Aぇ! groupのラジオ番組『Aぇ! groupのMBSヤングタウン』

Aぇ! groupが出演するレギュラーラジオ番組、MBSラジオ『Aぇ! groupのMBSヤングタウン』の魅力についてご紹介します。

2024年5月15日CDデビュー!アイドルグループ・Aぇ! group

Aぇ! groupは、2019年2月18日結成。メンバーは正門良規さん、末澤誠也さん、草間リチャード敬太さん、小島健さん、佐野晶哉さんで、全員が関西出身の5人組グループです。歌やダンスだけでなく、トーク力、バンド演奏も可能なスキルの高さを武器に、バラエティ番組やクイズ番組など、個人活動の幅を広く、様々なジャンルで活躍しています。

2022年に初めて単独アリーナ公演を開催。結成5周年を迎え、2024年3月16日に単独で初となる京セラドーム大阪公演を行い、その場で5月15日に「《A》BEGINNING」でCDデビューすることが発表されました。5月25日からは、全国8都市全34公演で約40万人規模を動員予定のアリーナツアーが予定されています。

Aぇ! groupのレギュラー番組:MBSラジオ『Aぇ! groupのMBSヤングタウン』

『Aぇ! groupのMBSヤングタウン』は、毎週水曜にMBSラジオで放送されているAぇ! groupのレギュラー番組、通称『Aぇヤンタン 』。

『MBSヤングタウン』は、2021年10月に月曜〜木曜にレギュラー放送がスタート。元々は、1967年から50年以上にわたり『ヤンタン』の愛称で親しまれていた帯番組で、1999年9月を最後に帯番組として終了し、毎週金曜~日曜までの3日間放送されていました。Aぇ! groupは、『MBSヤングタウン』が復活したタイミングから毎週水曜日を担当。グループとして初のレギュラーラジオの挑戦となりました。毎週メンバー2名が登場し、誰が出演するかは放送までのお楽しみで、毎回トークに華を咲かせています。

Aぇ! groupのMBSヤングタウン
放送局:MBSラジオ
放送日時:毎週水曜 22時00分~23時30分
出演者:Aぇ! group
番組ホームページ
公式X

ハッシュタグ「#Aぇヤンタン」

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※放送情報は変更となる場合があります。

『Aぇヤンタン』コーナー紹介

◾️ヤングタウンの名物コーナーが復活!「ハッピートゥデイ」
今日あった嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと、楽しかったことなどを募集。

◾️雑学の内容によってはメンバーが挑戦するパターンも!?「Aぇ!? 知らんかった!大発見のコーナー」
まだまだ若くて知らないことも多いAぇ! groupのメンバーに、ぜひ知っておいてほしい雑学やあるあるネタを募集。紹介したネタはメンバーが「大発見」「中発見」「小発見」で評価します。

◾️誰からのメッセージかはメンバーも放送まで知らない「Aぇ!何してんの?深夜の留守番電話」
Aぇ! groupにゆかりのある人や、お世話になった芸人さんたちが「Aぇ! group」に関する メッセージやタレコミを留守番電話で暴露!?

◾️「今月のAぇとこ!あかんとこ!?」
月末にその月メンバーが発した名(迷?)言を集めて放送するコーナー。「何であの時こんなボケしたん?」、「あの言葉は胸に響きました…」など、リスナーからの報告を募集。

『Aぇヤンタン』×JR東海のコラボ『東海道新幹線からAぇ旅始まるスペシャルトーク!!!!!』

『Aぇ! groupのヤングタウン』とJR東海のコラボ企画として、東海道新幹線の車内限定ボイスコンテンツ配信企画『東海道新幹線からAぇ旅始まるスペシャルトーク!!!!!』が5月18日からスタート。番組で語りきれなかった裏話、デビューまでの舞台裏トークなど、期間限定の様々なコンテンツが配信予定です。

『東海道新幹線からAぇ旅始まるスペシャルトーク!!!!!』詳細はこちら

正門良規、末澤誠也、小島健出演 FM大阪『カンバリ!』

2018年5月にFM大阪でスタートした『カンバリ!』。番組開始当初のDJは、正門さんとなにわ男子のメンバーである藤原丈一郎さん、高橋恭平さん、大橋和也さんの4人でスタートし、その後なにわ男子とAぇ! groupが結成され、現在はAぇ! groupから末澤さんと小島さんが加わり、AmBitious(真弓孟之さん、河下楽さん、永岡蓮王さん)と隔週交代でDJを務めています。

カンバリ!
放送局:FM大阪
放送日時:毎週火曜 19時00分~20時00分
出演者:正門良規、末澤誠也、小島健(Aぇ! group)
番組ホームページ
公式X

ハッシュタグ「#カンバリ」

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※放送情報は変更となる場合があります。

Aぇ! group直近のラジオ出演情報

5月15日にデビューするAぇ! groupのデビュー週(5月13日週)に放送される出演番組をご紹介します。(※レギュラー番組以外、放送情報は変更となる場合があります)

過去の放送はradikoで振り返ろう!

番組を「リアルタイムで聴くのが難しい…」、また「面白かったからもう一度聴きたい!」という人もいるでしょう。そういう場合は、radikoの「タイムフリー」がおすすめです。

「タイムフリー」は、過去7日以内に放送された番組を聴ける無料の機能です。番組を再生し始めてから24時間以内であれば、合計3時間まで聴くことができ、番組の一時停止・巻き戻し・早送りも可能です。「聴き逃してしまった放送を聴きたい」、または「面白かったからもう1度聴きたい」という場合にぜひご活用ください!

