あの歌声が令和に蘇る 越路吹雪を敬愛するシャンソン歌手の“追っかけ魂”が実を結ぶ

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

ソワレさんは、河合奈保子のアルバムの解説もしています

高円寺の“お坊ちゃん”だったというソワレさん。小学校に入る前から、新宿が“遊び場”だったそうです。小学生になると、アイドル歌手・河合奈保子さんの“追っかけ”になり、「レッツゴーヤング」(1974~1986年 NHK総合)、「カックラキン大放送!!」(1975~1986年 日本テレビ系)、「8時だョ!全員集合」(1969~1985年 TBSテレビ系)、「ザ・トップテン」(1981~1986年)など、公開収録には、目を血走らせて、応援に出かけていきました。

新宿ゴールデン街の「ソワレ」店内 落書きだらけの壁にソワレさんの若き日のポスター

そんなソワレさんが19歳のとき……、河合奈保子さんが出演する音楽番組「ミュージックフェア」(1964年~ フジテレビ系)を見ていると、「この人、誰なの?」と見たこともない歌手が番組テーマで特集されていました。ところが、歌を聴いて雷に打たれたような衝撃だったとソワレさんは振り返ります。

「あの化粧、あの衣装、そしてあの歌声……、いまで言えば、元祖・ドラァグクイーンですよ。こんなにカッコいい日本人がいたんだと驚きましたね」

その歌手こそ、「コーちゃん」の愛称で親しまれた、越路吹雪さんです。1924年(大正13年)に生まれて、今年、生誕100年を迎えました。宝塚歌劇団の男役スターとして、戦中から戦後にかけて活躍し、退団後も、映画やミュージカルで一世を風靡……。特にシャンソンでは作詞・翻訳家の岩谷時子さんとともに「愛の讃歌」「サン・トワ・マミー」「ろくでなし」など、数多くの名曲をヒットさせ、日本シャンソン界の“女王”と呼ばれました。

ソワレさんが知ったとき、越路さんはこの世にいませんでした。それでも“追っかけ魂”に火がつき、レコードを買い集め、MD(ミニディスク)に落として毎日聴いて歌を覚えました。それがシャンソンとの出会いでした。

「越路さんとキーが同じだったので、どんどん歌に引き込まれましたね。レコードを聴き比べると1966年、日生劇場のリサイタルが特に素晴らしいんです。こんな大スターがいたことを、いまの若い人たちにもっと知って欲しいんです」

新宿ゴールデン街は外国人観光客の人気スポットに

時代は、昭和から、平成、令和と移り変わり、越路吹雪さんとともに過ごした人が、段々と少なくなっています。今では、日本でいちばん越路さんに詳しいと言われているソワレさん……どれだけ詳しいかといいますと、何年に、どのステージに立ち、どんな衣装で、何を歌ったか……、また、インタビューに、どう答えたか、シングルのB面の曲名も、すべて頭の中に入っています。

現在、早稲田大学演劇博物館で、『生誕100年 越路吹雪衣装展』が開かれています。期間は8月4日まで。入場無料です。舞台衣装にも大変こだわった越路吹雪さんは、そのほとんどが、ニナ・リッチとイヴ・サン・ローランのオートクチュールだったそうです。越路さんの情熱が今でも伝わってくる『衣装展』でも、ソワレさんが協力をされています。

新宿ゴールデン街のお店「ソワレ」

シャンソン歌手のほか、新宿ゴールデン街や新宿二丁目のお店、東新宿のライブハウスのオーナーであり、イベントのプロデューサーの顔もお持ちです。そんなソワレさんですが、コロナ禍のとき、お店は自粛となり、ライブハウスは全てキャンセルに。好きで始めたお店ですが、もう閉じてしまおうか……、心が折れそうになったとき、ソワレさんは、心に誓います。「自分の好きなことだけ、これからやっていこう」と。好きなこと……、それは、もちろん越路吹雪さんのことです。

「生前、越路さんは『後世にものを遺したくないの』とおっしゃっていたんですが、私って、根っからの“追っかけ”なので、天国の越路さんに許してもらえるかな、と思って、『越路吹雪 生誕100周年プロジェクト』を立ち上げたんですよ」

