ブルゾンちえみ~「武器も少ない状態で戦場に出てしまい、すぐに撃たれてしまうのではないか」と思っていた

黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、お笑いタレントのブルゾンちえみが出演。いきなりブレイクしたときの心境について語った。

「Yahoo!検索大賞2017」で大賞とお笑い部門賞をダブル受賞したブルゾンちえみ。徳田浩至(左)と杉浦大毅のwithBも駆けつけた=2017年12月6日 写真提供:産経新聞社

黒木)今週のゲストはお笑いタレントのブルゾンちえみさんです。岡山県の出身でいらっしゃるのですよね?

ブルゾン)はい、そうです。

黒木)「おかやま晴れの国大使」として、岡山県をPRされていらっしゃるのですけれども、岡山ではどのような女の子だったのですか?

ブルゾン)「こうと思ったらこうだ」と自分を信じて突き進んでしまうタイプで、間違っていると思ったら指摘してしまうような、戦うタイプでした。

黒木)そういう姿勢がいまもぶれず、変わっていないということなのでしょうね。

ブルゾン)そうですね。大人とも、「なぜこうなるのか?」とディベートをしたがっていました。

黒木)敵も多かったのですか?

ブルゾン)とことん話し合うので、「雨降って地固まる」となり、敵という敵はいませんでした。

黒木)下積みのころにしたいろいろなこと、歌ったり踊ったり、芝居をしたり…。それがキャリアになっているのですね。

ブルゾン)「遠回りしたな」とは思います。でもそのおかげで、キャリアウーマンのネタにダンスを加えることができましたし、演技の勉強をしていたので、上から目線もできました。いま思えば、必要な通り道だったのかなとも思います。

黒木)つまりは、いまのブルゾンちえみさんをつくるにあたり、いろいろなことを研究していたということですよね?

ブルゾン)さまざまなことを行ったおかげで、いまこうなっているのかも知れません。

黒木)しかし、そのときは「何だろう、何だろう」と探していらっしゃったのですよね?

ブルゾン)悩んでいました。「これが正解だ」とは、どんなところにいても思うことができませんでした。「私はこれでいいのか、この先どうなるのだろうか?」ということをずっと思っていました。そんなときに突然、この状態になったので、私も満を持して「ブルゾンちえみ、いま売れどきです」とは思えませんでした。急にこうなりました。

黒木)それは時代と言いますか、お笑いの場合は時代が受け入れて、マッチングしなければなりませんからね。

ブルゾン)そうですよね。本当にありがたいと思いました。

黒木)デビューして間もなく大ブレイク。戸惑いなどはありましたか?

ブルゾン)いつも次の日に目が覚めて、「夢でした」と言われても信じられるくらいに、毎日に現実味がなかったですね。いままでテレビで観ていた芸能人が目の前にいて、毎日ご一緒している。夢のなかの出来事のように過ごしていました。私がやっていることも、突然出て来た上に芸歴も浅かったので、確信を持つことができませんでした。ネタも少なく、たくさんの武器を持っているわけでもなかったので、不安の方が大きかったです。こんな状態で戦場に出て来てしまって、すぐに撃たれてしまうのではないかというサバイバル感がありました。

黒木)そのころにお目にかかっていますけれども、そのようなことはまったく、微塵も感じませんでしたよ。

ブルゾン)そうですか。私の心のなかは、「やるしかない」と思っていました。戦場に出ているので、自分の武器を総出で闘っていました。

黒木)夢のなかとは思いつつも、それを受け入れる自分もいるわけですね。

ブルゾン)そうですね。いま自分はこうなのだから、やるしかないと思いました。

ニッポン放送「あさナビ」

ブルゾンちえみ/お笑いタレント・女優

■1990年生まれ。岡山県出身。「おかやま晴れの国大使」。
■2013年に上京し、ワタナベエンターテインメントカレッジに入学。2015年にデビュー。
■2017年1月、ナインティナインが司会を務めるお笑い番組『ぐるナイおもしろ荘』に出演して優勝。一躍注目を集める存在となり、人気が爆発した。
■人気のきっかけは、キャリアウーマンになりきり、恋愛についてアドバイスするネタ。このネタでは後輩のお笑いコンビ・ブリリアンを「with B」として迎える。ネタに登場する「35億」のフレーズは新語・流行語大賞トップ10を受賞した。
■2017年4月には連続ドラマ『人は見た目が100パーセント』で女優デビュー。8月には『24時間テレビ』のマラソンランナーとして完走。また5人組ユニット「Royal Flush」を結成し海外アーティストのMVをカバー。
■2019年3月には自身が作詞した『#Enjoy Your Life』を配信、歌手デビュー。7月には『フローズン・ビーチ』で初舞台。映画『蜜蜂と遠雷』では映画初出演。幅広いメディア・ジャンルで活躍を続けている。

