5月3日放送回のゲストは、小林聡美 さんでした。
小林さんのエッセイが好きで読んでいたという砂鉄さん。お会いするのは初めてです!そんな小林さんとの唯一の接点は『サンデー毎日』という雑誌でお互い書評連載の経験があることです。
砂鉄:これまで本当にお会いしたこともなかったんですが、接点が唯一あるとしたらですね、『サンデー毎日』という雑誌で小林さんが書評連載をされていて、それがまとまった本を読んでいたら、どんな雑誌でもそうですけど、書評コーナーってある本は誰かが紹介したら紹介できないというルールになっていて、「これを読みたいです。」というふうに編集者の人に言っても、「誰か取っていて、もう書く予定になってるんですよ。」というので、ちょっと諦めたみたいなことを書かれたんですよね。可能性あるなと思ったんです。
小林:今思い出しました。前のページにいつも武田さんがいました。
砂鉄:僕も逆にその編集者に「これお願いします。」と言ったときに、「いやちょっともう書く人がいるんで…。」というふうになったときに、可能性はあるなと思って、あれはでも編集者はその正体は言わないですからね。誰が取ってるかというのは言わないので。
小林:まだ続けてらっしゃるんですか。
砂鉄:まだ続けてますね。
小林:流石ですね。
砂鉄:これは結構大変でしたか?月に2冊選んでという感じの連載でしたよね。
小林:今も思えばよくできたなという感じはありますよね。
砂鉄:なんかそれは本屋さん行って、「これにしようかな…。あれにしようかな…。」という。
小林:はい。本屋さんに行きました。そんなに新しい本とか一生懸命読むタイプではなかったので、新刊コーナーというところをウロウロしてもなんか遅いんですよね、いろいろやることが、気がつくことが。なので、新刊とかあんまり読んでなかったので、こんなにいっぱい世の中には本があるんだなと思うと、逆にちょっと緊張して何も読めてない自分みたいな感じで強迫観念が。
「エスカレーターの空いてる片側に立つ」「ホットコーヒーのプラスチック蓋で飲まない」小林さんのこだわり
新著『茶柱の立つところ』では日々過ごす中での小林さんのこだわりが書かれており、砂鉄さんも共感の嵐でした。
砂鉄:今回『茶柱の立つところ』という新しいエッセイ集を読んで、これも最大の論点になるところはこの番組でも何度か言ってるんですが、エスカレーターの片側を何で開けているんだろうかと、その片側つまり空いている方に立とうという運動を個人的にやってたんですけれども、小林さんも高らかに「立つ」と私は。
小林:はい。立ちます。だって、すごい空いてるのにすごく並んでるじゃないですか。あれはなぜ。
砂鉄:今割とみんなルールに従う人たちですからなんか日本人はそういうふうに言われがちですけど、あれに関してはものすごく全員で逆らってるという。不思議ですよね。
小林:不思議ですよね。
砂鉄:割と今だと止まって歩くなと書いてあって、2列で行けって言うふうに書いてあるんですけどね。止まるっていう字をわざわざなんか加工して、ちゃんとエスカレーターに見せたりしてるのに。
小林:そうなんですよね。でも私一度ちょっと若者の多い駅で、右側に立っていたら、すごい明らかに後ろで舌打ちしてる女子がいて、降りた途端にバーンて体当たりされて、すごい怖かったんですよ。こんなに怒られるものなんだと思って。
砂鉄:むしろ小林さんがルールを守れてない人みたいになってるわけですよね。
小林:なんか後ろの学生とかが「この人外人なんじゃないの」とか言って、「エクスキューズミー」って言われて(笑)。
砂鉄:「アンタちょっと間違ってるよ!」というのを英語で。でも、あの背後からの視線を感じるとゾクゾクしますよね。
小林:なにくそ!と思いますよね。