CD-BOX『越路吹雪リサイタル 1965~1969』(2024年6月12日発売)のジャケット

その第一弾が、デジタル化されていないリサイタルのLPレコードをCD-BOXとしてリリースすることでした。これが間もなく実現します。

「越路さんと出会って、『人生に1つも無駄はない、何をしても前向きに興味のあることは、何でもやってみよう』ということを教えられましたね。

私の夢は、越路さんのホームグラウンド“日生劇場”でリサイタルを開くこと……その檜舞台を踏んだら、越路さんに会えそうな気がするんです」

ソワレさんが憧れる越路さんの言葉を最後にご紹介します。それは……「いっぱい恋をしたし、おいしいものを食べたし、歌も歌ったし、もういいわ……」。そう言って、静かに息を引き取ったそうです。

CD-BOX『越路吹雪リサイタル 1965~1969』の見本を手にするソワレさん

1980年(昭和55年)、56歳という若さで亡くなった越路吹雪さん……ソワレさんによって、令和のいまに、その歌声が蘇ります。

上柳昌彦 あさぼらけ
放送局:ニッポン放送
放送日時:2024年5月1日 水曜日 5時00分~6時00分
公式Twitter

※該当回の聴取期間は終了しました。

クルマだけではない「100年に一度の大変革」 保険の世界では?

「報道部畑中デスクの独り言」(第368回)

ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。日本の自動車保険の「100年に一度の大変革」について—

あいおいニッセイ同和損保本社(東京・恵比寿)

大型連休、今年は前半3連休、後半4連休と……いかがお過ごしでしょうか? 連休中の移動手段はクルマという方も多いと思います。

自動車業界は「100年に一度の大変革」というフレーズがすっかり定着しました。中でもその象徴とされているのはCASEの四文字です。すなわち、C=Connected(コネクテッド)、A=Autonomous(自動運転)、S=Shared&Services(シェアリング&サービス)、E=Electric(電動化)です。これまでも小欄ではクルマの世界、このCASEについても多面的にお伝えしてきましたが、今回は少し視点を変えて「保険」という角度から掘り下げます。

世の中には保険と言われるものは数多くありますが、このうち、自動車保険が日本で誕生したのはいまから110年前の1914年、東京海上保険(現・東京海上日動火災保険)が始めたといわれています。その公式サイトによりますと、当時、日本には1000台ほどしかクルマはなく、ほとんどが欧米のもの。ちなみに国産のクルマが初めて製造されたのは1904年、当時の世相が理解いただけると思います。
クルマが超ぜいたく品だった時代、東京海上は1914年に海上保険に加えて、自動車保険・運送保険・火災保険の分野に進出しました。これらは海上保険=船の保険ではないという意味で「ノンマリン保険」と呼ばれていたそうです。

戦後、経済成長に伴い、クルマも普及してきました。それとともに交通事故も増えてきました。事故で亡くなる方も多く、「交通戦争」という言葉もありました。こうした中で1955年には自動車損害賠償保障法が制定され、現在の自動車損害賠償責任保険=自賠責保険ができたわけです。交通事故の被害者、遺族が最低限の補償を得られるという目的で設けられ、公道=公共の道路を運転する時、加入が義務付けられています。ちなみに1955年はトヨタ自動車から初代クラウンが発売された年です。

ただ、自賠責保険では物損事故や加害者への補償はありません。また、被害者への補償額が自賠責保険の上限を超えることもあり得ます。これらを補完する形で設けられているのが任意保険です。クルマを運転する時は、強制加入の自賠責保険に、任意保険への加入がほぼ常識になっています。モータリゼーションが発達しても、交通事故は起きますし、いつ自らの身に降りかかってくるかわかりません。まさに「転ばぬ先の杖」というわけです。

損害保険業界、去年はビッグモーターの不正などで大きく揺れた一年でしたが、そんな中でも、保険の進化は続いています。

テレマティクス保険のテスト車両

「急加速が増えています。ご注意ください」

「テレマティクス保険(以下 テレマ保険)」では、クルマの運転で急加速や急減速が目立つとこのような警告のメッセージが流れます。このテレマ保険、従来の保険に通信機能を持たせることで新たな可能性を広げていこうというものです。急加速、急減速など走行データによって運転傾向を分析、「安全運転スコア」をつくり、保険料の割引につなげていきます。