ENEOSプレゼンツ あさナビ(12月18日放送分より)
FM93AM1242 ニッポン放送 月-金 6:43-6:49

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戦後81年でつくっていきたい「新しい戦後」

大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日11時30分~15時)、10月15日の放送に評論家で近現代史研究者の辻田真佐憲が出演。10月16日に発売となる著書『「戦後」とは何だったのか 未来を変える日本現代史』にちなみ、「戦後」とは何なのか、人々はそれにどう向き合えばいいか、解説を展開した。

大竹まこと「難しそうな本(10月16日発売『「戦後」とは何だったのか 未来を変える日本現代史』)ですけど、そんなことないんですか?」

辻田真佐憲「ないと思います(笑)。昨年が戦後80年ということで『「あの戦争」は何だったのか』という本を出しまして。これが電子を含めて11万部、行った感じで。80年でひと区切りがついて、今年で81年。戦前が77年でした、明治維新から敗戦まで。もう戦後のほうが長いんです。長いほうの戦後は学校の教科書でもそれほど扱っていない、意外と『これ1冊!』みたいな本がなかった。それに合わせて今年は“戦後とは何だったのか”と。タイトルも重ねてきました」

大竹「日本情勢や世界情勢、国会など、すべてが混乱しているように見えます。どの辺から手をつければ、新しい戦後みたいなことに近づいていくんでしょうか」

辻田「時代の切れ目が来ている、というふうに考えるべきでは、と。戦後ってずっとダラダラと続いている、というイメージがあると思うんですね。敗戦のとき、焼け野原になってすべてが失われた。8月になる度に強調されます。でもその結果、あの印象が強すぎて、それ以降に大きな変化がなかった、という印象が強くなった気がする。1945年の8月が悲惨だったことは事実です。ただそれ以降もいろいろな切れ目があったはずだと」

大竹「うん」

辻田「戦後の切れ目は認めたうえで、これまでの平和を、どういうふうに現代に対応させて維持していくか、と考え方を変えていくほうがいいのでは、と。そう思って『新しい戦後』という言い方をしたんですね」

青木理「タモリさんが数年前に『新しい戦前が来るんじゃないか』といったことをおっしゃって。僕も含め多くの人が、なんとなしに頷いたところはある。新しい戦前にしないために、新しい戦後を考察してつくりあげていかなくてはならない、ということでしょうか」

辻田「いまの我々って戦前か戦後かという二者択一になっていると思うんです。戦後を否定すると『戦前に戻ろうとしている』『戦前回帰なんだ』という批判が起こる。当たり前ですけど我々の世界は戦前か戦後かの二者択一ではない。別の選択肢だってあるはずで。たとえば戦後、中国は相対的に経済力も軍事力も弱かった、冷戦構造のもとでアメリカが日本に配慮してくれたなど。いろいろな条件があって戦後の平和や経済平和があったと思う」

大竹「うん」

辻田「でもその条件ってほとんど変わってしまっているわけです。中国は日本の遥かに先を行っています、冷戦も終わっています、と。アメリカは日本に様々な要求をしてくる。時代が変わっていることをまず認める必要があるのでしょう。でもそれは戦前に戻ろう、ということではない。戦後の良い部分がたくさんあったはずです」

大竹「はい」

辻田「変わったいまの環境の中で、どう守っていくのか、育てていくのか、発展させるのか。こういう観点が必要だと思うので、後ろ向きの『新しい戦前』よりも『新しい戦後』を今後、積極的につくっていこう、と。そういうメッセージを、今回の本には込めました」

このあとも「戦後」について辻田が語った。

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