砂鉄:譲ってたまるか!と思うけど、でもちょっと何か他に例がないぐらいのゾクゾク感じゃないですか。怖いですよ。だからあれ。
小林:ほんと怖いです。
砂鉄:それでも乗り越えて。
小林:そう。でも最近ようやくだから歩かないでくださいというのが貼られるようになったから、前よりちょっと堂々と立てるようになりましたけど。
(中略)
砂鉄:本の中にホットコーヒーのプラスチックの蓋あるじゃないですか。あれでうまく飲めないみたいなことを書いてて。これも僕も長年思ってたことなんですよ。あれなんでプラスチックで何か見えないのに、みんな注ぎに攻めていけるんだろうかというのは思ってましたね。
小林:そうですか。そしたら他にも思ってる人がいるってことですよね。
砂鉄:どうなんでしょうかね。みんな果敢に口付けてよく行ってるなと。
小林:私も初めて経験したのはアメリカかどこかのハンバーガー屋さんのコーヒーでそれは感動したんですよ。歩きながら飲んでもこぼれないし、便利ってそのときは思ったんですけど、飲んで「あっつ!」みたいな感じで飲めなかったし、とにかく飲む分量が調節できないですよね。熱いし。なんでプラスチックの蓋でみんな飲んでるんですかね?
砂鉄:だからすごいみんな失敗してると思うんですよ。火傷したりとか。だけどやっぱりプラスチックの蓋でみんな飲んだ方がいいんだろうとなんか思い込んでるだけなんじゃないですかね。
「基本誰にも読まれてないから大丈夫精神で、好きなこと書いていいと思いながら書いています」
長年、エッセイを書き続けている小林さん。しかし、どこかエッセイを書くことに対して前のめりではない節をお見受けします。その真相とは…?
砂鉄:エッセイをもう20代ぐらいの頃からずっと書いてらっしゃるけどでも、どこかいつもエッセイを書くときにすごい積極的に書きたいわけでもないという感じのことをちょいちょい出されてますよね。やや書きたくない感は何でずっと続いてんだろうなって。
小林:物理的に書くのに頭を使うのが疲れるという(笑)。
砂鉄:最低限の姿勢を有してない感じがありますけどね(笑)。
小林:あと酒井順子さんもおっしゃってましたけど、「全てのエッセイは自慢話」というそういう感じも何かちょっと。
砂鉄:ちょっとそう思われるのは嫌だみたいな感じがあるというわけですか。
小林:そういうところもあったりして、何か調子に乗ってる感じが嫌だなとか思ったりするんです(笑)。
砂鉄:そうすると、僕なんかは読んでいて、いわゆる自慢と思うようなちょっと贅肉とも言わないけども、そういう部分というのが小林さんの文章には無いなと思って、いつも「読んで!読んで!」という感じではない空気感というのはどうやったら出せるものなのかなというふうにいつも思ってるんですけどね。
小林:基本誰にも読まれてないと思って書くようにして自分を盛り上げて、誰も読んでないから大丈夫。好きなこと書いていいみたいに思いながら書いてますけど。
砂鉄:でもずっと書き続けてても慣れないという。
小林:だから舞台のお芝居とかもそうなんですけど、続けてる人は何が楽しいんだろうと聞くと、ジェットコースターが落ちる前みたいなそういうワクワク感とかがあると言うんですよ。
砂鉄:あとは行くだけだという。
小林:あとなんかすごくやって楽しかったという人もいるし、それはいつか味わえるんじゃないのかなと思って舞台とかも続けてるんですけど、まだ味わえない。書くことも何か書くことで新しい自分とかが見つかるのではないかと思いながら書いてるけど、別にないみたいな。
砂鉄:そうすると、小林さんは一体何になれてるんですか。
小林:そうなんですよね。もうきっと何もならないんですよね、こういうことだから。もうそういうことを思わないでいいのではないかと還暦を前にちょっと思いました。
今回はここまで!次回の放送をお楽しみに。