クルマにもパッシプ・セーフティ(衝突安全)とアクティブ・セーフティ(予防安全)という概念があります。衝撃安全ボディ、シートベルト、エアバッグのような衝突後に被害を最小限にするのがパッシブ・セーフティ、衝突被害軽減ブレーキや車線逸脱防止支援システムのような、事故を未然に防ぐものがアクティブ・セーフティです。スコアによって、安全運転を促し、事故を未然に防ぐ…テレマ保険は通常の保険にアクティブ・セーフティの要素が加わったものと言えるでしょう。

ちなみに、テレマティクスとはテレコミュニケーション(遠距離電気通信)とインフォマティクス(情報システム分野)の造語です。開発したあいおいニッセイ同和損害保険自動車保険部の鈴木厚裕テレマティクス開発グループ長は「走行データに基づいて安全・安心に役立つサービスを提供して、安全運転を促進する。それによって事故を未然に防止する。“事故を起こさせない保険”だ」と語ります。

「見守るクルマの保険」と名付けられたテレマ保険、その原型は2004年に始めた実走行距離連動型保険「PAYD(ペイド)」にさかのぼります。2015年にはイギリスのテレマ保険最大手のITB社を買収。開発の知見を積み重ねていきます。

「テスト用の車両で何度もテスト走行したり、運転感覚と実際のスコアが合っているの検証しながら開発した。世界中の走行データを取得した」(鈴木グループ長)

走行データは昨年(2023年)末の時点で、実に地球414万周に上ります。当初は車載用の専用通信機を使っていましたが、現在はドライブレコーダー、そして今年に入ってスマートフォンでナビゲーション機能と連動して対応できるようになりました。

スマホには「加速度センサー」というものがついています。スマホの動き……机の上にあるのか?手に持っているのか? ポケットにいれて歩いているのか?……これらを検知できるのは、加速度センサーのなせる業です。例えば、スマホについている歩数計は、これを応用したものです。同様にスマホホルダーでテレマ保険のスマホをクルマに取り付けておけば、急加速や急減速の動きも検出できるというわけです。

ドライブレコーダーのテレマティクス保険の画面

このテレマ保険、あいおいニッセイ同和損保によれば、昨年末までの保険保有台数は約190万台に上ります。そこで得られる膨大な走行データ、いわゆる「ビッグデータ」は保険としての利用にとどまりません。そこにはまさに自動車のCASEの世界を広げる可能性があります。例えばこんな取り組みです。

・急ブレーキなどの発生頻度を地図にプロット、保育園児の散歩コースの危険度を示すデータとする
・警察が公開している交通事故の発生場所とデータを連動させた「交通安全マップ」作成
・運転中の上下の振動データを異常個所と推定し、道路整備に役立てる

さらに、先月(3月)からはトヨタと共同で、燃費のデータから安全運転による二酸化炭素の排出量を計算して、温室効果ガス削減にもつなげる取り組みも始まっています。

そして、自動運転への期待も高まっています。自動運転走行中の運転の保険料を無料化するなどの対応です。それは将来、保険の形をも変えていく……そんな可能性も秘めていると言えます。

「クルマはこれから必ず自動化に進んでいく。自動車保険のあるべき姿も大きく変わるかもしれないということも論議している。人がクルマを運転しなくなるとどこにリスクがある?これは自動車保険なのか?大きな論議になっていくだろう」(鈴木グループ長)

日本の損害保険業界は、かつては外資の新規参入が厳しく制限され、国から手厚く保護されていました。いわゆる「護送船団方式」です。これにより、自動車の保険料も各社ほぼ一律の時代が長らく続いていましたが、1996年に保険業法が改正されて保険の自由化が実現し、その後、外資を巻き込み様々な保険商品が生まれました。その世界はまさに様変わりしています。

今回お伝えした「テレマティクス保険」。海外ではハイブリッドカーで電気モーターのみで走っている割合が高いほど保険料の割引がある、そんな商品も出ています。コネクテッド、自動運転、シェアリングにも大きく関わってくるテレマ保険ですが、大きな視点で見た発展のカギは、やはり、土台となるビッグデータをどれだけ集め、活用できるかにかかっていると思います。

自動車保険誕生から110年、「100年に一度の大変革」といわれる自動車本体に勝るとも劣らない地殻変動が起こっています。

(了)

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