有吉弘行は「ボロアパートに住んでんじゃないか」……みちょぱ&ノブコブ吉村が明らかにするその生態

12月20日(日)放送の、みちょぱこと池田美優がパーソナリティを務めるラジオ番組「#みちょパラ」(ニッポン放送・毎週日曜23時~23時30分)に、お笑いコンビ・平成ノブシコブシの吉村崇が出演。2人の“師匠”である、お笑い芸人の有吉弘行について語りあった。

平成ノブシコブシ・吉村崇、みちょぱ(池田美優)

同番組では今回、「師匠・有吉弘行を語ろうスペシャル」と題して吉村をゲストに迎え、有吉について様々な角度から語り合うこととなったが、そもそも有吉は何故2人の“師匠”となっているのであろうか。

みちょぱ:まずはね、(私が)“師匠”って呼んでるのは、有吉さんが何かの番組で「俺の弟子は、にこるんとみちょぱだけ」っていうのを自分の口で言ってくれて、あと、このラジオも「姉妹番組」って有吉さんが自分のラジオで言ってくれてるんですよ。

吉村:そうなの!?

みちょぱ:作家さんも一緒なんですけど、そういうのも含めてなのか、(この番組を)始めたばっかの、すぐのときに言ってくれたりして、弟子だと思ってるんですよ、勝手に。

吉村:うん

みちょぱ:で、芸能界で唯一、吉村さんだけ、有吉さんのこと「お師匠さん」って呼んでるじゃないですか。だから、なんか一応、弟子同士ということで師匠を語りましょう

吉村:語りましょう。そうだよね、だから俺が兄弟子になるからね、みちょぱにとって

みちょぱ:イヤだ!

吉村:イヤだって言ったって、門下として俺が先なんだから。みちょぱ、妹弟子とか弟弟子みたいな扱いかな

みちょぱ:そうか、そうなっちゃうか

吉村:生意気なやつ入って来たと思ってるよ(笑)

みちょぱ:(笑)

平成ノブシコブシ・吉村崇、みちょぱ(池田美優)

なお吉村は、テレビに出始めの頃に出演した『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)で、「ちゃんと結果も考えてないでやっちゃった絡み」をしたときに有吉から「吉村、それは芸じゃないぞ」と本気で怒られ、「やるんだったらちゃんと台本書いて来い、お前」とオチ的に言われたものの、次の日本当に台本を書いて楽屋に持っていったことがきっかけだという。「お前、本当に書いて来るのか」という反応があり、何かとあると楽屋に行くようになったことで関係性ができたと明かした。

一緒に行動する機会も多くなり、6,7年前にはアンガールズ田中も含め3人で正月旅行にも言ったという吉村。しかし有吉は、せっかくの旅行先なのに“インドア”だったという。

吉村:『有吉の夏休み』(フジテレビ系)も、よく行くじゃん、みちょぱ

みちょぱ:はい、はい

吉村:全然部屋から出てこないでしょ

みちょぱ:出てこない

吉村:基本的に(海外旅行でも)あれ

みちょぱ:(笑)やっぱそうなんだ

吉村:基本的に、プライベートで旅行に行っても全然出てこない。ずっと寝てんだってさ、寝てるかゲームしてるんだって

みちょぱ:旅行行っても……

吉村:だから本当に“癒し”というか“休み”っていう感覚なんじゃない?

みちょぱ:はぁー。1人の時間がやっぱ本当に好きなんだ

吉村:好きなんだと思うよ

“師匠”有吉について、かなりの“インドア”性が証言されて驚くなか、みちょぱにも思い当たる節があったようだ。

みちょぱ:なんか前に、買い物とか1人で行くって言ってて、(東京)ミッドタウンのフードコートで1人でご飯食べてるとか言ってて

吉村:うん

みちょぱ:だから「それこそ誰か後輩とか連れて行けばいいじゃないですか」って言ったら、「いや、なんか後輩に気遣わせちゃうじゃん。そういうのが俺嫌なんだよね」みたいに言ってたから、1人の方が楽なのかなと思って

みちょぱ:そうかも知れないね

吉村:最初の旅行は多少気遣ってたと思うもん、俺らにも。そこでやっぱ、俺の馬鹿さ加減とアンガールズ田中さんの怪物加減で調和されて、気遣わなくなってきたのかなはと思う(笑)

みちょぱ:(笑)

そして、こちらから誘えばちょっと嫌な顔をのぞかせながらも来てくれたりやってくれたるするのではないかと推測した2人であったが、根本的な問題に気付いた。

吉村:どこに住んでるか、俺知らないから

みちょぱ:え?

吉村:なんとなく、ざっくりはわかるよ。でもどこのマンションとかもわかんないし。一緒に飯食って「帰ろうか」ってなったら、「送りますよ」みたいなこと言うじゃない

みちょぱ:はい

吉村:「タクシーを止めますか」って言ったら「いいよいいよ」。「じゃあ、途中まで喋りながら帰りましょうよ」って言ったら「いいいい」って言って、俺をまくように逃げてくの(笑)

みちょぱ:(笑) なんなんだろう?

