ラジオ放送100年!太宰治にも、ラジオが主役の作品があった!名物番組「街頭録音」がひとりの男の妄想を駆り立てた。そして、男はとんでもない結論にたどりつく。
3月13日(木)放送のラジオ日本『わたしの図書室』で紹介するのは、太宰治の「家庭の幸福」。1948年(昭和23年)、太宰治の死後に発表された小説である。朗読は声優界の最長老・羽佐間道夫。
【ラジオ放送100年】
1925年(大正14年)3月22日、日本で初めてラジオ放送が開始された。アメリカで世界初の商業放送が行われたのは、その5年前の1920年のこと。以来、日本の逓信省は先駆的なアメリカや欧州諸国の放送事情などを調査・検討していたが、1923年に大きな犠牲者を出した関東大震災を経験し、情報伝達の手段としてのラジオ放送の重要性が高まり、日本での放送開始が急がれることになったという。
日本初の放送は、東京放送局(現在のNHK)により、東京・芝浦の東京高等工芸学校の図書館の建物から行われた。
その第一声は京田武男アナウンサーの「アーアー、聞こえますか。……JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります」だった。
【太宰治の「家庭の幸福」】
酒も飲めばタバコも吸う。借金もする。そんな自堕落な小説家の主人公が、二、三夜、家をあけて遊びまわった末に、帰宅してガラリと玄関を開けてみると、茶の間に真新しい「ラジオ受信機」が鎮座ましましていた!自分の留守中に妻と子供らが、出版社から届けられた原稿料を使って買ってきたものとか。ブツブツ…遊んできた手前、文句も言えない。クソっ、ラジオなんか聞くもんか!しかし、ある日、小説家は病気で寝込んだ折、一日中、つけっぱなしのラジオを聞いていたところ、実に興味深い番組を放送しているではないか。役人と民衆が街角で意見を闘わせる「街頭録音」なる番組だ。怒り、つめ寄る民衆に、役人は「いや、ごもっともながらそこを何とか」「そこはよく心掛けているつもり」など、まるで答えにならない言葉を連発するだけ。「こんなヘラヘラ笑いの役人ならば、オレは絶対、税金なんか払わないぞ!」と、ついに小説家は逆上した。そして、床の中で小説家的やけくその妄想がふくらんでいく。人生の勝ち組とは誰なんだ? 負け組はその犠牲者か?いったい、世の中の諸悪のもとは何なんだ!!そして、太宰治らしい飛躍しきった妄想の爆発で物語は終わる。
【太宰治と「家庭」】
作家・太宰治は、妻子がある身でありながら、「斜陽」のモデルである太田静子との間に一児をもうけた。そして、ついには愛人の山崎富栄と玉川上水で入水自殺を遂げる。そんなイメージから、太宰が家庭人として失格だったのではないかと思われがちだが、最晩年の作品「桜桃」の中で、太宰は「自分の家庭は大事だと思っている」と書いている。また、「薄明」という作品では、戦時中、空襲の被害に遭った三鷹の家を出て、一家で故郷へ逃げ帰る様子が克明に描かれていて、太宰の意外なほどの子煩悩さが垣間見られる。家庭が大事、だけどオレは遊ばなくてはならない男なのだ…この矛盾、このジレンマ、この自分勝手な理屈。それが、太宰治という作家だったのでは?
- わたしの図書室
- 放送局:ラジオ日本
- 放送日時:毎週木曜 23時30分~24時00分
- 出演者:羽佐間道夫
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※放送情報は変更となる場合があります。