「歌手にはさせません」まさかの展開を乗り越えた鹿取洋子、波乱万丈のデビュー秘話
8/27(木)放送のラジオ日本『加藤裕介の横浜ポップJ』に、1980年デビューの鹿取洋子が初登場。活動を再開し、9月には40数年ぶりにライブのステージに立つ鹿取が、歌手デビューまでの波乱万丈な道のりを振り返った。
愛知県出身の鹿取は、幼い頃から歌手に憧れ、テレビで「スター誕生!」を見ては「なりたい」と思っていたという。小学校5、6年生の頃には愛知県の子ども向けの歌番組に出演して優勝。近所の人から「将来は歌手だね」と言われたことが、芸能界を意識するきっかけになった。
高校1年生の夏休み前には学校を辞め、歌手を目指して東京へ。音楽学校に入る際には、父親に「私が不良になってもいいか、それとも音楽学校に入れてくれるか、どっちか決めて」と迫ったという。父親はその言葉を受け入れ、鹿取は音楽学校でレッスンを始める。
しかし、東京で待っていたのは思いもよらない展開だった。
イベント出演をきっかけにレコード会社からスカウトされ、念願のデビューが決まったかと思いきや、入った事務所は役者中心の事務所。レコード会社との間でトラブルが起こり、歌手としてのデビュー話が消滅してしまう。さらに事務所からは「あなたは歌手にはさせません。女優になってもらいます」と告げられた。
「話が違いすぎて」と事務所を辞めた鹿取。そんな鹿取を救ったのが、偶然の再会だった。六本木で川島なお美をスカウトしたマネージャーとばったり遭遇。事情を話すと「じゃあ、うちに来いよ」と声をかけられ、川島の事務所で電話番をすることに。さらに別の事務所でアルバイトを始め、芸能界の仕事を身近で経験していった。
そして、ここでも思わぬチャンスが訪れる。ピンク・レディーの後継者オーディションの話を聞き、事務所の社長から応募を勧められた鹿取。歌も聴かれないまま第一面接を通過し、最終的にオーディションに合格。念願の歌手デビューへとつながった。
デビュー曲「ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ」も、当初鹿取が思い描いていたアイドル像とは異なるものだった。スタッフから「声がアイドルじゃない」と言われ、当時166センチあった身長も「アイドルとしては高い」と見られていた鹿取。それでも、その個性を生かしてデビューを果たした。
歌手を目指して上京した少女を待っていたのは、挫折と偶然の連続。鹿取は「結果ラッキーだった」と笑うが、その“ラッキー”の一つ一つをつかんできたことこそ、1980年デビューを実現させた原動力だったのかもしれない。
ほかにも、野口五郎とのテレビ番組でのエピソードや、芸能界の運動会・水泳大会、アニメソングを歌った際の思い出など、鹿取ならではの興味深いエピソードが次々と飛び出し、トークは大いに盛り上がった。詳しくはradikoニュースで!
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