聴き逃したラジオ番組を聴ける「タイムフリー」【radiko使い方ガイド】

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全国のラジオ番組が聴けるradikoプレミアム会員限定サービス「エリアフリー」【radiko使い方ガイド】

radikoプレミアムのメリットとは? 有料・無料会員の違いを解説!

この記事を書いた人

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radiko編集部員が「ラジコを通じて、ラジオの良さをもっと知ってもらい、皆さんが面白い番組に出会うキッカケ」になるように、ラジオ各局の情報をまとめて発信中。radiko newsでは、新番組へのインタビュー、さまざまなテーマに沿ったまとめ記事など、独自の切り口でも番組をご紹介しています。ラジコ公式SNSの情報更新も行なっています。

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戦争を知らない世代へ平和の尊さを説く─東京大空襲を生き延びた女性が語る空襲体験

戦後81年が経ち、太平洋戦争を体験した方は、本当に少なくなりました。当時、空襲を体験した小学生たちも、いまや90歳前後です。今回は、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐ「空襲体験者」のお話です。

東京大空襲の写真を解説する二瓶治代さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

B29による空襲は、昭和19年6月16日、北九州・八幡製鉄所から始まり、翌年の終戦まで、全国200以上の都市で続きました。中でも、昭和20年3月10日の東京大空襲は、およそ300機のB29から32万発ともいわれる焼夷弾が投下され、下町一帯は火の海に……わずか2時間半の空襲で、およそ10万人もの命が奪われ、「世界史上最大の空襲」ともいわれています。この東京大空襲の惨状を今に伝えているのが、東京都江東区北砂にある「東京大空襲・戦災資料センター」です。

江東区北砂一丁目にある「東京大空襲・戦災資料センター」

もともとは、東京都が「平和祈念館」の建設を進めていました。ところが、財政難から計画は凍結されてしまいます。「それではいけない」と、民間による建設の動きが始まり、4000名を超える人たちから、1億円を超える募金が寄せられました。そして2002年、民立民営の平和博物館、「東京大空襲・戦災資料センター」が開館しました。

焼夷弾のレプリカ。その構造や威力もわかりやすく展示

館内では、空襲の悲惨さを伝える写真や映像、絵画、地図、焼夷弾などが展示され、講演会やシンポジウム、特別展などが行われています。開館当時は、20人ほどの「空襲体験者」が戦争の悲惨さを伝えていました。しかし今、その数は少なくなりました。その中の一人が、二瓶治代さんです。二瓶さんの空襲体験の一部をご紹介します。

~・~・~・~

昭和20年3月10日、私は8歳で、家は亀戸駅の近くにありました。その夜、父が「今夜はいつもと違う、起きろ!」と叫んだので、私は飛び起きました。外に出ると、砂町方面が真っ赤に見えました。家族で防空壕に避難しましたが、やがて人々の叫び声が聞こえてきました。父が「ここにいたら、蒸し焼きになるぞ。防空壕から出ろ!」と言いました。私たちは線路の土手に登りました。そこから見た下町一帯は火の海でした。

燃え盛る炎がゴーッと音を立てて家々をのみ込み、人々は燃えながら走っていました。背中に背負った赤ん坊が燃え、手を引かれた子どもが燃え、転んだ子どもは、その場で火の塊になって燃え尽きていきました。やがて、土手にも火が迫ってきたので、私たちは炎が渦巻く火の海の中を、亀戸駅方面へ逃げました。その途中、被っていた防空頭巾が燃え出し、「頭巾をとれ!」と父が叫び、私はあわてて紐を解こうとしました。その時、父とつないでいた手が離れ、強い風に煽られ、私は炎の中に吹き飛ばされてしまったのです。

気がつくと、家族とはぐれて、一人で逃げ回りました。うずくまっている人が、緑色の炎をあげて燃えているのを見ました。馬が燃えながら走っているのを見ました。どこからか、「こんなことで死んでたまるか。みんな生きるんだ!」と叫ぶ男の人の声を聞きました。

私は動けず、その場にうずくまっていると、意識が遠のいていきました。明け方、私は重なり合った人たちの一番下から、父に引きずり出されました。私の上に重なっていた人たちは、真っ黒な炭になって亡くなっていました。この日、私は、生きたまま焼き殺された多くの死者たちに、命を助けていただいたのだと思っています。

~・~・~・~

二瓶さんが「東京大空襲・戦災資料センター」を初めて訪れたのは、2002年、開館して間もない夏の終わりでした。その時、センターの担当者から「当時の体験を語ってほしい」と頼まれます。「こんな私の話なんて……」と断ろうとしますが、岩手県から修学旅行でやってくる中学生50人のために話してほしいとお願いされます。

戦時中に使われていた防火用水

「東京大空襲のことは、我が子にも話さなかった」という二瓶さん。悩んだ末に、当日を迎えます。用意した原稿に目を落としたまま、20分間、顔を上げられず、空襲体験を語り終えました。「そっと顔を上げたんです。すると50人の生徒さんが全員、じっと私を見つめていたんです。身を乗り出して聞いてくれていた生徒さんもいて、ああ、戦争を知らない子どもたちに勇気をもらった……と涙が溢れました」これがきっかけとなり、二瓶さんは、今も空襲体験を語り続けています。

地図の丸印は東京大空襲の直後、仮埋葬が行われた場所

「戦争で一番の犠牲になるのは、いつの時代も、幼い子どもたちです」二瓶さんの言葉が、戦争を知らない私たちに平和の尊さを問いかけています。

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