R-指定、「IPPONグランプリ」での大喜利が全カットされ「言わなきゃよかった…」

6月16日(火)深夜、ラッパー・R-指定とターンテーブリスト・DJ松永による音楽ユニット・Creepy Nuts(クリーピーナッツ)がパーソナリティを務めるラジオ番組「Creepy Nutsのオールナイトニッポン0(ZERO)」(ニッポン放送・毎週火曜27時~28時30分)が放送。2人が観覧ゲストとして出演し、13日(土)に放送された大喜利番組『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)について語った。

『IPPONグランプリ』放送当日、ツイッターのトレンドに“Rさんカット”というワードがトレンド入りした。先日放送されたラジオで、R-指定は『IPPONグランプリ』の収録でネタを振られ、豪快にスベったことを告白。しかし、スベったところも含めて放送を楽しみにしてほしいと、自虐交じりに語っていたが、放送ではそれが全カットされていたという。

DJ松永:13日に『IPPONグランプリ』が放送されまして。みなさん、楽しかったですか? 楽しかったですよねー?

R-指定:……楽しかったですよね。

DJ松永:観覧ゲストとして、Creepy Nutsは出演させていただきました。非常に光栄でありがたいです。

R-指定:ありがたい。

DJ松永:放送当日、ツイッターのトレンドに『Rさんカット』という、見慣れない単語がトレンド入りしていました。酷なことを言うんだけど、お前から説明してもらっていいかな?(笑)

R-指定:……『IPPONグランプリ』では、Aブロック、Bブロックが終わった後、毎回恒例で観覧ゲストに大喜利が振られるんですよね。それで俺が撮影当日、『写真で一言』を振られました。で、俺がパーンッ! って言って、あんまり芳しくない結果に終わり……。

DJ松永:まあ、そうだね。悔しいな。

R-指定:で、その後のラジオで「スベりましたわー!」って言って。で、「スベりましたわー。そのスベったのも、まあ見てください。楽しみにしてください!」みたいなことを言ったら、そのスベったところをカットされ(笑)

DJ松永:あはははは(笑)

R-指定:言わなければよかった(笑)。スベったことを言って、カットされているから、もう何重にもスベっている……。

DJ松永:一番みじめな結末よ!

R-指定:これは、榎並……。(番組進行役の榎並アナウンサー)

DJ松永:(笑)

R-指定:(写真で一言を振ったのは)榎並さんのアドリブだと聞いています! このカットも、勝手に榎並さんがカットさせたのでは。

DJ松永:そうだね(笑)。もう榎並さんの仕込んだ罠。黒幕はすべて榎並さんということで。

R-指定:褐色の弾丸め……!

DJ松永:デビュー当時の異名、“褐色の弾丸”ね(笑)。まあ、榎並さんもすごいキャリアのある方ですからね。適正な判断なんじゃないですか?

R-指定:そうか、適正な判断か。せやな、榎並さんは悪くないな。

DJ松永:榎並さんは全く悪くない。

R-指定:榎並さんはなにも悪くない。俺が収録したてで、まだ放送されていない番組の内容を言ったのが悪い。スベったことを言わなきゃよかった。

DJ松永:ラジオをやっていると、日常で何かミスって「どうしよう、カバーしなきゃ!」となった先に、ラジオでしゃべることで逃れようとするのよ。あの時はRさん、スベったことで深く傷ついていたから。あの時はラジオでしゃべるしかなかった。

途中、ネタを振った榎並アナウンサーに一度は怒りの矛先を向けたものの、「そもそも放送前の番組でスベった話を、このラジオで言わなければ良かったのでは……」と悔やんだR-指定。

今後については「もう、やめようか。ミスったことを話すとか古いな」とR-指定が提案し、DJ松永も「変えていこう」と同調。これからは失敗談ではなく、「儲けた」、「モテた」、「ウケた」の成功体験だけを話すラジオにしていきたいと、高らかに希望を語った。

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身を挺して安保改定した岸元首相~日米安保条約60年

ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(6月23日放送)にジャーナリストの有本香が出演。発効から23日で60年を迎える「日米安保条約」について解説した。

