、「藤沢と平塚に挟まれた畑しかないようなところに、東京の人が別荘を作って発達した。自由な土地柄で、これという音楽のスタイルはないけれど、勝手気ままにやりたいことをやるのが茅ヶ崎・湘南サウンドだと思う」と語った。

茅ヶ崎をベースに活動する岡本は、「湘南の音楽よりも暮らし方に影響を受けます。来るものは拒まず、去るものは追わず。みんなあんまり気にしないんです」とのこと。宮治も「3日住めばみんなその土地の人になる」と語った。


■「湘南ロックンロールセンターAGAIN」の魅力

「湘南ロックンロールセンター」は当初、桑田のバンドをはじめ、大学生のアマチュアバンドを中心に様々な音楽性のバンドが5組ほど集まるイベントだった。そのイベントが時を経て昨年、「湘南ロックンロールセンターAGAIN」として復活。

きっかけは、2年前にオーガナイザーの釈が宮治主演の映画『茅ヶ崎物語 〜MY LITTLE HOMETOWN〜』を観たことだった。「こんなにひとつの地方の音楽に注目した映画はない」と思った釈は、本業の学者として歴史学の観点からこの映画を補強して広めようと考え、映画のパンフレットの制作を始めた。そこに、宮治が営むカフェ「BRANDIN」の20周年とサザンオールスターズのデビュー40周年が重なり、2018年に「湘南ロックンロールセンターAGAIN」が始動した。

「湘南ロックンロールセンターAGAIN2019 〜50年目の夏〜」では、地元のフードも楽しめて、飛び入りで参加できるコンテスト、加山雄三や桑田佳祐など、ゆかりのあるアーティストのファンが集まるブースもあるという。出演アーティストは、ブレッド&バターやCARAVANと岡本の一度限りのデュオ、ザ・サーフコースターズなどだ。

最後に宮治が「休んでいた休火山がいきなり爆発するのを見届けられるのは嬉しい」と語った、「湘南ロックンロールセンターAGAIN2019 〜50年目の夏〜」。ぜひ足を運んでみてほしい。

【番組情報】
番組名:『STEP ONE』
放送日時:月・火・水・木曜 9時−13時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/stepone/

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戦後81年でつくっていきたい「新しい戦後」

大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日11時30分~15時)、10月15日の放送に評論家で近現代史研究者の辻田真佐憲が出演。10月16日に発売となる著書『「戦後」とは何だったのか 未来を変える日本現代史』にちなみ、「戦後」とは何なのか、人々はそれにどう向き合えばいいか、解説を展開した。

大竹まこと「難しそうな本(10月16日発売『「戦後」とは何だったのか 未来を変える日本現代史』)ですけど、そんなことないんですか?」

辻田真佐憲「ないと思います(笑)。昨年が戦後80年ということで『「あの戦争」は何だったのか』という本を出しまして。これが電子を含めて11万部、行った感じで。80年でひと区切りがついて、今年で81年。戦前が77年でした、明治維新から敗戦まで。もう戦後のほうが長いんです。長いほうの戦後は学校の教科書でもそれほど扱っていない、意外と『これ1冊!』みたいな本がなかった。それに合わせて今年は“戦後とは何だったのか”と。タイトルも重ねてきました」

大竹「日本情勢や世界情勢、国会など、すべてが混乱しているように見えます。どの辺から手をつければ、新しい戦後みたいなことに近づいていくんでしょうか」

辻田「時代の切れ目が来ている、というふうに考えるべきでは、と。戦後ってずっとダラダラと続いている、というイメージがあると思うんですね。敗戦のとき、焼け野原になってすべてが失われた。8月になる度に強調されます。でもその結果、あの印象が強すぎて、それ以降に大きな変化がなかった、という印象が強くなった気がする。1945年の8月が悲惨だったことは事実です。ただそれ以降もいろいろな切れ目があったはずだと」

大竹「うん」

辻田「戦後の切れ目は認めたうえで、これまでの平和を、どういうふうに現代に対応させて維持していくか、と考え方を変えていくほうがいいのでは、と。そう思って『新しい戦後』という言い方をしたんですね」

青木理「タモリさんが数年前に『新しい戦前が来るんじゃないか』といったことをおっしゃって。僕も含め多くの人が、なんとなしに頷いたところはある。新しい戦前にしないために、新しい戦後を考察してつくりあげていかなくてはならない、ということでしょうか」

辻田「いまの我々って戦前か戦後かという二者択一になっていると思うんです。戦後を否定すると『戦前に戻ろうとしている』『戦前回帰なんだ』という批判が起こる。当たり前ですけど我々の世界は戦前か戦後かの二者択一ではない。別の選択肢だってあるはずで。たとえば戦後、中国は相対的に経済力も軍事力も弱かった、冷戦構造のもとでアメリカが日本に配慮してくれたなど。いろいろな条件があって戦後の平和や経済平和があったと思う」

大竹「うん」

辻田「でもその条件ってほとんど変わってしまっているわけです。中国は日本の遥かに先を行っています、冷戦も終わっています、と。アメリカは日本に様々な要求をしてくる。時代が変わっていることをまず認める必要があるのでしょう。でもそれは戦前に戻ろう、ということではない。戦後の良い部分がたくさんあったはずです」

大竹「はい」

辻田「変わったいまの環境の中で、どう守っていくのか、育てていくのか、発展させるのか。こういう観点が必要だと思うので、後ろ向きの『新しい戦前』よりも『新しい戦後』を今後、積極的につくっていこう、と。そういうメッセージを、今回の本には込めました」

このあとも「戦後」について辻田が語った。

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