吉村:俺はね、何かひょっとしたら、もう、とんでもない借金をこさえて、もう目も当てられないボロアパートに住んでんじゃないかなと思うわけよ

みちょぱ:うそ(笑)!? あんなレギュラー何本もやってるけど?

吉村:お師匠さんの住んでる地域、僕の後輩とかね、先輩が住んでるんだけど、やっぱ目撃情報はないんだよ。(住んでるのは)そこじゃないんだよ

みちょぱ:え? ボロアパート?

吉村:ボロアパート!

みちょぱ:そこ(に住んでる)って言っといて?

吉村:言っといて、もう本当、歩いてそこまで2時間ぐらいかけて通ってる

みちょぱ:でも、車乗ってるじゃないですか。いい車

吉村:いい車はね、俺らの目に見えるからだよ

みちょぱ:そうか、目に見えるものは(ちゃんとしておくのか)

吉村:大丈夫? “わ”ナンバーじゃないよな?(笑)

みちょぱ:(笑)レンタカー? あれ、まさかのレンタカー?

吉村:俺、そこまで見てないから

みちょぱ:ちょっとチェックしよう! 今日この後一緒なんでチェックして来ます!

吉村:見て、“わ”だったらすぐ報告して(笑)!

みちょぱ:(笑)「“わ”だったんだけど!」って!?

平成ノブシコブシ・吉村崇、みちょぱ(池田美優)

1人の時間が好きで居住地も知られないように行動しているという、意外なプライベートの生態が2人の“弟子”から明らかにされた有吉。ネタ的な要素を交えつつも、「人に気を遣わせたくない」という意識が背景にあることもわかり、2人の“師匠愛”が見え隠れするトークとなった。

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戦後81年でつくっていきたい「新しい戦後」

大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日11時30分~15時)、10月15日の放送に評論家で近現代史研究者の辻田真佐憲が出演。10月16日に発売となる著書『「戦後」とは何だったのか 未来を変える日本現代史』にちなみ、「戦後」とは何なのか、人々はそれにどう向き合えばいいか、解説を展開した。

大竹まこと「難しそうな本(10月16日発売『「戦後」とは何だったのか 未来を変える日本現代史』)ですけど、そんなことないんですか?」

辻田真佐憲「ないと思います(笑)。昨年が戦後80年ということで『「あの戦争」は何だったのか』という本を出しまして。これが電子を含めて11万部、行った感じで。80年でひと区切りがついて、今年で81年。戦前が77年でした、明治維新から敗戦まで。もう戦後のほうが長いんです。長いほうの戦後は学校の教科書でもそれほど扱っていない、意外と『これ1冊!』みたいな本がなかった。それに合わせて今年は“戦後とは何だったのか”と。タイトルも重ねてきました」

大竹「日本情勢や世界情勢、国会など、すべてが混乱しているように見えます。どの辺から手をつければ、新しい戦後みたいなことに近づいていくんでしょうか」

辻田「時代の切れ目が来ている、というふうに考えるべきでは、と。戦後ってずっとダラダラと続いている、というイメージがあると思うんですね。敗戦のとき、焼け野原になってすべてが失われた。8月になる度に強調されます。でもその結果、あの印象が強すぎて、それ以降に大きな変化がなかった、という印象が強くなった気がする。1945年の8月が悲惨だったことは事実です。ただそれ以降もいろいろな切れ目があったはずだと」

大竹「うん」

辻田「戦後の切れ目は認めたうえで、これまでの平和を、どういうふうに現代に対応させて維持していくか、と考え方を変えていくほうがいいのでは、と。そう思って『新しい戦後』という言い方をしたんですね」

青木理「タモリさんが数年前に『新しい戦前が来るんじゃないか』といったことをおっしゃって。僕も含め多くの人が、なんとなしに頷いたところはある。新しい戦前にしないために、新しい戦後を考察してつくりあげていかなくてはならない、ということでしょうか」

辻田「いまの我々って戦前か戦後かという二者択一になっていると思うんです。戦後を否定すると『戦前に戻ろうとしている』『戦前回帰なんだ』という批判が起こる。当たり前ですけど我々の世界は戦前か戦後かの二者択一ではない。別の選択肢だってあるはずで。たとえば戦後、中国は相対的に経済力も軍事力も弱かった、冷戦構造のもとでアメリカが日本に配慮してくれたなど。いろいろな条件があって戦後の平和や経済平和があったと思う」

大竹「うん」

辻田「でもその条件ってほとんど変わってしまっているわけです。中国は日本の遥かに先を行っています、冷戦も終わっています、と。アメリカは日本に様々な要求をしてくる。時代が変わっていることをまず認める必要があるのでしょう。でもそれは戦前に戻ろう、ということではない。戦後の良い部分がたくさんあったはずです」

大竹「はい」

辻田「変わったいまの環境の中で、どう守っていくのか、育てていくのか、発展させるのか。こういう観点が必要だと思うので、後ろ向きの『新しい戦前』よりも『新しい戦後』を今後、積極的につくっていこう、と。そういうメッセージを、今回の本には込めました」

このあとも「戦後」について辻田が語った。

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