1948年12月24日、内閣官房長官公邸にて内閣官房長官佐藤栄作(右)と岸信介-Wikipediaより)

日米安保条約、発効から60年~身を挺して改定した岸元首相

菅官房長官は22日の記者会見で、改定された日米安全保障条約の発効から6月23日で60年を迎えることについて「我が国を取り巻く安保環境は大きく変化して来たが、日米安保体制は我が国の外交・安保の基軸であり続けて来た。今後ともアメリカと緊密に連携し、地域や国際社会の平和と繁栄の確保に取り組む」と語った。

飯田)新安保と呼ばれる日米安保の発効から、23日で60年。

有本)1960年ですから。

飯田)片務的と言われた旧安保から、日本の主張、権利を認める形での新安保だったわけですが。

内堀通りを埋め尽くして日比谷公園から国会に向かうデモ隊(1960年6月15日)(安保闘争-Wikipediaより)

日本にとって不平等な内容を改定した「新安保」

有本)これについては、激しい反安保闘争というものがありました。国会の周りをデモ隊が取り巻くというような映像が、いまでも流されることがありますが、なぜそこまで反対したのか。当時、安保反対デモに参加したという方たちに聞くと、「実は安保改定の内容を読んだことはなかった」という話も出て来るのですが、そもそも旧安保のときには、アメリカは日本を防衛するという義務がなかった。義務すらないにも関わらず、アメリカは、日本のどこでも好きなところに基地をつくることができるという、日本にとっては非常に不平等な内容だったわけです。

飯田)占領中の状態をそのまま維持するためにつくったという面が大きかった。

日米安全保障条約60周年記念レセプションで鏡開きをする安倍晋三首相(左から4人目)、ドワイト・D・アイゼンハワー元米大統領の孫メアリー・ジーン・アイゼンハワーさん(同5人目)ら=2020年1月19日 ©時事通信

当時の反対するデモ隊のスローガンは「これを改定すると日本がアメリカの戦争に巻き込まれる」~いまでも日米安保体制反対の際に使われる

有本)なおかつ、日本国内で叛乱のようなものが起きたら、米軍が鎮圧するということになっていたのです。これはまさに占領されている状態だということです。この弊害はいくつか改定までにあるのですが、その1つが1952年の竹島の問題です。当時の韓国の初代大統領の李承晩が「李承晩ライン」というものを超えて、日本の漁船を次々に拿捕した。このようなことが弊害としてあり、それを受けて1960年、岸内閣のときに改定しようということになるのですが、当時のデモ隊が掲げていたスローガンは、「もし、これを改定すると日本がアメリカの戦争に巻き込まれる」ということだったそうですが、どこかで聞いたことのあるフレーズです。

飯田)いま、まさに安保60年で特集されている新聞も、同じことを見出しに掲げています。

有本)最近でいうと、安保法制。5年前です。そのときも反対側は同じことを言っていました。そういう歴史の始まりのようなものです。

飯田)PKOのときも言っていた。

日米安保改定60周年記念レセプション 安倍晋三首相らが記念撮影=2020年1月19日 ©産経新聞社

当時の岸首相が身を挺して改定した日米安保条約

有本)日米安保体制に反対するときには、必ず「日本はアメリカの戦争に巻き込まれる」というフレーズを掲げて反対する人たちが現れるという歴史の始まりです。結局、先ほど申し上げたように旧安保でよかったのかと言うと、そんなことはないわけです。このときに岸内閣は、安保の改定に伴って混乱を引き起こしたということで、最終的には辞職しました。その前にデモ隊が押し寄せて来て、「このままだとデモ隊が雪崩れ込んで来て襲われて、岸首相に命の危険があるかも知れない」と警察から進言され、逃げてくださいと言われるのですが、そのときに岸首相は「首相官邸で死ぬのなら、これは男子の本懐だ」と。決して逃げないと言ったという逸話も残っていますし、そのときに岸首相の弟だった佐藤栄作元首相も「兄さん、一緒にここで死のう」と言ってブランデーを飲んだという逸話も残っています。そうして、いまの日米安保体制というものはつくられたのです。ですから、是非はあるけれども、これなしでは日本の安全保障は考えられないということでしょう。

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